2012年03月11日

一通の手紙

先日、友人の母親から、お手紙をいただいた。
読んで字の如く、全文手書きであり、お気持ちを頂戴した。

パソコンが普及する前、文章は書く回数で鍛えられ、辞書を引く手間を惜しむこともなかった。
今は便利になった分、逆に言論の質が低下することが避けれず、「文は人を表す」格言も通用し難い。
そんなツールに依存し過ぎると、自分でない文章に陥りやすく、性格を映し出す鏡になる場合もある。
理由は簡単で、直筆は時間と疲れを要するだけでなく、考える時間も含めて冷静な文章が書ける。
だが、ツールは考える時間を短縮できて、感情のおもむくままに打ち込んで即座に送信ができる。
それが証拠に、ネットで論争する馬鹿げた風潮はあるけど、手紙で論争になることはないように、冷静に考えられた文章とは、自分の心だけでなく、相手の心までも動かすのだと思う。
古典ながら、それが、「手紙の効力」である。

ツィッターやメールは、言葉遊びや伝達文であっても、その中身にはさほど意味はない。
風潮的に論文を馬鹿にする傾向もあるが、軽い文章に慣れ過ぎると読解力がズレまくる。
中には、人をうんざりさせる長文もあるが、スナック菓子のような短文では、さっぱり意図がわからない。
それこそ、つぶやきレベルで気持ちが届けば、人間関係で苦労することはない。

遠い昔、部下に始末書を提出するように命じた。
ほどなく届いた始末書は、全文ワープロでどこから抜いた文章かわからないが、美辞麗句を並べただけで、自分の言葉とはほど遠く、がっかりした記憶がある。
文章を綴るだけなら、形式的にパソコンで充分だが、想いを伝えるには、軽い手段かも知れないね。
大切なことほど、膝を付き合わせることと同じで、本当は、「文は人を表す」ものだ。

そんなツールと決定的に違うのは、手紙には気持ちが乗せられてくること。
友人の母親からの手紙を読んでいたら、僕自身の母親のことも思い出してしまう。
15行の便箋に近況や気遣いなど、時間をかけて書いたと思われる直筆に想いを受け取った。
人の心を知るためには、人が書いたものを読むことで、心が洗われることも教えてもらった。

生涯、手元に置いておく、「一通の手紙」である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする