2012年05月31日

村上春樹(作家)

「ジャズ好きはへそ曲がり」  昔はそんな言われ方をされていた。

「1Q84」で有名なベストセラー作家、村上春樹。
彼は作家に転身する前は、ジャズ喫茶の店主だったことは知られている。
それも一日中、好きな音楽を聴いていたいという、わかりやすい理由で開業した。
その過去は取り立てて、音楽環境に恵まれていた訳でもなく、音楽の専門家でもないので、理論的な 精密度に欠けるのは仕方あるまい。
だが、音楽の大局を知る見地が兼ね備わっていたので、ジャズを下敷きにして、世間を語れるほどの 飽くなき小説家の才能があった。
それに、音楽以外のことも知らなければ、作家としてのデビューもなかったはずだ。

僕の職業は、ジャズ好きなバーテンダー。
「好き」こそが、オリジナルの個性だと思っている。
時間通りに店を開けて、時間通りに店を閉めるのが日課。
毎日、ひたすらお客さんを待つのが、仕事と言えば仕事。
プレイヤーではないので、小難しい理論をかき回したり、会話に必要以上の熱量も込めない。
大切にしていることは、子供の頃に見た夢の目線でジャズを楽しく語りたい。
それが、へそ曲がりにならないための処方箋だし、社会性を失ってしまっては元も子もない。

村上春樹の小説は、僕のテイストではない。
比喩表現が文章にまとわりつきすぎて、なかなか行きたいところに行けずに尺が長過ぎる。
読解力のなさもあろうが、読みきれないことの方が多い。
吉村達也が好きな僕に、村上春樹は結構キツかったりする。
ジャズで言えば、「ジョン・コルトレーン」と「ソニー・ロリンズ」ほどの違い。
はたまた、「セロニアス・モンク」と「オスカー・ピーターソン」になろうか。
まして彼は、キース・ジャレットの音楽を胡散(うさん)臭いと一蹴した男だ。
そんな、へそ曲がりのオッサンを好きになるはずがない。
この時点で、僕がへそ曲がりになっている…

村上春樹はジャズをジャズだけの世界に止めず、何かとかけ合わせて語る大局観がある。
作家として有名になることではなく、人間性を失いたくないと思わせる行も感じる。
とらえ方はそれぞれだろうが、音楽以外のボキャブラリーも重要なことがわかるだろう。

ここまで書いて気づいたことがある…  内心、村上春樹にシンパシーを寄せていることを (笑)
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2012年05月29日

2012 June

【6月定休日】 
    3日(日)・ 10日(日)・17日(日)

   24日(日) 深夜1:00まで営業致します。

 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 (最終日曜日のみ営業) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

もはや5月も終わりに近づき、街も初夏の空気に包まれてきた。
梅雨明けすれば、もう本格的な夏が到来する。
何か毎年、そんなことばかり書いている気がするなあ…

こうして、四季の移り変わりをつづっているだけでは、それが習慣になるだけである。
「何かしなきゃ」と思いつつ、何も浮かんでこない創造力のなさ。
年齢的にたいていのことは体験しているから、物事への関心が薄れて来ているのかな。
それに体力や気力の自覚もできるようになってきた。
こうありながら、何もしないことが耐えられなくなると言おうか。
何か、中途半端な年齢なんだよね。

髪にはパーマをあてられるし、極度な老眼でもなければ、抜け落ちた歯もない。
身体はだらしなくなったけど、男性機能は辛うじて維持できている。
カルチャースクールにでも通おうか、それとも図書館通いでもはじめるとするか。
心身ともにこんな調子で、ほぼ全てが中途半端なんだよね。
若くもないし、老いてもいない、中途半端な年齢。

誰か、僕の私生活に、男みなぎる熱い刺激を与えてくれー!
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2012年05月28日

男のイメージ

気力が体裁を作ることがある。
この場合、体裁が気力を作ったとも言えるだろうね。

世間が目覚める頃、僕は眠りにつく。
毎朝5時30分から始まる、みのもんた「朝ズバッ」にチャンネルを合わせて過ごしていることがある。
何の気なしに合わせているので、その時は気づかなかったけど、彼の奥さんは亡くなっていたんだね。
妻を亡くしても番組に出演していた、みのもんた。

先日、故人である安岡力也の闘病生活や家族への愛情をつづった、テレビの特集番組を観た。
芸能界最強伝説を誇る力也さんは、自身のイメージを守るべく、病床を公開することを拒んだらしい。
限られた人にしか病気を告げずに逝った、安岡力也。

そういえば、松田優作が癌に蝕まれていたことを知っていたのは、力也さんだけだったという。
そんな彼らに共通していることは、自分のイメージを最期まで崩さなかったこと。
それが、「男のプライド」のように思えるんだ。

