2012年03月31日

嫌われた…

先日、某大型リカーショップで、高校時代の同級生を30年ぶりに見かけた。

話しかけるにしても、本人かどうか今ひとつ定かでないので、後ろから当時のあだ名で呼んでみた。
反応がないので、今度はフルネームで声をかけると、ピントを合わせるような目で見られて、次第に目が丸くなっていく様子がわかった。
まず気持ちを解そうと、勝手に思いついた同級生の名を名乗ったが、口を半開きしたまま笑わない。
白々しくなったので、当時の言語で、「おめ、こんげとこで、なにしてあんてば」と砕けてみた。
すると、「東京にいたんじゃねえの」と硬い表情で聞くので、「とっくの昔に帰ってきたんてば」と答える。
しかも目も合わさず、「今、何やってん」と聞かれたので、「おめとしゃべってんだ」と茶化してみた。
そうしたら、山道で熊さんと遭遇したかのように、1.85mほどの男がジリジリと後方に下がっていく。
おいおい、俺は何者なんじゃい…

昔から、シャレにとんだ男じゃないが、「今度、飲み会するとき、連絡す…」と、言っている最中から言葉をかぶせて、「俺、医者から酒を止められたすけ、飲まんねんてば」と、よくある決まり台詞を使う。
「じゃあ、何でここで日本酒(北雪)持ってるんてば」と、突っ込みを入れたら、「人にやる…$#%」と、 急に語尾が乱れ出す。
小理屈も得意な男なので、「よし、それでは再会を祝って、その酒は俺が飲むことにする… くれ!」と、冗談を浴びせると、まるで道端で犬のうんこを踏んだような顔をしながら、無言でレジに消えていった。
ますます、俺は何者なんじゃい…

せっかく、人生後半に向けて、「仲良し倶楽部」を結成しようと思ったのに。
今度会ったら、身振り手振りを交えて、「Excuse Me」、「Good Morning」、「No Problem」、とか、メチャクチャな英単語を並べながら、陽気な外国人編で、「サンバのノリ」で話しかけてやる。

うーん、やっぱり、俺は嫌われている…  バンザーイ(笑)     Leave Me Alone.
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月30日

2012 April

【4月定休日】 
    1日(日)・ 8日(日)・15日(日)・22日(日)・30日(月)

   29日(日) 通常営業致します

 住所    新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話    025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日   日曜日 (最終日曜日のみ営業) 
 客席数   カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

29日、街の中心部が久し振りに息づいて見えた。

日中はまだ肌寒いものの、ご婦人たちの着衣もカラフルになってきている。
学生も春休みなので、色とりどりの躍動感が街中に溢れている。
花屋の店頭に並ぶ花の色、鉢植えの数も増えたような気もする。
行き交う人の顔も初々しく感じ、道すがらに興味を抱いてしまう。
そうだ、やっぱり、春は人の気分を活動的にさせてくれるのだ。

僕の部屋の窓から桜の木が見える。
今はまだ、木の骨格だけの全裸ではあるが、あと1ヵ月もすれば、見事なピンクカラーを着飾って、   人の心を魅了してくれるだろう。
気がつけば、スカイブルーが見える日も近い。

春よ…   遠慮せず、もっと近寄って来い!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Infomation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

Jazz Talk Vol.10

時は80年代、「ナベサダ・ブーム」
何かの音楽雑誌で、サックス奏者の渡辺貞夫さんのエピソードがとても印象に残っている。

全国津々浦々、コンサートツアーで回っていた頃の話。
地元の興行主や有力者が終演後、ジャズクラブにメンバーを招くことはよくあった光景。
それまでの店内では、店主好みのジャズを流しているが、そこに本人が来店すれば、ツアータイトルのレコードに切り替えるのはお約束となり、過去のリーダーアルバムを流すこともある。
店主は歓迎の意で流しているんだけど、本人からすると複雑な心境であり、若かりし過去の洗礼を受けているようで、結構きつかったりもするらしい。
若さゆえ、必要以上に怒鳴りまくっていた我が音。
つまり、今とは比べものにならない、過去の音色を聴かされるんだから無理もないだろう。

