2012年05月08日

Keith Jarrett Solo Concert

5月6日、夜9時を少し回った頃 「キース・ジャレット・ソロ・2012」 は終演した。

キースのピアノは、限りなく美しい。
「きれいは目から入ってくるが、美しいは心に響く」 と、何かの雑誌で読んだことがある。

今、東京渋谷オーチャードホールにて、終演後の席に残り、やや震えた指でペン先を走らせている。
美しい余韻があるうちに、書き留めていたいからだ。
明日、新潟へ帰省したら、このまま原文に手を加えずにアップするだろう。

ほんのわずか10分ほど前まで、ジャズピアノ界の現役最高峰 「キースジャレット」 が目の前にある 「スタインウェイ」 を唸りながら弾いていたこと。

キースと 「同じ時代を生きている」 喜びを実感した。

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2012年05月05日

Fumio Karashima (P)

辛島文雄のユニットで好きだったのが、88年結成 「辛島文雄クインテット」

三枚のCDの内 「ラストライブ」 (91) は、僕の愛聴盤と言ってもいい。
録音場所は、「六本木ピットイン」で、会場五列目で聴いていたのも、私的な理由だけどね。

結成にあたり、若手のフロントライン2名を加入し、サウンドに厚みを効かせた。
選ばれたのは、新宿ピットインの昼の部で頭角を現していた、藤陵雅裕(As)と井上淑彦(Ts)。
特に、藤陵のスリリングなスピードあるアルトは、当時の昼の部から注目していたほどだった。
ベースは桜井郁雄で申し分ないし、ドラムはミッキーのカルテットでも兼任していた、奥平真吾の存在が絶対条件だった。
それにしても、辛島さんは 「本当にいいメンバーを集めた」 と思う。
しかも3年で解散を決めたのも、真吾が渡米で脱退するので、潔くピリオドを打ったという。
リーダーでありながら、それほどドラマーにはこだわりを持っていたところが辛島さんらしい。
そういうところにも、辛島クインテットの強い結束感があったのだと思う。

今思い出しても、シビれる場面も多かった。
ハイテンポな曲の途中、フロント奏者のどちらが先にソロオーダーに行くか譲り合った場面があった。
すかさず、辛島さんが人差指で、藤陵さんに 「行け」 と命じた。
するとステージ中央に飛び出して、一気にハイトーンまで上り詰める激しいブローを繰り広げた。
まるで、デイブ・リーブマンばりのブローに歓声が湧き上がり、その後もアグレッシブなインタープレイにヒートアップさせられてしまった。
この、ドライブ感は並ではなく、ガッチリと根底を支えているのが、やっぱり真吾なんだよね。
勢いに乗った彼らは、残りのスタンダード曲もガンガンと押しまくった。

ラストナンバーは、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を全員で締めて、ステージに残った辛島さんによるピアノソロ、「アイ・ラブ・ユー」で終演。
リーダーとして 「本当にメンバーのことを愛していたんだな」 と、ホロッときちゃったね。
91年 「辛島文雄クインテット」 解散ライブに、立ち会えて良かった。

こうして、今以上にジャズが熱かったときの思い出を書き綴っているが、記憶を描写することによって、少しでもジャズの面白味を感じてもらえば、僕も語り甲斐あるというものだ。

愛聴盤
「AVANTI」 Fumio Karashima Quintet (1988)
「LAST LIVE」 Fumio Karashima Quintet (1991)

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2012年05月04日

夫婦の時間

夫婦円満な秘訣があるとしたら、相互不干渉のように思える。

この際、僕らのことは置いておき、その方が何だか自然な気がする。
家の中だろうが、外出先であろうが、お互い何をしているかわからないぐらいの方がちょうどいい。
もちろん、大まかな行き先ぐらいは告げるし、常に会話があってのことであり、家庭や仕事における共同作業をした上になるんだけど。

夫婦や恋人と言えど、趣味や趣向も違えば極端なこと、それぞれの価値観や人生観だってある。
当然、ゆっくりと考えたくなる時間も欲しくなるし、精神的なプライバシーも必要となってくる。
生活スタイルが何から何まで一緒では、どう考えても変だし、年齢によってプライバシーも充実してくる。
だから、お互いの自由時間を充実させておかないと、刺激を分かち合えなくなるんじゃないかな。

それが良いか悪いかでなく、それぞれがいざというとき、協力し合えることがパートナーだと思う。
それぞれの自由を尊重して、それぞれの活動をサポートし合える程度でいいのかも。
男と女は違う生き物であり、一緒にいる理由を考えれば、疑問は氷解するんじゃないかな。
それでも、「かも」「かな」ばっかりなんだけどさ。

40代後半にもなると、それまで煙っていた気持ちがすっと吹き分けられるときがある。
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2012年05月03日