だが本当のところ、彼らは気が小さいからこそのプライドだったかも知れない。
イメージにない寂しげな顔を、誰にも悟られないように生きていた部分もあると思う。
事実を確かめる術はないが、頑なに自分のイメージを守り続けたところに真実がありそうな気がする。
今のスイーツ時代にあって、こういう彼らの生きかたも学べるんじゃないかな。
つまり、男には「イメージがある」ということだ。

それこそ冒頭の言葉に戻るが、体裁をつけなきゃいけないから、気力が生まれると考えられないか。
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2012年05月27日

Endless Summer

80年代、ディスコクイーンと呼ばれた、ポップスシンガー「ドナ・サマー」って亡くなったんだね。

リアルタイムな世代じゃないが、ディスコに行けば高い確率でDJが皿を回していた。
今でいう「鉄板曲」なんだけど、彼女の歌声抜きではフロアーの盛り上がりは欠くことになる。

当時(1983)、新潟のディスコはどこも繁盛していた時代。
古町なら「ジジック」、西堀なら「ブラック・バード」と人気は二分していた。
週末のナンパスポットだったけど、女の子には目もくれず、複数の仲間と踊りに出かけていたものだ。
何が楽しいかといったら、酒に酔いながら、仲間の変な踊りを見ることがとても痛快だった。
デブっちょがインベーダーダンスをしていたり、犬の交尾みたいに腰を前後に揺すっていたり。
「その変な踊りは、なんじゃらほい」と聞くと、「俺のダンシングで、女を欲情させる」とか。
そんなヘンテコリンで、きもち悪い踊りを指差しては、客席で大笑いしていたものだ。

おまけに入口で服装チェックがあるので、そのファッションセンスも見ごたえのひとつだった。
ある者はディスコに雪駄を履いていき、その場で入店拒否されていた。
またある者はフロアーで踊りながらゲロを吐いたため、しばらく出入禁止にされた。

ここからは、スペシャルなキャラクターの登場となる。
ジョン・トラボルタばりに、全身白のスーツを身にまとっていたが、ズボンのすそ上げが短すぎたため、 紺色のヨレヨレな靴下が丸見えで不快だったり。
ロッド・スチュアートばりに、豹がらのパンツを履いてはいるもの、サイズが小さすぎて、尻の割れ目に ビッチリと食い込んでいるヒップが不潔だったり。
フレディ・マーキュリーばりに、シャツのボタンを外して胸毛を出しているが、プンプンと体臭兵器を放ち、異臭の脅威で周囲を恐怖のどん底に叩き落としていたり。

閉店間際、チークタイムともなると、無理矢理に女の子をフロアーへ引っ張って行き、強引に腰に手を 回して耳元で何かをささやいていたり。
後で、その子にこっそり聞くと、「ベッドインしよう」とか言われたとか…  おまえの部屋は布団だろ。
仲間の俺たちを差し置いて、ホテルに抜け駆けしようとしていたんだから、とんでもない野郎である。
そいつの職業は「魚屋さん」なのに、「サーファー」なんてウソこいている訳よ、まったくこの野郎は!
まあ、時のディスコで、ドナ・サマーの「ホット・スタッフ」をバックに、こんなアホな調子で青春を疾走しており、違う意味で名曲、「情熱物語」(She Works Hard For The Money)だったような気がしたね。

あれから、28年経過した今でも、僕の「エンドレス・サマー」である。
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2012年05月26日

初々しいね

25日、小雨降る夕方、万代のコーヒーショップで過ごしていた。

途中から雨足が急激に強くなり、窓から見える通行人が慌てて急ぎ足になった。
そんな時、まだあどけない若いふたりが、雨に降られて店に飛び込んできた。
「ハアハア…」言いながら、注文を手にして席へ着くと、彼女が赤いハンカチで、彼の濡れている額を  拭いてあげてた姿が印象的だった。
若いふたりが演じがちな無理な芝居じゃなくて、自然に抑えた動作がとても初々しく感じたんだ。

そんなふたりを目の前にして、映画「小さな恋のメロディー」(1971/英国映画)を思い出した。
主演は、マーク・レスターとトレイシー・ローズ…  う…、ちがーう、トレイシー・ハイド!
どこか大人のいやらしい男女関係とは違い、少年少女の淡い恋愛物語を描いた秀作。
手探りな関係から、大胆に発展していく恋愛って、幼さゆえの強みだったりするもの。
こういう時期が一番楽しく、この先どうなっていくのか、ドキドキしちゃうんだよね。

僕も常に柄にもなく、ハンカチを持ち歩いているんだけど…  完全な役不足である。
 
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2012年05月25日

今宵の不満

某日、少しご立腹な表情だったKさん。
「どうしたの…」と聞いてみると、「時代も変わったもんだ」と苦笑いでお嘆きのご様子。

居酒屋で飲んだ後、直属の部下に、「たまには次へ行こうよ」と気軽に誘ったことが始まり。
すると平気な顔で、「おごりなら行きます」と言ったらしい。
誘った手前、出させることはしないが、気分が悪くなったので次から誘わないという。
「部下は…」と聞くと、「仲良し同盟でこっそり、どこかの店でおち合ってるんだろう」と、少し投げやりに メーカーズマーク…  ざっとそんな言い分である。