進化を遂げたミュージシャンは、必ずこういう思いを抱くことは知っている。
キース・ジャレットも、過去の名盤には触れたがらない。
ケルン・コンサートにしても、周りが騒いでいるだけで、本音はどこ吹く風かも知れない。
それは前進するためには、名盤で立ち止まってはいられないと解釈できるんじゃないかな。

僕自身、似たようなエピソードがある。
昨日のブログで紹介した、益田幹夫さんことミッキーとは、ほどよい距離で親しくさせてもらった。
場所は、旧新宿ピットインでのこと。
白熱した1ステージが終わっても、まだ店内には熱気がこもっており、誰ひとり席を立たない状態。
客席の通路から楽屋に戻る途中で声をかけたら、そのまま後方席に移動して水割り片手に談笑した。
ライブの印象を短く伝えると、いつもの甘美な表情をしながら、額の汗を軽く指ではじいた仕草が、とても孤高な味わいを感じさせる人だった。

フュージョンブームで、キーボード奏者のイメージが強かったが、85年以降はアコースティックピアノ  しか弾いておらず、本格的にジャズピアニストとしてカムバックした。
経緯は知りつつ、透明感のあったフュージョン時代のことを、うかつに会話に取り上げてしまった。
すると表情がにわかに曇り、「あの頃は忘れて…」と、チラッと苦い視線を向けられた。
一瞬、「言葉足らずだったかな」と思ったが、当然他意はないし、寧ろ過去の作品冥利に尽きる。
後で知ったのは、フュージョン時代の功績は残したが、行き詰ったことが本音にあったという。
アコースティックなジャズに専念して、意欲的な活動を続けているが、なかなか印象を拭いきれない、 プロとしてのいらだちもあったかも知れない。
「現在と過去の名声に酔いしれる訳にはいかない」… そんな気持ちがあったんだと思う。

10年も前の作品を持ち出されるのは、方向性が定まっているミッキーにとって心外だったはず。
そう言わせてしまった僕もいけないが、ファンとクリエイターの心理は異なる場合もある。
進化している人についていくには、こちらも進化せねばということに相通ずるのかも知れない。
どこか僕にだけ、つぶやいてくれた本音のようで、ますますミッキーのことが好きになったね。

冒頭、渡辺貞夫さんのエピソードに直結するような、僕自身のエピソードである。
未来語れど、過去語らず。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月28日

益田幹夫(P)

70〜80年代、ジャズシーンの第一線で活躍していた、ピアニスト「益田幹夫」さんをご存知だろうか。
その名を知っていれば、長いジャズ歴を持つ方に違いないであろう。

22歳「日野皓正グループ」、25歳単身渡米し「アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャー」に在籍。
帰国後、「渡辺貞夫グループ」で活躍し、早くからフュージョンに取り組むなど、意欲的な活動を続けていたが、交通事故に遭って活動を一時休止。
86年、アコースティックでカムバックしてから、カルテット2枚、トリオ1枚のリーダー作を発表。
その後、難病を患い、また音楽活動を休止せざる得なくなる。
それでも、90年代後半にかけて、ロン・カーター(B) ルイス・ナッシュ(Dr) グラディ・テイト(Dr) らの大物をレコーディングメンバーに加え、2枚発表したうちの1枚が、「SJ誌ゴールドディスク」を受賞。
しかし、難病が進行して、人知れずにジャズシーンから消えた、実力派のジャズピアニストだった。
(プロフィールが長くなってしまったが、これでもショートカットした方である)

その音色はロマンシズムに溢れ、美しく親しみやすい上、音の深みにとても定評があった。
僕はテクニカルな部分よりも、どちらかと言えば、メロディーセンスに魅了されたほうだ。
そんな益田幹夫さん、通称、「ミッキー」とは、あるミュージシャンを介して、ジャズファンとして数年間は ほどよい距離でお付き合いさせていただいた。
終演後、何度か一緒する機会があり、レコーディング秘話、メンバーのこと、今後の音楽活動について胸襟を開いてもらったのは、嬉しくも懐かしい思い出である。
残念ながら、某有名人の一方的な暴露本で中傷された部分はあるが、それは僕が知るミッキーの姿  ではないので、言いように詰まってしまう。
事情はあったにせよ、同業で活躍していることを考えれば、一方的に意見を書くのはフェアじゃない。
ハッキリ言えることは、とてもナイーブだったけど、庶民的でとてもファンを大切にしていたこと。

