2012年04月30日

2012 May

【5月定休日】 
    6日(日)・ 13日(日)・20日(日)

   29日(日) 深夜1:00まで営業致します。

 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 (最終日曜日のみ営業) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

春の怠惰である。
連続2日、店の往復以外、どこにも外出しなかった。

昼過ぎに目を覚まし、さてどうしたものかと考えているうちに、ソファーで二度寝を始める。
頭では起きねばと思いながら、体は惰眠を要求している。
「あー、こんなはずではない…」と感じながら、気分的には敗北である。
以前も似たような日が何度かあり、時間に追われているはずなんだけど、時間を持て余しているような不思議な感覚。

寝覚めのシャワーを浴びて、さっさと出かけるなり、人にでも会えばいいのに、そんな気にもならない。
休日ならそれなりにやり過ごせても、仕事の数時間前では、それなりのことに限られてしまう。
だからと部屋に閉じこもっていれば、自分に対する不満が首をもたげてくる。
それが昨日と同じ今日であれば、怠惰な習慣になってしまうだけである。
空が白み始める頃、カーテンを開けたら、もう桜がすっかりと散り落ちていた…

今日の休日は外出して、5月からは、ジョン・トラボルタのようにフィーバーしようかな… もう無理だ。
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2012年04月29日

Jazz Talk Vol.11

ジャズライブのオープニングナンバーは、そのグループの特徴や方向性を示す曲が多い。
まあ、挨拶代わりのナンバーだと思ってもいいだろう。

指でテンポを示して音を奏でてしまえば、後は終演まで一直線である。
二曲目は呼吸を整える感じで、大体ゆったりしたバラードが組まれる。
その時点で、この先に奏でる音の全体構成がわかってくるし、アドリブ回しを聴けばグループとしての まとまり具合を感じる。
個性に近づきたければ、力を発揮できるソロパートが聴かせどころになるだろう。

僕はうねるような迫力で押し寄せる、グルーヴ感(ドライブ感)が好きだ。
いいように乗せられることもあれば、最後まで乗れずに会場を後にすることもあり、ライブは生きものだから仕方あるまい。
プロレベルは難しいフレーズでも、僕らが聴いてわかるようなミスなどほとんどない。
あったとしても機材関係のトラブルか、挑戦めいた演奏ミスだから何とも思わない。
寧ろ、後者であれば、何かを切り開いているようで可能性を感じさせられるものだ。

アマレベルであることなんだけど、ハッキリとカウントを出さずに、出だしが揃わなくてやり直しをしたり、エンディングを間違って、曲が締まらなかったりすることがある。
観客は笑ってシャレで済ませているが、本当のところメンバーはどう思っているのかわからない。
ジャムセッションなら別だが、ネームで集客する以上は、いい音楽を聴きたいと思って足を運ぶんだから少し考えなきゃいけないところかも知れないよね。

愛情もって言えば、「イントロ〜テーマはしっかりやろうよ」に、なるんじゃないかな。
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2012年04月27日

立ち食いそば

「立ち食いそば屋」を抜けた一画に、求職コーナーが併設されていた。

どこか「立ち食いそば=求職活動」につなげてしまう、人間心理を描いているような気がした。
同じそばはそばでも、専門店のそばは、「蕎麦屋=高級感/粋/風情」を連想させられてしまう。
それにしても、座敷やテーブルですする蕎麦と、立って食べるそばでは、こうも印象が変わるものか。
僕自身、「蕎麦」と「そば」を無意識に書き分けているところに、深層心理があると思える。
まあ、そば打ちやそば粉の配合、そばつゆの取り方など手間ひまかけた分、味と価格は違うと思うが、実は出しているそばに大差がなかったら、何だかおもしろいよね。

それに、そば屋のメニューが身分制であったりさ。
例えば、天ぷらそばなら役職者、山菜そばであれば一般社員、月見そばはバス待ちの人など、メニューで人の状態がわかったりして。
そこに求職コーナーが併設してることは、かけそばを食べている人のお役に立ちたいとか。
そうじゃなきゃ、効果のないところに設置することはないでしょ。
求職中じゃないけど、立ち食いそばに求職コーナーがあったら、ちょっとしゃくにさわるかも。

僕は、立ち食いそばは食べない。
それは、「たぬき」や「きつね」って、人をだますから、胡散臭いんだよ。
それに立ってモノを食べるのは好きじゃないし、何か祝い事の振る舞いでもない限り立っては食べない。
スーパーや物産展の試食もしないし、腹が空いたからといって、立ち食いするぐらいなら高楊枝でいい。
腹が空いたら座って食べるし、やたら人前で立ち食いしないのは、僕の小さなこだわりでもある。