時代は変わっても、それに似た話はよく聞く。
僕にも、似たような経験があるから、何となくモヤモヤした気持ちは分かるんだ。
直属の上司にシンパシーを寄せるどころか、同年代や気が合う者としかコミュニケーションをしない。
部下からすれば、仕事の延長はゴメンなんだろうが、そのための酒というのをわかっていないんだ。
それに「おごりなら行く」と臆面もなく言える、依存体質の部下に成果は期待できないと思う。
そんなもの、可愛げにもなりゃしない。
その上、「俺らの気持ちをわかってくれない」など、平気で泣き言をいうらしい。
わかろうとしているから、誘ってるのにね…

じゃあ何か… 「百歩譲って、わかった先に何があるのか言ってみろ」である。
その前に、「俺をわかれ」と言ってやればいいのだ。
いい仕事をしたいため、ゼネレーションギャップを埋めるべく気配りであろうに。
そこまでドライであれば、部下に気を使うこともないだろう。
所詮、会社はタスクフォースの場であろうが、ずいぶん矛盾したことも言っている。
「わかってもらいたい」と主張しているが、本当に誘ったら、びびっちまうんだからね。
大人になりきれない会社が持つ、独特ないい加減さであろう。

バーはプライベートな部分を含め、少し胸襟を開く場所でもある。
素顔を見せようとしている、上司の粋がわからない男相手にムキになることもないだろう。
「ドライにはドライでいい」と、割り切る考え方も必要である。

最初は苦々しい気持ちを引きずってきたKさん。
帰り際、「キュッ」と飲み干したラベルは、ファイティングコック!
おやおや、気合入れ過ぎだって…  お疲れ様でした、よい週末をお過ごし下さい。
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2012年05月24日

この街で…

「来たな」 部屋の扉が開くと、相方が試着した姿で入ってきた。

「今日はどこなの?」(月一会)と聞くと駅南の和食店だという。
いつもなら、万代か新潟駅周辺だが、今回は珍しく駅南である。
たまに散歩気分で、駅南まで歩くのもいいじゃないか。

個人的な趣向だが、僕自身の意思で駅南界隈で飲食をすることはない。
どこか人工的過ぎて、「よそよそしい」雰囲気が性に合わないのだろう。
それに人口に対して、無駄な鮮やかさとでも言おうかな。
誤解がないように言葉を添えれば、他意があるわけでもなく、何も関心がないわけでもない。
美味しい飲食店、オシャレなスポットもふんだんにあるだろうが、どうも足が向かない街なんだ。
それこそ、「縁」なのかな…  万代からこんなに近いのにね。

女性は、お店選びの基準が欲張りなので、常に新しきを知り、古きは振り向かない傾向がある。
男はコロコロ、暖簾を替えたりせず、「この街・この店・この人」の三拍子はだいたい落ち着いてくる。
逆に新しきに興味を示さず、古きをゆっくりと満喫する感じだ。
それに僕らの年代になると、わざわざ情報誌を広げたり、いちいちパソコンで検索しなくなるものだ。
もう、生活圏の中で、自然と三拍子が揃ってくるからね。

年間を通して限られた回数しか利用しないけど、花屋や美容院、洋品店や化粧品店など、それぞれ  男女関わらず、だいたい店は決まってくるものでしょ。
身近に三拍子揃っていれば、いつも柔らかい表情で過ごせるし、自然と行儀よく振舞えるものだ。
大方の生活、女性は新しいものを取り入れて広く浅く、男は無骨に狭く深くなのであろうか。
そう考えると男と女は違う生き物であり、お互いの思考を持ち寄って暮らしてるんだろうね。

今や万代で暮らして14年…  この街でも長い人間関係が培われていくとしたら縁であろう。
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2012年05月23日

女性営業職

22日、古町の喫茶店で短編小説を読んで過ごしていた。

通路を挟んだ隣の席には、広告業界の営業と思える女性が、クライアントらしき男の言葉を引き出し  ながら、膝元に広げた手帳にペンを走らせていた。
広告業界で仕事を受注してくるのは、女性の方が優れた成績を収めるという。
どこか懐かしい気になったのは、僕も長年クライアントの立場で仕事をしていたからだろう。
それと女性が優れた成績を収めることは、あながちウソではない。

男は営業成績が伸びないと、あれこれ悩んでは、いつまでも暗い気持ちを引きずる傾向がある。
ちょっと強い口調で言われれば、すぐにメソメソして、何かのせいにしたがる。
ちゃんとモノを言わない責任を差引いても、女性と比べてストレスへの抵抗感が弱い気がする。