ミュージシャンは、ファンから支持される存在である。
ところが名前が売れてくると、スポンサーのオファーに関心が向き、人気にあぐらをかく人もいた。
その点では、ミッキーはいつ会っても気さくで、いつまでも変わらない姿勢に好感がもてた。
ルックスは甘美なムードを漂わせていたので、若い女性ファンも多かったが、ミーハーのはかない望みにつきあうほど、甘い顔を見せない硬派な一面があることは知っている。
曲のクリエイティブ度は高く、どのアルバムも都会的なフィーリングに満ちていた。
決まりきったアドリブをしなかったのも、ガツンとしたプライドがあったんじゃないかな。

もう二度と生演奏を聴けないのが残念である。
店で愛聴盤を流して、リスペクトしているときもあるんだ…  ミッキー、サイコー!  

PS. 僕の愛聴盤
「Mickey Finn」 Mikio Masuda (1981)
「Dear Friends」 Mikio Masuda Quarutet (1985)
「Smokin Night」 Mikio Masuda Quarutet (1987)
「Autumn Leaves」 Mikio Masuda Acoustic Trio (1990)
「Black Daffodils」 Mikio Masuda(P) Ron Carter(B) Lewis Nash(Dr) (1997)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月27日

ゆとり世代

20代の若者が、「ゆとり世代」とラベル付けされた現状をどう感じているのかな。

「新人類世代」と呼ばれた、現在の40代 (1961〜1970)。
僕の10〜20代、大した見本にならないが、バブル景気の前兆期もあり、忙しない世代だったと思う。

柔道を8年近く続けていた、中学3年の春。
動機は、日頃の憂さ晴らしのためにしか過ぎなかった。
そうなると、もっと強い刺激を求めて、拳闘に興味を持ち始める。
父親に、「今度、キックボクシングのジムに、通わせてほしいんだけど」と願い出たが、動機を見破ってた親の判断は正しかった。
代わりに、ドラムのスティックをもらった。

その二年後、高校の吹奏楽部、アマチュアバンドのトラ(代役)として、ステージイベントで叩いていた。
あの頃は、金も時間もないけれど、体力と気力は充実していた日々だった。
1日の主要は、朝7時起床で始まり、学校の授業が終わるのが3時頃。
それから、5時半頃まで柔道部で汗を流して、家に着くのが7時半頃。
今度は9時まで、町道場の稽古に参加し、風呂と晩飯はその後となる。
10時半頃から、音楽を聴いたり、音が漏れないようにガッチリとパッドを張ったドラムのトレーニング  セットの前で、メトロノームのネジを何回も巻いて遊んでいた。
毎日、深夜1時過ぎの就眠はザラで、学校の休み時間で仮眠を取り、授業以外は勉強をしなかった。
とにかく、やりたいことだらけだったので、時間が一番欲しかった。
それに時間がないときほど、覚えるのも早かった気もした。

若くして、「時間があったら 〜したい」と漠然的に言うけど、逆にあれはダメだ。
時間があったらあったで、カラオケ屋なんかで何時間もダラダラと過ごすようになるから。
若い時ほど、時間に制約をつけた生活をしないと、せっかくの集中力が身につかなくなる。

定年退職された方々が、口を揃えて言っていたことだ。
「退職したら、あれもこれもやりたい」と目を輝かせるが、実際は退屈しのぎになるという。
今さら、人と競争する気力はないし、退職金を投じて趣味の店を始めたとしても、ガツガツと採算なんて考えなくもなる。
体力はもとより、若い気力だけは取り戻せないとも聞く。
時間に余裕ができたときには、あれこれと集中して覚えられないのが、現実なんだとも思える。
その意味で言えば、男の晩年は「心のゆとり」こそ、ロマンになるような気もするんだ。