その代わり、酔って立ち小便をするときもあるが、本当はここにこだわりを持つべきなのであろう。
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2012年04月26日

おじさん(6)

僕は大人には人気がないけど、なぜか子供にはなつかれるようだ。

夕方、自宅マンション付近には、近隣の小学生が何やら所狭しと遊んでいる。
中には僕の姿を見ると、「どこいくの?」、「買い物?」などと言って、近寄ってくるガキもいる。
そうすると周りのガキ連中も寄ってきて、「この人、誰?」、「何してる人?」だの、小声でそのガキに質問を浴びせている。
すると、「教えない」とか、さぞ意味ありげに、「さあ、誰でしょう」とか言って、鼻高々にとぼけている。

教えないどころか、わからないくせに、あたかも出し惜しみしているところが、お茶目なガキである。
人見知りせず、怖がることもせず、そのうち、「僕の仲間だよ」なんて抜かすんじゃないだろうな。
親近感は嬉しいけど、これじゃ、「このおじさん、何者なんじゃい!」と思われてしまう。
どうせなら、仮面ライダーの変身ポーズを決めてやり、ちょっと喜ばせてやろうかな…。

やっぱり、やーめた。 あのクソガキども、「仮面ライダー隊」とか言い出して、まーた、調子こくぞ!
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2012年04月25日

アルファー波

22日のバスツアーも、これで書き納めかな。

一番印象的だったのが、弥彦の桜を散策したときの「自然の音」である。
万代のような雑踏では、車が行き交う音やけたたましい足音、店先の音楽やら客引きの声など、ノイズ音の中で生活しているようなものだ。
ところが雑音に慣れているからこそ、自然の中で耳を澄ますと、普段忘れていた音が敏感に響いてくる。
小鳥のさえずり、池の鯉の水しぶき、小枝を踏んだときの乾いた音、服擦れの音なんかもそうだ。
いや、音だけではなく、野山の草花から香る匂いなんかも、どこか懐かしい心情にとらわれる。

それは、目から入る情報だけではなく、五感の働きあっての感性なんだろうね。
こうして、自然の中で寛いでいると、少年時代の遠足や登山で感じた記憶がよみがえってくるんだ。
心や感覚を少しでも解放できたようで、何だかまた行きたくなった… 今度は秋の紅葉もいいなあ。

よーし、そのとき、一丁、「野ぐそ」でもしちゃおうかな…  ルンルン、ブリブリ!
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2012年04月24日

バスガイド

22日のバスツアーなんて、いつ以来だったかな…?

移動中は寝ているか、読書をしているかなので、車内の騒々しさは苦手である。
それが観光バスにもなると、マイクを通したアナウンスが趣向を妨げられて、きつく感じたりもする。
それでも、空々しく耳を傾けていたら、だんだんとバスツアーのおもしろさがわかってきた。

例えば、観光名所に差し掛かるとバスの速度に合わせて、見事な尺でガイドを完成させるあたり。
ひな型はあるだろうが、適度に抑揚をつけながら、時事の話題で気持ちのつかみにも長けてたりする。
硬くならず、車内に流れているラジオ放送を聴く感覚であれば、結構と楽しめるものだ。
この際、「うるさいな」より、「聞いておこう」と思っていた方が、観光巡りが一段と楽しめるだろう。
だから、ガイドさんが案内をしているとき、不機嫌と化して水を差すぐらいなら、反応して楽しんだ方が、何だか人生をエンジョイしている気がする。

バスガイドさんは、身近なエンターティメントなのである。
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2012年04月23日

夜桜見物

22日、相方と上越の高田公園まで、夜桜見物のバスツアーに出かけた。

12時万代バスセンター発、弥彦と柏崎を経由して、18時に高田公園に到着。
天気予報どおり、小雨雑じりの強風のため、臨場感ある桜並木を優雅に歩くことができず残念だった。

日本人は儚いものに心を惹かれる。
自然の儚さの代表こそが桜であろう。
人を魅了するほどの花を咲かせた後、その花びらはヒラヒラと雨風に吹き飛ばされていく。
何日かで、地面の花びらは掃かれてしまい、美しさの形跡を緑に変えて、瞬く間に忘れ去られてしまう。
その後、何の気なしに歩いている道すがらでも、それが桜の木とは気づかなくなるものだ。
忘れ去られていく、侘しさも桜の魅力である。