その点、女性はフットワークが軽いし、物事の切り換えが早いのが特徴的だ。
今どうするか判断できるし、感情的になってもやることはやる。
当然、そこに至るまでのスキルを身に付けてのことだが、生まれ持った本能のようにも思える。
それは子育ての本能が携わっているので、自身を立て直したり、何かを仕立てることにかけては、とても長けているようなんだ。
そういう能力が機能するから、総じて手際が良くて仕事が早い気がする。
男のように長い間する仕事は向かないようだが、物事を短く断片的に捉えていくことに関しては、女性の方が得意なんじゃないかな。

その代わり、女性と一緒に長い仕事をしたいとは思わない。
短い仕事をキビキビこなして、「機会があったら、また頼むな」ぐらいの方が、ちょうどいい。
女性に惚れたら仕事にならなくなるし、そこまでの信頼が自然と積み上がっているから、それ以上の  接近をしてしまうと、危うく「男と女の関係」になりそうだからである。 
時の頃、若くして一緒に仕事をしたいと思うなら、人生のパートナーとして考えがちになるでしょ。
それほど、女性の仕事ぶりは男を惹きつけることがあるし、思っている以上に紙一重なんだ。

まあ、個人的な視座だけどね… お・わ・り… 
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2012年05月22日

興ざめだよ

アルビレックス新潟のふがいない成績に批判が集中している。
応援するチームが勝ったり負けたりで不機嫌になったり、常軌を超えて感情的になる姿は不健康だ。

スポーツは感動のドラマだといわれる。
そのこと自体は否定しないが、逆に悲劇なドラマにもなることも忘れるなである。
特定チームのファンになることは、負けたときの覚悟があってのこと。
夢見る感動ドラマばかり描くから、不測な状況になると感情の抑制が効かなくなるのだ。
自分をコントロールできないなら、勝負事に参加するなである。

僕もスポーツは好きだが、その枠を超えた言動を見かけると空しくなる。
自分の子供まで、親のヒステリックな感情に巻き込むなんて、バカ親としか映らない訳。
まともな親なら「どうして負けたか…」、ゆっくり話し合えることが、スポーツを通じた情操教育だろう。

勝負は勝たなきゃいけない… そこは絶対に外せない。
だが、本来のスポーツ観戦は楽しむものであり、明るく前向きな精神が大切だ。
わがもの顔の応援団が常套句を引用して、過激な言動をする連中がいる限り、子供を連れて応援しに行けないでしょ。
観客動員数がおちている理由に、どこか支配的になってきた雰囲気を嗅ぎ取られたこともあるだろう。
そういう連中たちが、新規のファンを遠ざけている。
ある人が、「サポーターが都会並みに過激になってきた…」と言ったが、おいおい違うよ、逆だよ逆。
なまじっか、チームの存在に慣れて同化すると、自意識の抑制が効かなくなるもので、ストレスを発散 するだけの野蛮人と化してくるが、洗練された都会人ほどそういう真似はしないよ。

黒崎監督と一部のコーチが解任されたというが、これから選手も槍玉に上がってくるだろう。
それでチームが変わることを期待したいが、問題は一部のファンだ。
チームの包装紙を体裁よく替えても、ファンの中身も変わらないことには観客動員数だって伸びない。
その結果、もっと勝てなくなるでしょ。 
「負けたけど頑張ったね…」なんて甘い論調に酔わないが、ああいう言動を見ると興ざめしてしまうね。
そろそろ物事の相関図に、敏感になってもいい頃だと思える。

アルビレックス新潟のファン(サポーター)は今、試されているんだと思う。
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2012年05月21日

大相撲復権

史上初、平幕同士の優勝決定戦は、旭天鵬が栃煌山に勝って賜杯を手にした。
歓喜の輪でむせる男泣きに、気持ちを奪われた人も多かったであろう。

稀勢の里は、巴戦に挑むまでもなく把瑠都に負けた。
負けて、土俵下の控えに残る姿を見ると目をつぶり、口を真一文字に結んでいる。
その表情から、奥歯を強く噛み締めているのがわかる。

本人には失礼だが、敗者の姿が絵になる男も珍しい。
感情表現を抑えた姿に、違う強さを感じたのは、僕だけではないと思う。
大相撲千秋楽は、勝者と敗者の心情を、あらためて感じ入ってしまった。

相撲人気が低迷した理由を書き綴る気はない。
だが、それまでの思い込みを水に流して、ありのままで相撲を愉しむことによって変わるかも。
そうなれば、相撲人気は回復していくかも知れない…  今がチャンスなんじゃないかと思うね。
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2012年05月20日