若者に話を戻すが、義務教育+高校三年間+大学四年間の受験や競争論理を否定してどうすんの?
耳障りがいいだけの「ゆとり教育」の影響で、身に付けられるべき年齢を失いがちになるでしょ。
僕はそれでも、「ゆとり世代」を色眼鏡で見ないのは、「新人類世代」とラベル付けされたからだ。
それに、ゆとり教育の体裁を作っただけで、放りっぱなしにしてきた社会も悪い。
だからと言って、それを引き合いに出して、甘ったれた主張をする若者にはもっと腹が立つ。
僕が「ゆとり教育」に合意できない理由は、そういう偽善的な主張を嗅ぎ取ったからである。
「何もすることがない」という若者は多い。
だが、団塊世代と同じ座標軸で青春を過ごしているようでは、あまりにももったいない気がする。

若者にプライドがあるとすれば、それは「時間の使い方」だと思える。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

Bill Evans (P)

3月20日のブログで、ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビィ」を、ディテールに使った。
その後、お客さんとあの名盤について、楽しく語れる機会があった。

独創的なハーモニー、素晴らしきメロディーライン、そこは語るまでもない。
それより、拍手の数からして、大して観客が入っていないようなクラブギグに耳を傾けていると、観客が咳き込んだ声やグラスが触れ合う音まで、音楽に同化した奇跡に話題は及んだ。
スタジオ録音は良くて当たり前だが、その音に慣れ過ぎると、ライブ音源に抵抗感が出てくる。
当然なんだけど、音質の良し悪しが基準になると、その奥にあるアグレッシブさを感じにくくなる。
原点に戻れば、ジャズは人が演奏している臨場感があるからこそ、魅力的に仕上がると思っている。

僕が、キース・ジャレットの唸り声が気にならないのは、そういう意味もあるんだ。
それこそ、ジャズのリアリティーだし、甲高い即興ながら、いいフレーズだとも感じている。
それが機械仕掛けで、無機質な音の構成だけであれば、名盤は生まれてないんじゃないかな。
僕自身、理論めいたことを盾に取り上げ、難しくジャズを聴くタイプではない。
どちらかと言えば、本音の部分で情緒的なタイプだと思っている。

もう一枚、春にちなんで、サラッと紹介しておきたい愛聴盤がある。
「You Must Believe In Spring」 Bill Evans Trio (1977)
エバンスの晩年の作品ながら、「Waltz For Debby」同様、春の世界に誘ってくれるであろう。

昔、知人にこのアルバムを貸して、戻ってこないまま25年… あの野郎、返しやがれ! (#`Д´)凸
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

一日一喜

一日の生活で、何かひとつでも嬉しいことがあると、その日の気分に張りが持てる。
今日はそんな一日だった。

長年、同じ生活圏で暮らしていると、顔は知っているけど、話す機会がない他人は多い。
それでも、何度かすれ違っているうちに、軽く会釈をしたりしながら、反応を伺っている感じ。
それが、何かの機会で接点が生まれて話してみたら、もう気が溶け合っていたような感覚。
誰にでも、そんな経験はあるんじゃないかな。
その微妙な距離間が、大人のマナーであったりもするんだけどね。

コミュニケーションの前提には、自然とその人の人間像を組み立てていると思える。
怖い人かな、人見知りかな、よそよそしくされるかなとか、とかくマイナス感情の方が強いだろう。
しかし、予想外の反応だった場合、今までの思い込みが、一気に解けたような気分になるであろう。
見た目や思い込み、勝手な噂で人間像を作られるのは仕方ないが、意外と会話をしてみたら、全然違ったなんてことは、結構ありがちだからね。
自分に好感を抱いている人に好感を返すのは、人づきあいの優しさとか思いやり、身近な礼儀であろう。

僕は年齢がいくつになっても、男女間における気持ちの高鳴りは絶対に必要だと思う。
その高鳴りがなくなったら、老け込んでいくだけの気がするしね。
既婚者同士であれば、恋愛感情は秘となるが、異性のクラスメートと話をするような気軽さもないと、 恋する感覚が鈍感になっていくんじゃないだろうか。
この年齢になると、いろんな人とのコミュニケーションが自然体でいれるようになる。
気分に張りを保つのは、いちいち強張らず、やたら構えないのが、人間感情が円滑に行く秘訣だろう。

何があったと思われるが、自分のために好感という表情を作ってくれた女性に嬉しさを感じた。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