高田公園の地面に落ちていた、桜の花びらを数枚拾って、ポケットにそっと入れてきた。
似合わないことするなと言われそうだが、グラスのフチにそっと浮かべようかなと思って。

断じてからに、わしゃ、桜の木の枝を折るほど野蛮人ではなーい。
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2012年04月22日

そういう男

3週間前まで全裸だった、桜の木が見事なピンクを咲かせてくれた。

21日午後、部屋の窓から満開に咲く、桜の木を見ながらタクシーを手配した。
行先は、新潟大学病院に入院している、お客さんの見舞いに行くためである。

今から、11年ほど前のエピソードになるが、確固たる理由のもと、変な誤解や詮索はしないでほしい。
某組織の親分が脳梗塞で緊急入院したことがある。
偶然の運命を受け容れて、二度ほど面会に行ったが、あまりにも生きる世界が違い過ぎた。
そのため、身寄りの薄い人だったが、覚悟の上での人生であったのだろう。

しかし、行くたびに、病床で静かに寄り添っている男がいた。
最初、ボディガードだと思っていたが、親分は組織を引退しているので、対抗勢力も仁義に反するマネはしないはずだ。
親族ではない男に、「いつも、こうして、見守っていらっしゃるんですか…」と、たずねてみた。
すると、「ええ、昔お世話になりましたので…」と、聞き取れないほどの低音でボソリと答えた。
僕は、二人の師弟関係を知ろうとは思わないし、そんな人脈に関わることもゴメンである。
だが、アンダーグラウンドな世界でありながら、人としての道徳は一般社会よりも厚いものがある。
彼らの世界では、それを「仁義」と呼ぶらしいが、少しでもその気持ちを想像すればわかるであろう。
男の年齢は、僕とそう変わらず、その筋では名が知れていた。

住む世界はどうあれ、人の役に立つ人間は愛される。
その人のためになったら、頼られるし、慕われるのが、社会的に役に立つ人間なんだと思う。
それは個性や感性、価値観にそっているので、見返りを求めるようなことではない。
僕は倫理観はハッキリさせたいが、こういう理由があるので、人を色眼鏡で見ないようにはしている。

僕の年齢からすれば、人生を頻繁に、「待った」できない。
人の人生に余計な口ははさまないけど、人間の連帯感を大切に暮らしていく必要はあるだろう。

見舞い先の病室には、いつもその人に付き添って、身の回りをお世話しているM脇さんがいる。
現在、古町で飲食店を営むM脇さんは…   「そういう男」なのである。
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2012年04月21日

春は告白

仕事上、「いい人がいたら紹介して」と言われることがある。

86年頃、「男女7人夏物語」という、恋愛テレビドラマが人気だった。
「明石家さんま」演じるツアーコンダクターの良介が、「池上季実子」演じる年上のディトレーダー千明に憧れを抱き、秘かに交際することになった。
しかし、相性に無理があることを薄々感じた良介は、「大竹しのぶ」演じるフリーライター桃子に気持ちがあることが、はっきりとわかりはじめた。
そんな複雑な気持ちを抱えたまま、嵐の夜に三人がニアミスしてしまったことが関係を決定ずけた。
ここが、あのドラマの大きなヤマ場だったかと記憶している。

恋愛のキーワードは、「人は近くにいる人を、自然と好きになる」と思っている。
会話や接触の回数が多いほど、自然と愛情は深まるもので、芸能人とマネージャーが結ばれやすいのは、そんな心理が働くからであろう。
そのほとんどが職場関係だったり、日常のせまい生活圏での出会いだったりする。
ふたりの距離は次第に狭まっていき、見えない糸に導かれていくのだと思える。
出会いがないと嘆く人がいるが、ゆっくり見渡せば、身近な異性と愛情が積み上がっているときはある。
あまりにも近すぎて、気がつかないというか、どこかで認めたくないんだろうね。

遠くの女性には憧れるものだけど、近くの女性にはリアリズムを感じる。
どんなに美人な女性を見ようがすれ違おうとも、普段の生活環境から親しくなった女性に気持ちが向くのは、男にとっては自然なことのように思える。
本当は気があっているのは、わかっているんだけど、自分が相手に電波を送っていないか、相手の電波を自分が受信していないか、チャンネルを合わせていないだけなんじゃないかな。