千秋楽決戦

いやぁー、まいったなあ…。

大相撲千秋楽にあたる今日、日曜の夕方は外出できないな… こりゃ。
まさか、こんなに優勝争いが大混戦するとは思わなかったし。
それに稀勢の里が、こんなに勝負弱いとはなぁ…。
昨日の日馬富士戦みたいな相撲内容なら心配ないけど、意気込みとは裏腹にまだ体は硬いようだ。

僕はそれでも、優勝カードは変えない。
それは不器用で朴訥な男に、一度は優勝賜杯を手にさせてやりたいからだ。
悪く言えば、無愛想で茨城訛りの口下手だけど、相撲に対する気持ちはひたむきだからである。
だけど、彼は企業面接であれば、上手に真意を伝えられなくて、真っ先に落とされるタイプだ。
そこで期待することは、今場所は絶対に優勝することによって、離れていった相撲ファンを振り向かせ られるような印象を与えて欲しいこと。

僕は結果を知ってから、そこだけクローズアップする主義ではない。
どちらかと言えば、予めコメントを出しておき、結果に対して四の五と言い訳するつもりもない。
後だしジャンケンだったら、誰でもできることだからね。
男惚れしたのであれば、この状況であっても、ファイナルアンサーは稀勢の里だ!

ひとつ言うとしたら、いつまでも、「みにくいアヒルの子」のままでいて欲しくない。
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2012年05月19日

金百弐拾円

「親切 丁寧 買い取ります」で、有名な大型リサイクルチェーン。

いつの間にか、着ない洋服が増えてしまった。
この際、「とりあえず置いておこう」の発想はもう捨てて、処分しようと洋服の整理をはじめた。
まずは、相方の洋服が多いので、クリーニングから仕上がったままの状態を中心にまとめることにした。
複数のブランド品も含めて、その数ざっと5袋を手に抱えて、リサイクル店に持込査定へ向かった。

立会いは相方に任せて、僕は適当に店内をふらついていた。
査定が終了したことを番号で告げられ、先に相方が説明を受けているが唖然とした表情だ。
その買取価格を聞いて、唖然よりも吹き出してしまった…  「5袋全部で¥120」
マニュアル態度ありありの店員に説明を求めるまでもなく、書類に素っ気無くサインだけ残して、¥120をポケットに突っ込んだ。
そこでごねたとしても、相手の内心は、「別に当店でなくてもいいんですよ…」程度だと思う訳よ。
正当な買取対価なんて期待してないし、要求を強く主張する気にもなれず、相方が感情を逆なでされた理由もよく分かったが、この場で公開するのは伏せておく。
それよりもあれだけの量を¥120で買取り、一体いくらで売るつもりなのだろうか…
寧ろ、その行方、買取ロンダリングの方に興味がわいてしまう。

自宅にはまだ僕が当時着ていた、「ヒューゴ・ボス」、「アルマーニ」のスーツが何着かあるんだけど、  それらも「雑巾並みに査定」されるんだろうな。
それだったら潔く、必要としているところへ寄附した方が、社会貢献した気分になれそうだ。

やっぱり、急成長する会社はクレバーである…    はい、お笑い体験にしておこう。
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2012年05月18日

吉村達也(作家)

僕の好きな作家である吉村達也氏が、今月14日に胃がんのため60歳で死去していた。

推理小説を初め、サスペンスやホラーも手がけ、凄まじい勢いで新刊を出版できるスピード作家だった。
それも出版量で席巻するだけでなく、質においても小刻みで大胆、意外なところで展開を裏切る小説の愉しさを教えてくれた。

僕が最初に表紙を開けたのが、1993年角川文庫のホラー小説「初恋」からだった。
それから、1994年「文通」、1995年「先生」〜 2005年「ビンゴ」、2006年「グリーンアイズ」と続き、その合間で推理小説、サスペンス小説をランダムにめくっていた。
彼の小説は、人間なら誰にでも隠されていると思われる、内面の恐怖を描いている。
本人曰く、この世で一番怖いことは、生きている人間の人格と言い切るあたり。
その人格破綻した異常行動を描かせたら、彼の右に出る者はいなかったと思う。

誰でも、日常生活で一度や二度、背中に冷たいものが走った経験があるだろう。
「感じがいい人」のはずなのに、その正体は言論の質が低い、「クレームモンスター」だったり…
「にこやかな人」のはずなのに、その正体は粘着質で執念深い、「ストーカー」であったり…
彼は匿名性がもたらす二重人格、メールで感情的に論争を吹っかけてきたりする、現代病にほど近い精神状態をいち早く題材にして小説化とした。
つまり、性格の二重構造という恐るべき特質を小説化することには、とても長けていた。

小説を読みながら、「どうして、こいつは、こうなってしまったんだろう…」を考えると結構面白かったし、職業や立場、年齢や学歴などで、「人間性を保証できる時代でない」ことも文中で言い表している。
全冊読破した訳じゃないが、短編の読みやすさで紹介すれば、1999年「踊る少女」なんかは、最初の試し読みする分にはお勧めできる。
「もしかしたら、身近にいるかも…」と思われる、まずは7人のモンスターと対面してみたらどうだろうか。
あまりにも、現実的な恐怖に直面するであろう。