夢枕のデジャブ

今朝、不思議な夢を見た…
記憶が抜け落ちている部分は、若干の脚色を加えて夢物語を完成させたい。

深夜の店内、掛け時計の振り子が12回鳴った。

「今夜はもう誰も来ないかな…」と思いきや、N瀬さんがショルダーバッグを背負って入ってきた。
すると、次々に常連客が扉を開けて、気がつくとカウンター席が埋まっていた。
僕から見て左より、M沢さん、K下さん、M橋さん、S藤さん他、新旧のお客さんが横並びになり、笑顔で再会を楽しんでいる様子。

角の席では、M屋さんが「よなよなビール」を片手に、スヤスヤと寝息を立てている。
その隣には、コンチがひとりで詰め将棋をしながら、マッカラン10年を飲んでいる。
ボックス席では、古い友人らが自然な笑顔で、ワイワイと楽しそうに会話をしている。
そんな店内の片隅一席だけ、誰かを待っているかのようにポツンと空いていた。

するといつの間に、去年亡くなったはずのよっちゃんが、ニコニコしながら座っているではないか。
「マスター久し振り、許しをもらって、あの世から呑みにきたワ!」と、パジャマ姿で豪快に笑う。
相方とふたりして駈け寄るが、その目からは自然と涙が溢れ出してきた。

新旧のお客さんたちが、近況を交わしながら、楽しそうに交流している店内。
Y田さんが「そろそろ時間かな…」とつぶやくとひとり、またひとり、いそいそと席を立ち始めた。
気がついたら、よっちゃんだけが店内に残されていた。

ただでさえ寂しがりやなくせに、今夜はよっぽど話し相手が欲しかったのかな。
それでも、名残惜しそうな目を向けて一言「また来るワ」と、右手を小さく振り、扉を静かに閉めた。

僕は、外まで見送ろうと扉を開けた。
するとあたり一面、真っ白い雪に覆われた銀世界だった。
なのに、よっちゃんの姿はなければ、あれだけのお客さんがいたのに、雪に足跡ひとつ残っていない。

慌てて店内のカウンターを振り返ると、飲み残しのグラスや古びたボトル、灰皿には吸いかけのタバコ、よなよなビールの空缶が転がっており、人の温もりだけはしっかりと残っている。
「そうだよな」と自分に言い聞かせ、左手の指で左のほほを時計回りとは逆につねってみた… 痛い!

しんしんと降る雪を眺めていたら、次第にその雪がひらひらと桜の花びらに変わった。
真っ白に降り積もった雪一面に、淡いピンクの花びらがふんわりと降り積もっていく、二色のコントラストを眺めながら、春の訪れを感じた。
カウンターにポツンと置かれたボトルのラベルは、甘い香りが漂うスコッチ 「スプリングバンク」
音楽は、ビル・エバンスの 「ワルツ・フォー・デビィー」 が流れている。
彼らは、春の使者だったのかな…  「春が来る」  夢枕で見た、夢の中でのデジャブである。 

あちゃ〜 今、気がついた… 誰からも代金貰ってねえぞ、戻って来ーい!  (∴`┏ω┓´)/コラァー!! 
 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

Steve Gadd (Dr)

東京在住の97年11月、見逃したライブのひとつに、「ミシェル・ペトルチアーニ・トリオ」がある。

ペトルチアーニは、「長年同じメンバーと、演り続けることは考えられない」と、口にしていた。
つまり、変化を喜びに換えていたのであり、そんな彼が呼び寄せたメンバーが、アンソニー・ジャクソン、スティーブ・ガッドであった。
その後、ライブの模様はビデオ化されたので、たっぷりと堪能できて幸運だった。

硬質なジャズファンは、ガッドの4ビートは荒削りだとの辛口意見が多いが、僕にその感覚はない。
リズムをガッチリとキープしたまま、多彩なドラミングを繰り広げながら、全てのテイクを完璧に決める。
ブラシワークも絶妙だし、僕の好みはピッチが低めの方が、安定した重量感があっていい。
スピード感やメリハリも利き、レギュラーグリップからの、スティックコントロールが抜群に柔らかい。
ペトルチアーニの気迫に応えるべく、「テイク・ザ・トレイン」なんて、アンソニーの力演に加えて、ガッドの真骨頂を引き出したベストテイクであろう。

ペトルチアーニは、今トリオをラストステージに、99年急性肺炎のため36歳の若さで他界。
彼が最後まで尊敬してやまなかったドラマー、スティーブ・ガッドの渾身のドラミングが光る。

PS.僕の愛聴盤
・「Trio In Tokyo」 / Michel Petruccani Trio (1997)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月18日

Chick Corea (P)

ここらで一本、本来のジャズを書かねば…

日本で一番人気のある、現役ピアニストと言えば、たぶん「チック・コリア」じゃないかな。
その魅力はジャズだけにとどまらず、変幻自在な音楽性の広さが支持されるのであろう。
伝説のバンド 「リターン・トゥ・フォー・エバー」を、例に挙げることなく、その多様性はエレクトリック、  アコースティックを使い分けて、ラテンやスパニッシュにまで及んでいる。
この音楽レンジ… 並じゃない。

僕がチックのピアノに触れたのは、ゲイリー・バートンとのデュオ 「クリスタル・サイエンス」。
当時、16歳の感性には、とても難しすぎた。
リターン・トゥ・フォー・エバーは、比較的聴きやすかったが、もう少しオーケストレーションがカッチリしたフュージョンが主流だったので、旋律はあまり印象に残らなかった。
それよりも、86年からのエレクトリックバンドのリズムセクションを、そのままスライドして、89年から  本格始動したアコースティックバンドに惹かれた。

そのサウンドは都会的で、最先端のフォービートをサラッとやってのけたように感じた。
しかも、肩に力をこめていない、エアリー感のあるノリが独特である。
何でもござれでありながら、僕が本当に聴きたかったユニットこそ、「アコースティックバンド」だった。
一部では、音楽に一貫性がない軽さを指摘されるが、ひとつのジャンルで専業ミュージシャンであり続けることはないと思うし、チックからすれば、極めてノーマルな質問として聞き流していることであろう。
僕個人としては、ピアニストよりも、作曲家としてのチックが好きなんだ。

添付画像は名曲「スペイン」。 チックが世界中のファンから、親しまれている人柄がよく出ている。
PS. 僕の愛聴盤
・「ALIVE」 Chick Coria Akoustic Band (1991) 
・「Super Trio」 Chick Coria Super Trio  (2004)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

会社の朝礼

「おはようございます」、僕に文才があれば、いろんな会社の朝礼を題材に取材記事を執筆してみたい。

そう思う理由は、会社の社風は朝礼の内容に、色濃く反映されていると思うからだ。
僕自身、会社勤めも長かったので、社長が変わるたびに朝礼が刷新されるのを見てきた。
社長のワンマントークもあれば、体育会系な朝礼、形式的な朝礼、朝礼のための朝礼など、その形こそ千差万別である。
他に知る限りでは、ラジオ体操、社歌の合唱、社内訓話の唱和、三分間スピーチ、営業成績の追及、 あるいは、声出しなども多いようだ。
中には、はちまきを巻いてシュプレヒコールをしたり、全体を盛り上げる演出もあるようだ。
さすがにあまり聞かなくなったが、営業成績の悪い営業マンが全員の前で頭を下げていたり、強い叱責で灰皿や机上のモノを投げまくられていたり、涙ぐましい鬼の演出も一部では、まだあると聞く。
それをやっていると、ビシッと締めた気になるのが、団塊世代の特徴だった。

会社によっては、いろんな啓発の仕方があってしかるべきかと思う。
だが、言いたいことが伝わらなければ、朝礼の意味を全く持たない。
いくら怒鳴りつけても、「この人は、言わなきゃならない立場なんだな…」と、同情されているようでは、 効果はないしね。
だからと言って、借り物の言葉や建前はすぐに見抜かれる。
若い社員は上司の本気度を嗅ぎ取るし、下手なパフォーマンスを見せつけられると、うっとおしくもなる。