一番悪いのは、告白されるのを待つだけの態度。
素直に言っちゃえば、環境は変化するもの。
それに告白してくれた相手の純粋な気持ちを、周囲に言いふらしたりするのは学生レベルのお話。
だから、思い切って告白した方がいいんじゃないかな。
僕自身、恋愛を上手に語れるほどの経験や自信もないけど、はっきり言えることは早く言ったモン勝ち。
恋愛の考え方は、いたってシンプルであるべきだと思う。

冒頭文、小さな紹介はできるけど、もう気持ちの上で定まっている女性がいるんじゃないかな。
女性は白黒はっきりしているから、ぼやぼやしていると気が変わられちゃうよ…  と、思うわけ。
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2012年04月20日

おじさん(5)

19日午後、部屋のカーテンを開けたら、桜がいい具合に開花していた。

寝覚めのシャワーを浴びて、コーヒーを飲みながら、ボンヤリと桜を見ること数分。
「よし、行こう」と、自分自身に声をかけて、自転車で外出した。
行先は全5ヶ所で、万代に戻ってきたのが、予定時間が押して夕方の五時。
巻いて行動しなきゃと思いながら、何気なくここまでの順路を振り返ってみた。
一度も赤信号にかからなかったことに気づき、気分はひとり皇室、またはモーゼの十戒である。

某食料品売場では、生鮮食品を買い物かごに入れて、急ぎ足でレジに並んだ。
お釣りを受け取るとき、店員さんの左指と僕の左指が軽く重なった瞬間、少しトキメキを感じた。
結構シャイなので、奥手と言おうか、どこか遊び人にはなりきれないタイプのようだ… 童貞か!

今日は道のりに運の良さを感じ、指の接触に高鳴りながら、おじさんの好奇心はまだまだ健在である。
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2012年04月19日

大きな熊手

相方の話題をさらりと…

18日、店に色彩豊かな花束が届いた。
ピンクのバラを基調にカーネーション、カラー、ランの色彩が、店内に春の訪れを告げたようだ。
立て札には、ポップな字体で、「ママへ お誕生日おめでとうございます Yより」と記してあった。
贈り主は、長いおつきあいをさせていただいている、気品ある女性のお客さんからだった。
花束は一日早かったものの、今日4月19日は81回目(?)となる、妻の誕生日である。

東京から新潟に移り住んで早十数年。
毎年、東京の女友達からは、可愛いバースディカードが贈られてくるが、新潟では初めてのことらしく、嬉しさも格別だったに違いない。
それは花束にこもった、心が嬉しいのだと思う。
相方に、「お客さんのキューピット役でもしたの…」と冗談めかしてみた。
「そんなことないよ」と言いながらも、自然に口角が上がっていたのは知っている。

えっ、肝心の僕は、何を贈るかって?
はい、今晩、枕元に商売繁盛と書かれた、「大きな熊手」を置いておきますが…  何か問題でも?
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2012年04月18日

坂道にて…

新潟大学病院から、東中通りに抜ける坂道がある。

某日深夜、病院から一歩外に出て、ひとりで坂道を下っていたら、言い知れない孤独感に襲われた。
そのまま、ネオンが弱くなった古町に身を置くと、フッと他人事じゃない思いを馳せた。
身内の不幸ではないにしろ、いるべき人がそこにいて、あるべきところにそれがあること。
つまり、何の変哲もない日常こそが幸せなんだと。

震災以来、絆の尊さがうたわれたが、絆を育てようとする精神は少ない。
絆という言葉が少し負担になるのであれば、じゃあ、関わり合いでもいいだろう。
だけど言葉を換えても、きっと関わろうとはしないでしょ。
震災の被災者を早く日常に返すことが絆なのに、ガレキの受け入れさえ拒んでいるんだからね。
何かを通して、考えを深められないことは、わかっていながら避けているのと同じだ。
僕も人の子なので、そりゃ、自分の問題でなければ避けて通りたいよ。
でも、そうやって避けてばかりいると、いずれ自分の問題として振りかかってくるものだ。

それに、耳ざわりのいい言葉に酔いしれる体質も嫌いだ。
結果以前に、人は行動でしか信用できないと思っている。
結局は、想像力がゼロなんだ。
社会的に必要とされる人は、友人や仲間どういう年齢や立場であれ、利害抜きで人の役に立つわけ。
そうじゃなきゃ、絆なんて育めないし、本当のところ仲間にもなれないでしょ。
長年の人間関係を清算される原因には、人と誠実に付き合わなかったことも考えられる。
これを書いたのは僕だけど、書かせたのは人間関係の力でもある。
興味が無ければ、このブログの頁は忘れてくれ。

東中通りに抜ける下り坂道では、多くの人がいつになく、いろんなことを考えて歩くんだろうね。
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2012年04月15日