吉村達也さんの死後、公式サイトには、「私はこのたび、死んでしまいました」と文章が掲載されていた。
自分自身の死まで、ミステリーな演出をするなんて、やっぱり彼は天才作家だったんだ。    合掌。
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2012年05月17日

稀勢の里

稀勢の里は優勝する。

連日危なっかしい相撲ばかりだが、それでも今場所に限れば優勝する。
いや、そうじゃなきゃいけないのは、稀勢の里は劇画の「タイガーマスク」だからである。
そう書くと、「おいおい、このおっさん、また何を言い出すんだ…」と思われるが、まあ聞いてほしい。

稀勢の里は無愛想で、いつもふて腐れたような態度で相撲を取っている。
あの態度を苦々しく思う、相撲ファンは多いはずだ。
だが、本場所の本割、真剣勝負だからこそ、あのような表情や態度になるとは考えられないか。
彼は地方巡業の花相撲では、あんな表情や態度はしていない。
寧ろ、大相撲普及のため、努めてファンサービスをしている方だ。
それに兄弟子の若の里と同じく、数少ないとされているガチンコ力士のひとりなのである。

劇画タイガーマスクの物語上、虎の穴主催で覆面ワールドリーグ戦が開催された。
悪のマネージャーが率いる虎の穴軍団は、タイガー抹殺を狙う冷酷無比な刺客レスラーである。
スポーツという名の殺人リングにフリー参戦したのは、理由があるタイガーマスクただひとり。
虎の穴の刺客レスラーたちは、仲間同士で適当に勝敗の回し合いで調整しているだけ。
実は優勝賞金の10万ドルは、タイガーをリングで抹殺したレスラーに贈られることになっていた。
そう、連中たちはタイガーとの対戦だけ、本気で潰しにかかるシンジケートだったのだ。
日本プロレスを裏切ったとして、観客までも敵に回して、孤独な戦いを強いられたタイガー。
孤立無援の中、自分が信じたものに挑む、巨悪に対する敢闘精神は見上げたドラマだった。

稀勢の里とタイガーマスクは共通している。
私利私欲にまみれず、絶対に八百長に手を染めない男の気概だ。
それこそ、「フェアープレーで きりぬけて 男の根性 見せてやれ」である。
周囲の空気を読んで歩調を合わせたりせず、イザというときは軋轢を怖がらない芯の強さ。
納得できない結束はせず、誤解されても言い訳せず、嫌われても自分の筋はしっかり通す信念。
今どきの若者は流暢に喋り、人目を引く器用さはあるが、本当に頼りになるのは口下手で不器用だが、行動に嘘がない、「稀勢の里タイプ」じゃないかな。
どこか口先から生まれたヒーローよりも、辛抱強く行動できるヒーローを応援したくなるものだ。

稀勢の里には、長年黒い霧に包まれた相撲界の、「稀勢のマスク」になってほしいのダー  猪木?
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2012年05月15日

本割の心

14日夕方、身支度をしながら、大相撲中継九日目を見ていた。

最近では、聖地の両国国技館でも空席が目立ち、お世辞にも活気があるようには見えない。
力士にオーラがないんだから、観客もそれなりになってしまい、場の空気もたるんでくる。
今に始まったことじゃないが、間延びした顔で取組みを見ている客も多いようだ。

本当の相撲好きは、向正面の席に座らないものである。
後ろからでは、力士が所作を合わせる仕切りが見にくい。
行司が勝負を裁く、緊張の面持ちも見えやしない。
横綱の土俵入りや弓取り式だって、正面から見ることでその美しさがわかる。
それに立ち合いのあうんの呼吸、肉弾がぶつかり合う瞬間こそが正面から見る迫力である。

日の丸のゴールデンハットをかぶった客がいたり、どっかのクラブのママが顔を売り込んでいたり。
九州場所では三役の取組みになると、決まってどっからか7〜8人の芸者が横一列に整列してくる。
勝負論に我関せずな観客ばかりでは嘆かわしいし、理屈抜きに大相撲は真剣勝負をうたっている。
せめて本場所の本割ぐらいは、取組みを真剣に見て、勝負の空気を作り上げて欲しいものだ。

そんな中でも、今日の結び前の一番、「稀勢の里 対 琴奨菊」の一戦は見ごたえがあった。
本当に期待がかかった一番では、逆に場内は静まり返ってくるものだ。
力士は、オーラで黙らすぐらいの迫力を本割で示せないようでは、出世しても大したことはない。
相撲は型や基本に、忠実な力士が出世するといわれる。
「負けたけどいい相撲だった」と、称賛される所以はそこにある。
それに勝ち名乗りを受けるとき、手刀で「心」という字を描いているのを知っているだろうか。
先ほど例に挙げた観客たちに、本割の心はあるようには思えないのである。
神事な場だからこそ、観客も所作が必要なのだ。