朝礼に限らず、会議も含めて、やる気のある人ほど、全体集会が嫌だという人は不思議と多い。
それは精神訓話が多過ぎて、思考や判断力の部分でさえ、本音が言える空気じゃなくなるからだ。
いや、寧ろ、本音を言われたら困るのが、図星であったりもする。
だから、社内の少数ミーティングや、当事者間協議の方が、建設的な話合いが保たれる。
デリケートな課題であれば、移動時間の車中や喫茶店がいいだろうし、少し胸襟を開きたいのならば 酒場でゆっくりと飲みながらの方が、意外な胸中が見えてくることもある。
そういうことが、マネージメントだと思うし、朝礼は朝礼であろう。

その意味で言えば、会社の朝礼はラッピング技術(包装紙)みたいなものじゃないかな。
僕がルポライターであれば、いろんな会社のいろんな朝礼を見て、中身を考察してみたい気がする。
会社の朝礼はベールに包まれているものだが、陽の目にさらしたら、目からうろこが落ちるかもね。
サブカルチャーとしては、なかなか、おもしろいと思うのだが…。

はっきりしていることは、「無駄な独演会」を、ほったらかしにしている組織はろくなもんじゃない。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

チラシの裏面

新聞の折込広告の中に、裏面が白紙のチラシが入っているときがある。

これがまた、捨て難いんだよね。
白紙だから、何かを描きたくなる。
それが落書きだろうと、メモ書きであろうと、折り紙だろうが、何かを施したくなる。
僕は基本的にいらないものは、捨てられるタイプなんだけど、使っていない紙は捨て難いんだよね。
それは、何も使わないティシュペーパーは捨て難いのと同じで、どうせなら少しでも何かに使ってから、捨てたいと思う気持ちに似ている。

その感覚は、昭和48年のオイルショックによる紙不足の経験なのか、白紙を捨てることに抵抗を持つ。
だから、白紙を捨てる前に、芸能人ぽくマジックペンで自分のサインを走らせてみたり、英語の文章を 書き写してみたり、何かに使ってから捨てるようにしている。
あるとき、チラシをティシュペーパー代わりにして強く鼻をかんだら、紙質が光沢紙だったため、鼻の下をヒリヒリと赤く腫らしてしまったこともある。
誰もが捨て難いもの、特に裏面が白紙のチラシってそうじゃないかな…
そんな理由で、自分で自分のサインをよく練習していたので、書かせたら結構上手かも知れないよ。

うーん、若い頃、世界を夢見て作り上げた、僕の英語の直筆サインをお見せできないのが残念だ…
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

花の図鑑

今日14日、「ホワイトディ」
どうりで街中をスーツ姿のサラリーマンが、ラッピング商品を手に歩いていた姿を多く見かけた訳だ。

数年前まで、こんな僕にも、「義理チョコ」をくれるお茶目な女性がひとりいた。
クライアントの関係でしかないが、どこか気が合ったせいか、仕事以外の話も多かった。
僕なりに贈り返すのは、ハンカチやケーキなど、気軽に気持ちをやり取りできるもの。
そこにひとつ、おまけをつけるのが、僕なりの工夫なんだけど、大それたことではない。
それはミニ図鑑の類で、主には、「花の図鑑」。

気取っている訳ではなく、思いの外に図鑑というのは、ボッーと眺めていて楽しいんだ。
花に限らず、動物や昆虫、魚や野菜であっても、写真やイラストに付す解説も読んでいて楽しい。
それに花の名を言える女性は、どこか知的だと思うし、花と女性は、ほどほどに美意識も近いと思える。
そういう理由もあって贈っていたんだけど、それが相手にどう映っていたのかは知る由はない。
今は社交であれ、贈り合いの相手はいないから、そんなことを考えることもなくなったが、男女のイベントには、すっかりと縁遠くなってしまった。

今日は入籍記念日でもあるが、相方は恒例の月一会へ出かける。
年がら年中一緒にいると、毎日が記念日みたいなもんだから、もうお腹が一杯になる訳よ。
それでも義務は果たす。  そうだ、「ポッポ焼き」と「日本妖怪図鑑」を贈っちゃおう! 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

ボウリング

ボウリングが中高年の間で、再び注目を集めているという。

一般的に、ボウリングのスコアは自己申告が多い。
「ハイスコア」、「アベレージ」と言っても、嘘か真実か証人がいなければ、半信半疑であろう。
レーンで2〜3球も転がせて見れば、すぐに明らかになるが、それをやらせちゃ野暮というものだ。
僕も自己申告だが、夢中だったときのハイスコアは「196」、アベレージは「168」と記憶している。
しかし、証拠がないスコアだから、これもまた自己申告である。