アカペラ娘

14日、新潟駅前で飲み会があった後、顔を見せてくれた30歳前後のNくん。

おもむろに、「彼女の誕生日に、ジャズのCDをプレゼントに添えたい」という。
それで、「何がいいかな」って話なんだけど、僕の意見は、「ジャズはやめておけば」になる。
ジャズって、自分が思っているほど、相手にイメージが伝わらないものである。
彼は、「橋から見た川に映る夜景」をイメージしたが、彼女は、「客船から見た対岸の夜景」をイメージ しているかも知れない。
描き方は人それぞれだけど、気持ちをひとつにするには、表現上の解釈が難しいかも。

それでも、彼女に想いを伝えたければ、素直に日本語の歌詞がいいかと思う。
じゃあ、英語の歌詞はと言ったら、対訳せずに贈ったら、とんでもない歌詞だったなんてこともある。
例えば、英語に対訳された、さだまさしの「関白宣言」、平松愛理の「部屋とYシャツと私」を知らずに  聴かされていたら、何だか「ドキッ!」としちゃうよね。
それと同じで、歌詞を知らずに贈るのは、結構と勇気がいるものだし、贈り方もあるだろう。

こんなエピソードがある。
20歳のとき、大宮でひとり暮らしをしていた。
その頃、女子高生から「聴いて下さい」とつぶやかれ、一本のカセットテープをもらったことがある。
手作りのかわいいイラストジャケットに、柑橘系の香水をちょっと染み込ませていたかと思う。
女子高生が恋愛感情を抱いて、プレゼントしたのかどうかはわからない。
その夜、小さいラジカセで再生すると、「音符のように、すれ違って…」だったかではじまる、松田聖子の「天使のウインク」だった。
「へぇー、かわいい贈り物をするんだな」と思って、聞き流していたが、二曲目に恐怖を感じた。
同じ「天使のウインク」でも、女子高生本人が肉声で歌う、アカペラ(無伴奏の歌声)が流れてきた。
僕は音符のように…びっくり仰天、「ワーオ」と叫んで、四畳半一間のせんべい布団でひっくり返った後、壁に向かったままじっとしていた。
過剰過ぎる女子高生の演出に恐れを抱き、しばらく落ち着かない通勤が続いた。

うん、音楽を人に贈るのは難しい。
聴いている人は、歌詞に気分を奪われたままの状態になるので、高ぶりに後押しされて贈るだろう。
だから、僕は自分が感動したからといって、人に音楽を贈ることはない。
あるとすれば、理屈じゃない感情に動かされたときかも知れないね。
それでもジャズは大好きなので、稀に同じチャンネルを持つ人とは、子供のように目を輝かせ合い、  音楽談議にのめり込んでしまうときもあるんだけどね。

Nくん… 彼女に贈るのなら心情がわかる音楽、取り分け日本語の歌詞がいいかと思うよ。
それに今はまだ、君のアコースティックギターによる、弾き語りは聴かせないほうがいいだろう。 (笑)
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2012年04月13日

Bob James (Ker)

「Do You Remenber Me?」…  僕が初めて、外国人相手に文法で話しかけた英語である。
相手は、「Mr. New Yorker」と呼ばれた、「ボブ・ジェームス」(キーボード奏者)だった。

高校二年の3月。
その日、進級がかかった期末テストの前日でありながら、呑気にも新潟県民会館へ、「ボブ・ジェームスジャパンツアー82」のコンサートに友人と出かけた。
昼過ぎには下校できたので、バイクで西堀通りの三越の交差点で信号待ちをしていたら、白人二人が歩道で立ち止まっている姿を見かけた。
ボブ・ジェームスの横顔に気づき、バイクを歩道に寄せてから、わかる限りの英単語を身振り手振りで、今晩のコンサートに行くことを伝えたら、とても紳士的な笑顔で応じてくれた。
開演時間は18時半、そこから逆算すれば15時には会場入りして、サウンドチェックからリハーサルの 流れになるんだけど、時刻が16時頃だったので、「大丈夫かな」と思ったほどの余裕ぶりだった。
会場入りしたら案の定、リハーサルが長引いており、開演時間がずいぶん押した覚えがある。