向正面の観客は、意外にも相撲を知らない連中が多い。
テレビで観ている若い大相撲ファンは、相撲の様式美を勘違いしてはならない。
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2012年05月14日

Improviser

「キース・ジャレット・ソロ・2012」 あの感動から一週間か…。
あらためて、僕が思い描くキース・ジャレットを語ってみたい。

2005年の東京ソロにおいて、異例のお達しがあったらしい。
一部の観客が演奏中、キースのカンにさわるような歓声や雑音を上げた。
その場で演奏を中断すると、「日本には瞑想という文化があるはずだ」らしき発言をしたという。
また聞きなので、実のところはわからないが、大筋でそんな出来事はあったんだと思う。

1990年頃、原宿キーストンコーナーで演奏中のジャズギタリスト、ジョー・パスが観客の場違いな歓声に怒り、「出て行け」みたいなニュアンスを吐き、一瞬会場が凍りついたという。
一方では、「日本人はノリが悪いからつまらない…」と憎まれ口を叩いた、ブラジルのピアノシンガー  タニア・マリアなんかもいた。
まあ、お国柄や時代背景、本人の美意識もあるだろう。
前者は芸術家タイプで、後者はエンターティナータイプに分けられるのかな。
中間があっていいが、キースは尖った言葉は吐かないまでも、括りでいえば芸術家タイプだろうね。
特に、ソロとトリオでは別物意識があるため、会場の緊張感も多才による多彩な気もする。

僕の手元に1989年に初版されたハードカバー、「キース・ジャレットのロングインタビュー集」がある。
長文なので僕なりに縮尺してみるが、確かにこんなことを語っている。
「エンターティメントのような社交上の集まりは、所詮は社交でしか集まらなくなるので、それは私のやり方ではない。そうなると次に進めなくなるからだ。私が追い求めているのは、自分自身をさらけ出すこと。それが自由であり欲望だ」と。
さらに、「全員に愛される音楽をするつもりはない」とも。
今もその言葉は変わらないと思うし、僕の中のキースは芸術家なのである。

だから、酒場で演奏するのは嫌うし、雑音に神経を尖らせてしまう。
音楽や芸術に幅があるように、こういう人もいないと発展しないと考える。
金さえ払えば、何でもかんでもエンターティメントにしてしまう風潮に対して、キースのようなベテランの クリエイティブな姿勢は感動的にさえ思えてしまうんだ。
実力と自信があってのことだが、その価値が充分だから共感されているんだ。

開演前のステージには、まだ何も描かれていないキャンバスがある。
終演後には、キャンバスに見事な色彩で描かれた完成画を残していく感じ。
しばらく席から立てなかったのは、見えないものが見えたような気がしたから。
それこそ、余韻や空間、間の世界を知ることになる。
僕が語ることはおこがましいが、聴いて語っていることは確かである。

キース・ジャレットは、世界最高峰の「インプロヴァイザー」である。
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2012年05月12日

上野の河童

7日、下り新幹線の時間調整では、友人と上野駅周辺を歩けるほどの余裕もあった。

上野には珍しく、雑居ビルで古本市をやっていた。
入店すると硬い書籍から児童絵本など様々だが、その一角に大量のアダルト本コーナーもあった。
目を向けると、艶かしい姿をした女性の表紙が占めており、丁寧にも透明なビニールで包装されていた。
本の陳列は昔のレコード屋みたいに正面縦並びで、横いっぱいの棚にギッシリと敷き詰められている。
今さら見ようとする気力はないが、バイアグラを飲んだんじゃないかと思える凄いおやじを見た。
年の功は50歳過ぎ、小太りのスーツでメガネをかけて、頭の頭頂部だけが見事な円形を描いている。
その上、耳から下の髪だけがロンゲで落武者といおうか、万人のイメージで表現すれば河童だ。

何が凄いかというと、エロ本を中古LPのジャケットを見定めるようなその動きである。
両手を田植え機のように上下に高速回転させながら、両足はガニマタで左右を横歩きする動作。
鬼気迫る動体視力で探しているその姿は、人間の動きとは思えないほどのいれこみよう。
しかも耳から下のロンゲだけが、トリッキーな動きの振動でゆらゆらと横揺れしている。
それは野生と化した情熱のエロスであり、その執念は見上げたものである。
禁断症状が爆発したかのように、河童おやじがエロ本を貪るお姿にドン引きさせられた。
男はいくつになっても、いつの時代であっても、エロに関することは凄まじいパワーを発揮する。

スケベはスケベでも、動物的で色気のないスケベは美しくない…
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2012年05月11日