ベジタリアン

春野菜は美味しい。
具だくさんの春巻きを腹一杯に食べた。

薄皮にやわらかい春キャベツと細かく刻んだニラ、玉子と大粒のひき肉を包んで油で揚げる。
小皿にポン酢か、マスタードを混ぜ合わせたケチャップを少量つけて豪快に頬張る。
そのあと、ビールをキュッーと喉に流し込むと、「あー、うんめぇー」と一言ため息をつける。
芯の強い冬キャベツよりも、やっぱりやわらかい上、みずみずしい春キャベツの方が好きである。

スーパーで一袋98円のミックスサラダであれば、シーザードレッシングをかけて、飯代わりに2袋は軽く食べられるほど、ベジタリアンになってきた。
それと新玉ねぎの甘さにも感動した。
かつおぶしを振りかけた冷奴の下に、スライスした新玉ねぎを敷いて、ポン酢で食すのがまた美味い。
その美味さに気づくのは今さらながら、食が細くなった分、舌は敏感になってきたと思う。

家庭の台所では冷蔵庫を開けるだけで、食事を作る目的で立ち入ったことはない。
もっぱら、食べることが専門なので、完全に胃袋は握られている。
気持ちは肉食ながら、普段の食べ物は草食、これが本当の草食おじさん。

人は歯と胃が弱くなってくるにつれて、だんだんとベジタリアンになっていくのかな。
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2012年05月02日

IF…

大型連休で賑わった前半。
関越自動車道で起きた、痛ましいバス事故は悲劇だった。

こういう事故を知ると、つくづく運に生かされていることを感じてしまう。
物事に「もし…」は禁句だが、やり切れないとき、「もし…」を考えてしまうのは人の情であろう。
もし、あのバスに乗車していなかったら…
もし、あの座席に座ってなかったら…
もし、あの道路でなかったら…
もしは尽きないだろうし、本人も親族も悔やみきれないだろうね。
ひょっとすると毎日の生活なんて、運の積み重ねなのかも知れない。

当然、僕にも大小問わず「もし…」はあるし、「もし…」に悩まされたことは数知れない。
そんな今では、「もし…」という言葉を頭から消し去ろうとしている。
「もし…」を考えていても仕方がないし、「もし…」の事例に執着すれば、孤独から抜けられなくなる。
「もし…」で苦しむぐらいなら、いっそのこと言葉を捨て去るべきではないだろうか。
「もし…」が気持ちを支配してしまえば、そうやって自分を自分で傷をつけていることになると思う。

ポジティブなんてカッコいいもんじゃないけど、ここまで生きてこれた運と人には感謝しているんだ。
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2012年05月01日

クラシックカー

30日、某スーパーの一画から、怒鳴り声が響いてきた。

何かのクレームらしいが、感情的でとにかくしつこい。
目を向けると責任者らしい人が、初老の男に謝罪をしているようだが、たいそうなことでもないらしい。
こういう場面、二度ほど居合わせたことがあるが、本当に不快な気持ちにさせられる。
女、子供、ご老人が買い物を楽しんでいるのに、時間、場所、場合の判断もつかない、大変なおやじ  だなと思いながら店を後にした。

60歳過ぎの団塊世代に多い。
傾向的に会社の元重役タイプに多く、退職しても偉いと思っているようだ。
普通、その立場が人格や体裁をつかさどると思うけど、いつまでも会社のポストで社会生活するから、大らかになれないんだ。
例えば、定年退職した人が、町内の行事に参加するようになる。
会社では重役だったかも知れないが、町内会では地域の一員として、謙虚にならねばいけないのに、 それがわからない。
会社では周りが頭を下げていたのに、辞めた途端、誰も頭を下げなくなることに憤ってくるんだと思う。
団塊世代の大きな勘違いはここであり、頭で考えている以上に切り換えができない。
今後は特別待遇のない場所だからこそ、その人の器量がわかるというものだ。
自分だけにしか見えない、会社の勲章をつけて社会参加しているようでは、裸の王様と変わらない。
傍若無人な晩年なんて見たくもないし、気持ちの整理がついてない人がいかに多いこともわかる。

僕自身、店を通じて団塊世代との交流がある。
その人達は現実を受け入れて、前を向いて構えがないから魅力的なんだ。
だから世代を越えて、よくしゃべるし、よく笑うから、まっすぐな人望が自然と集まる。
さっきの団塊世代と比較してしまうと、解き放たれたいい顔をしていることに気がつく。

希望は希望として、晩年はきっと誰もが、「クラシックカー」になりたいはずなんだけどね。
僕はクラシックカーとまで行かなくても、「ポンコツカー」でもいいと思っている。
だけど車検が通らない、欠陥車にだけはなりたくないね。
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