ステージは、フュージョン界の大御所の演奏が悪いわけないんだけど、あまり印象に残らなかった。
全体のサウンドがゆったりとしたノリに聞こえて、フレーズがわかりにくかったんだと思う。
「お前の耳が悪い」と言われれば、それまでなんだけど、各パートのソロ回しが長過ぎて、途中から飽きてきたのが本音だった。
正直に言うと、欧米人のミュージックビジネスという感じを受けたんだ。
大都市ではがんばるけど、地方都市では軽く流そうかって感じかな。
前年まで、クルセイダーズやネイティブサン、渡辺貞夫、日野皓正などを聴いていたから、コンサートの演出なんかも含めて、どこか比べていたのかも知れない。
あの頃は、フュージョンブームだったから、ツアースケジュールもタイトだったと思う。
例えて言えば、フルコーラス10分の曲を編集して7分で終わらせるとか、演奏は手を抜いてないんだが早くエンディングに向けてキュー(合図)を出していたりさ。
なまじっか聴いていたから、そんなことも感じるようになっていたのかもね。
まだ日本では、大物が来たこと自体を神様扱いしていたわけで、手を抜いた演奏をしたとしても、整然とした拍手で締めるのが国民的な特徴でもある。
メンバーのハイラム・ブロック(G)は、後のデビット・サンボーン・グループの時と比べると明らかに、  「あの時とは違うな」って感じたんだよね。

終演後、楽屋入口で、「Do You Remenber Me?」と声をかけた。
興味津々に顔を向けて、「Wow! Moterbike #$#& Boy」と、満面の笑顔で肩に手をかけてくれた。
僕も思わず、「Great!」なんて言って、思いっきり、先ほどの日本人になっていた (笑)

そんな人柄のいい、ボブ・ジェームスも今や72歳の現役である。
世界的に有名な「フォープレイ」のキーボード奏者で、有数なコンポーザー、アレンジャーでもある。
僕自身、これといった愛聴盤はないんだけど、アコースティックジャズのコンテンポラリーなフォーマットで奏でる、トリオ名義がいいかも。
「STRAIGHT UP」 BOB JAMES TRIO (1996)
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2012年04月12日

ガンバルマン

[8−2] これ、当店の男女比。

若者ウケするバーとは一風違い、ジャズバーは、「おやじの巣窟」となる。
お客さんからも、「この店は女子禁制なの?」とジョークを飛ばされる始末。
そのお客さん、「女はめんどうだ…」とダンディにつぶやくけど…  嘘つき(笑)、僕は知っている。

ある日、男性ふたりがカウンターの隅で、別々に過ごしていた。
普段は、ビール好きなAさんとバーボン党のBさんだが、その日だけは違った。
静かに扉が開くと、黒いスーツに身を包んだ女性が入ってきた。
年齢は35前後のキャリア風で、慣れた感じで「ジントニック」をオーダーした。
オーダーを告げる発音がきれいだったので、人前で話をする仕事に従事しているとさえ思えた。
ジャズバーに入って来るタイプには見えなかったが、薬指のリングが落ち着いた印象を与えてくれて、 初めてじゃない態度であることはわかった。

逆に、落ち着かなくなったのは両サイドの男性客。
ビール好きのAさんが突然、「マッキャラァン」(マッカラン・MACALLAN)と、現地語のようなアクセントでスコッチをオーダーした。
「今日は珍しいな」と思ったら、今度はバーボン党のBさんが、「バーウマウ」とオーダーしてきた。
一瞬わからなかったけど、バックバーを見つめる先には、「ボウモア」(BOWMORE)のラベルがある。
「今日はどうしたのかな」とも思ったが…  はい、はい、その理由はわかりましたよね  (笑)

ラベルで勝負して、他の男の介入を許すまいとしたのかな。
それとも、彼女の才色兼備な雰囲気に押されちゃったのかな。
それって、カラオケではいつも演歌しか歌わないのに、おねえさまがいるとラブソングを選曲する感じ。
無言劇にも似た熾烈な争い(?)をよそに、彼女は髪を軽くかき上げながら、2杯目のジントニックを   きれいな発音で告げたのは、2010年初夏の出来事だった… 

おやじは突然、「ザ・ガンバルマン」に変身するのだ! 
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2012年04月11日

ムダに長い

某日、某所の某会合に出席した際、あまりの長さに痺れを切らして、静かに退席してきた。

昔から、長い会議ほど苦手なものはなかった。
テーマがしっかりと議論されていれば、ムダに長い会議にはならないはず。
どこの会社でも、会議が好きな上司っていると思うけど、前口上が長くて進行しない。
早く終われば終わったで、「時間をかけて、話合いをしてない」と言い出す人もいる。
これをおかしいと思うのは、時間を費やしたことほど、あまりいい結果をもたらさないんだ。
それこそ、パワーゲームに興じている人ほど、議題を詰め込み過ぎる傾向にある。
つまり、時間をかけることに満足感をもってしまうため、内容よりも言葉の数が称賛されるようになり、 そうなると周りは、充実感より辛さを感じてくるんだ。
時間をかけて上手く行くのは、物理的な力が要することであって、普段の仕事にほとんど適さない。
現場に戻って仕事をしたいタイプからすれば、苛立ちを覚えるのは無理もないだろう。