上野公園で

7日、上野13時18分発の下り新幹線で、新潟に帰省することにした。

本当は2時間ほど、上野動物園で過ごしたかったんだけど、月曜日は休園日なんだよね。
東京在住時、上野動物園の雰囲気が好きで、休日にひとりで園内を散歩することがあった。
目的もなく、ただ動物の鳴き声や野生のにおいに包まれながら、気ままに眺めて歩くだけ。
遊園地でひとりで遊ぶのは寂し過ぎるが、動物園ならば違和感はない。
それこそ、ふれ愛動物園のヤギやロバを触りまくって楽しむこともできる。

とりわけて大切にしたいのは、人工的な建造物よりも、命や自然に関わり合いがある場所。
自分の鼓動が聞こえるような場所に、身を置きたくなるのは、生への共感なんだと思える。
入園はできなかったけど、友人といい陽射しを浴びながら、上野公園の桜並木を散歩した。
ここで断っておくが、僕はれっきとした女性愛者であり、公園で誤解しないでもらいたい。
それでは、この先を進めようとしよう。

ここ上野公園は入園料がいらない、人間観察で寛げる人間動物園のようにも思える。
大道芸人やフーテン、国籍不明な怪しい外国人、害はないがどうも胡散臭いおやじ…
青年の主張みたいなギターの若者、日本酒をカッ食らいながら、スポーツ新聞を広げるおじさん…
前髪にカーラーを巻いたまま、色気ないネグリジェのような格好で、鳩に餌をやっているおばさん…
その多くは、何の目的もない感じで、ただぼんやりと時間をつぶしているようにも見えなくはない。
こうして、黙って見渡してみると、人間も動物並みにいろんなタイプがいるものだ。
その内の僕も、まあ生態系のひとりに見られているわけだけどね。

よーし、夏はマリンピア日本海のふれ愛水族館で、ヒトデを触って遊んじゃうぞー!
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2012年05月10日

ときわ台の友

6日の終演後、渋谷から池袋を経由して、東武東上線のときわ台で友人と待ち合わせた。

宿泊の誘いに甘えて、そのまま近くの焼鳥屋で過ごすことにした。
新潟出身の彼は帰省する度、店に顔を出してくれるが、店主と客なので砕け切れないのは致し方ない。
だが、その日の夜に限れば、それがないから、今昔話に花が咲いたことは言うまでもない。

彼は盛り上がりも早いし、自虐的なネタが持ち味なので、一緒に飲んでいても楽しい。
僕も構えなく素顔になれるので、逆に情緒的にもなれるというものだ。
年齢的に体力任せで飲めなくなったけど、それまでの経験が小刻みに会話を弾ませてくれる。
この先もお互いの中にある、少年っぽさを失うことなく…  いや、発見し合おうではないか。
ただし、友として忠告しておく…  もう股間の「腐ったマムシ」を出そうとするのはやめろ。

この場を借りて、お礼を言いたい。
手作りの朝食と挽き立てのコーヒーが美味しかった。  (ありがとう)
上野駅まで見送ってもらった上、手土産まで持たせてもらった。  (ありがとう)
幽霊が出る部屋だと知らずに寝せられた。  (気味悪かった)
室内犬のダックスフンド(茶色)に右の足首をかまれた。  (痛かった)
鉄っちゃん(鉄道マニア)だったことを知った。  (びっくりした)
深夜寝ている娘と息子を叩き起こして、無理矢理に紹介されそうになった。 (グレるぞ)
トラベルバックの中に、変なDVDを忍ばせられた。  (何をしろというのだ)

遠距離、お互いに時間を作って会ったのは明らかだった。  (これが全てだ、また飲もうな)
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2012年05月09日

朝霞の伯母

6日、朝9時3分新潟発、上越新幹線臨時便で上野駅で下車した。

最初の行先は、東武東上線の朝霞でひとり暮らしする伯母を訪ねるため。
年齢は80歳を越えているが、電話で話すよりも気丈だったので安心した。
しかも腕によりをかけて、料理を作って待っていてくれた。
何だろう、この懐かしさと安らぎはどこから来るのだろう。

約5年ぶりの再会だが、別れた後の寂しさは想像に難しくはない。
考えたくないが 「今生の別れになるかも」 と過ぎると、なおさら人情的に辛くなってしまう。
会う喜びよりも、別れる辛さに気持ちが動くのは、根源的なところが揺り動かされるからだろう。

こうして4時間ほど、伯母の家で過ごしながら、窓から見える庭先の古い集合時計をぼんやり見ていた。
時が刻まれていくのを横目に、そろそろ席を立つ時間となり、思わず小さなタメ息がついて出た。
また、伯母は誰もいない団地の部屋でひとり、テレビの音で生活するのかと思うと。

別れの改札口で見送る、伯母の寂しそうな目に気づきながらも、僕は振り返ることができなかった。
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