その会合は、参加者に異常なまでに気を使い過ぎて、結論に到達できないまどろっこしさがあった。
僕も参加者の一員だったけど、庶民感覚ってひねくれた質問を飛ばすことじゃないしね。
まだ、「具体的にそこは議論したのか」だったらわかる。
だが、「時間をかけてもっと議論すべき」と言う人って、話し合いを留めておくことに、「保留の美学」でもあるのかな…、とさえ感じてしまうんだ。

会議や会合の進め方を、いっぱしに解説している訳でないし、そんな能力など持ち合わせていない。
僕が言いたいのは、もう少し世代を越えて、肩書や過去の栄光に肩肘を張らず、自然に会話できないのかなということ。
肩書を手にした人は、どこか社会を生き抜く術として、無意識のうちに人を押しのけて支配したいという 願望が強いようだが、その先にあることに思いは至らないようだ。

脈々と書いたけど、本当のところ、焼鳥を買いに行く時間が押してきたので、退席したんだけどね (笑)
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2012年04月10日

寒梅と野草

夜桜のように、深夜のバーでひっそりと会話する人が増えてきた。
いや、待てよ… 夜桜は人に見物されるから、秘密めいていないな。
そうすると、人知れずひっそり純白を咲かせる、寒梅の方がお似合いであろうか。

バーは、「人間の素顔が見える場所」ともいわれる。
その人の人格や教養までも、あらわになる格好の場所でもある。
いくらセンスのいい身なりをしていても、飲み方と会話で透けてしまうというものだ。

こんなエピソードを紹介する。
ある日、女性ふたり連れが神妙な会話をしていた。
そこへ、酒に酔ったお客さんが、ズカズカと会話に割り込み出した。
バーでは、よくある光景なんだけど、端的に対応力が出る場面でもある。
軽くあしらう女性もいれば、無視を決め込む女性もいるし、しょうがなく付き合う女性もいる。
こればっかりは、時間、場所、場面、そして、相性や程度もあるので、大人の社交場ながら、言葉の中に沈黙があるように、社交をしないのも社交だったりする。
そうしたら、その女性は「今、大切な話をしてるから、ごめんね…」と、にこやかに意思表示をした。
こういう場面、自分で解決できるような、知的で凛とした女性は僕は好きだ。

それは、桜のような八方美人ではなく、厳冬に咲く寒梅のような大人美人。
何でも開けっぴろげにするんじゃなく、秘密めいた部分を感じさせてくれる女性とでも言うか。
その秘密を知ったとき、男は女に開花宣言するんじゃないかな…

僕は勝手気ままな野草タイプなので、個性がはっきりした寒梅タイプに憧れがあるのかもね。
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2012年04月09日

深夜の銭湯

8日、久し振りに遅い時間に銭湯へ行った。

この時期、昼の銭湯は春の日差しを浴びて、どこか活劇風な雰囲気となる。
深夜の銭湯は、人間模様に哀愁が漂っているようで、昼の雰囲気とはかなり違ってくる。
浴槽のヘリに腰掛けてボッーとしてたり、頭からシャワーを浴びてジッとしてたり、疲れた雰囲気がある。
脱衣場でも、誰ともしゃべることなく、ただ無気力に過ごしているだけ。
パンツ一丁、時の流れに身を任せて、雑誌をペラペラめくっていたり、テレビをボッーと眺めていたりと、何も考えなくてもいい空間がそこにある。
また明日から、はじまる一週間の前夜だから、はやる気持ちを調整している気もする。

それは夜中に、近所の猫が自然に集まってきて、どこか無言の夜会をしているようにも思える。
夏目漱石の「吾輩は猫」のように、猫の目線で人間観察してみると、意外と新しい発見があるかも。
そこの銭湯には、黒の飼い猫が番台にちょこんといるんだけど、猫の目線には、何が映っているのか 知りたくなることもある。
もしかして、人の心を読んでいたり、その人の寿命を知っていたり、物言わぬ使者だったりして。
湯上りの脱衣場で腰にタオルを巻き、木製の縁台に座りながら、あれこれと猫の目線で想像してみた。

こうして、長い一日が終わりに近づく深夜の銭湯。  他人と分かち合う空間は貴重かも知れないね。
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2012年04月08日

サプライズ

今晩7日は驚いたね…  いゃ、本当に…  こんなことって実際にあるんだね…  いやぁ…
えっ、何が驚いたかって?   そりゃ、そうだよね。

今から、約30年前の職場の方々が、突然10名ほどでご来店して頂いたんだ。
10〜20年前だったら、まだ余韻はあるけど、30年前ともなると、もう「知ってる他人」になるでしょ。
店を経営してることを、風の便りで聞きつけた9歳上の元上司が、当時の職場の方々を率いて下さった。
当時は僕が最年少18歳、その上が元上司の27歳、多くは男女35〜55歳が幅を占め、総勢30名ほどの中小企業だった。
実は二年ほどで辞めて、東京方面に単身で就職したので、けして長いおつきあいではなかった。
僕のことを覚えていてくれたのは、よっぽどアフロヘアーのインパクトが強かったようだ。
会社は約20年前に解散となったが、こうして年に一度、桜の咲く時期に集合すること18回目だという。
僕も全員の顔と名前をピタリと一致させたので、年月の距離感を縮められたことは人なりに収穫だった。
30年後の今となれば、一番の高齢が80歳オーバー、若くて56歳、続いて僕の47歳。
仕事だけではなかった、諸先輩方の温もりに感激させられるとは思わなかった。

あと少し語らせてもらえば、僕の十代、「オモチャ箱」だった。
「これからするであろう体験」を寝る間も惜しんで、全力で巻き上げては夜通し遊びに遊んだ。
逆に遊ぶ軍資金を得るため、生意気盛りだったが、認められるように努力は不器用ながら示した。
だから、成人式で一度落ち着いてから、二十代はエゴイスティックに自分の夢ばかりを追いかけた。
それでも、いろんな人たちが応援してくれていることを知ったりすると、僕ひとりだけの存在なんて、    アピールできないものだ。
人生を共有するということは、こういうことなのかも知れないね。
それだけでも開店して良かったと思うし、そうじゃなければ人間不信に陥っていたかも知れない。

過ぎた時間の長さに気づいた今、人生のサプライズを経験させていただいた。
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2012年04月06日

男性医学

絶対匿名さんの体験談ではあるが、あまりに抱腹絶倒したため、僕ひとりの胸の中にしまっておくのはもったいない気がして、今回は特別に公開させていただくことにした。

その方、僕らと一緒で子供がいない夫婦である。
昔、子供が授からないのを悩み、ご主人が某病院で検査を受けることにしたという。
男は精子を調べる必要があるので、フラスコを持たされ、トイレで採取するように命じられた。
この手の話は耳にしていたが、個室で雑誌や映像を使って採取する、そんな設備はなかったという。
つまり、トイレの個室でイマジネーションを使って、大放出しろというのだ。

「まあ、仕方あるまい…」と、いろんな体験に想像を張り巡らしては、ふんばって一生懸命に集中したが、問題は大病院のトイレのため、患者や外来者が頻繁に用を足しに来るという。
小便を採取するのと訳が違うのに、イク寸前で「バタン」(扉の音)、「シャー」(放水の音)やら、「ブッ」  (おならの音)だのと、人の出入りの擬音が多くて採取に集中できない。
そのうち、鼻歌や口笛が聞こえてきたりして、すっかりと萎えてしまったという。
病院の検査とはいえ、まさかベニヤ板1枚向こうで、下半身丸出しのおじさんが左手にフラスコ、右手でモノをまさぐって、蒸気した瞑想の赤ら顔で汗を流している姿が、そこにあるなんて思いもしないだろう。
しかも、トイレの個室で昇天して、脱力感にとらわれた姿は寂しすぎる。
決定的に「ここでは無理だ…」と思ったのが、掃除のおばちゃんが隣の清掃用具入れの扉を開けて、 ガチャガチャとバケツやらホースを引っかき回しだしたとき。
看護師に採取場所の変更を申し出て、誰も来ない病棟だか、職員のトイレに替えてもらったとか。
「立たない」つらさに、「うおおぉぉ〜!」と叫んで(?)、おぞましく放出しなきゃならないおじさん。
そんな汗と涙の個室のひとり情事(?)を聞いて、僕はハイ、あなたがとても好きになりました。

男性医学とはいえ、大変お疲れ様でした…   その先を聞くのは野暮でしかない。
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