若い頃、ボウリング場で、短期のアルバイトをしていた。
終業後、レーンが空いていれば、気軽に投げさせてもらってもいた。
メンバーの投球を見よう見真似で、「感覚的にこんなもんかな…」と試行錯誤しながら、わからないところはアドバイスを受けていた。
遊びに毛が生えた程度の本気ではあったが、その甲斐があり、人より上達が少し早かった気もする。

その頃、タイミングよく、三国コカ・コーラ杯の新潟県アマチュアボウリング選手権が開催された。
大会はオープン参加で、クラブ支配人の推薦もあり、気分転換に出場したが散々な結果で終わった。
出場する以上、それなりのスコアで挑むのがふさわしくも、本番で練習以上のスコアを出せないことは、 所詮は付け焼刃である。
それが証拠に後半、イージースペアを確実に取れなければ、レーンコンディションも見抜けなかった。
投球フォームは、バックスイングが高く、リリースの低いストレートボールなので、ピンアクションは強烈だったが、次第に疲れで状態が浮き気味となり、コースが定まらずにイージーミスを連発。
そうなると、スパットを変えたり、変な位置から投球し出したり、無駄な矯正や小細工に考えが及ぶ。
周りはグングンと調子を上げているのに、僕だけは状態を修正できず、失速的にゲームが終了した。
終了後、何か参加賞をもらって帰ったが、まぐれと実力の狭間を思い知らされた。
そんな調子で、やれ、ハイスコア、アベレージだと言っても、まぐれ当りを捉えた口調であり、ほとんどはうそぶいているのかも知れないね。

男はボウリングのスコアで、大ボラを吹く生きものだからボウラーという。(おやじギャグが止まらない)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

一通の手紙

先日、友人の母親から、お手紙をいただいた。
読んで字の如く、全文手書きであり、お気持ちを頂戴した。

パソコンが普及する前、文章は書く回数で鍛えられ、辞書を引く手間を惜しむこともなかった。
今は便利になった分、逆に言論の質が低下することが避けれず、「文は人を表す」格言も通用し難い。
そんなツールに依存し過ぎると、自分でない文章に陥りやすく、性格を映し出す鏡になる場合もある。
理由は簡単で、直筆は時間と疲れを要するだけでなく、考える時間も含めて冷静な文章が書ける。
だが、ツールは考える時間を短縮できて、感情のおもむくままに打ち込んで即座に送信ができる。
それが証拠に、ネットで論争する馬鹿げた風潮はあるけど、手紙で論争になることはないように、冷静に考えられた文章とは、自分の心だけでなく、相手の心までも動かすのだと思う。
古典ながら、それが、「手紙の効力」である。

ツィッターやメールは、言葉遊びや伝達文であっても、その中身にはさほど意味はない。
風潮的に論文を馬鹿にする傾向もあるが、軽い文章に慣れ過ぎると読解力がズレまくる。
中には、人をうんざりさせる長文もあるが、スナック菓子のような短文では、さっぱり意図がわからない。
それこそ、つぶやきレベルで気持ちが届けば、人間関係で苦労することはない。

遠い昔、部下に始末書を提出するように命じた。
ほどなく届いた始末書は、全文ワープロでどこから抜いた文章かわからないが、美辞麗句を並べただけで、自分の言葉とはほど遠く、がっかりした記憶がある。
文章を綴るだけなら、形式的にパソコンで充分だが、想いを伝えるには、軽い手段かも知れないね。
大切なことほど、膝を付き合わせることと同じで、本当は、「文は人を表す」ものだ。

そんなツールと決定的に違うのは、手紙には気持ちが乗せられてくること。
友人の母親からの手紙を読んでいたら、僕自身の母親のことも思い出してしまう。
15行の便箋に近況や気遣いなど、時間をかけて書いたと思われる直筆に想いを受け取った。
人の心を知るためには、人が書いたものを読むことで、心が洗われることも教えてもらった。

生涯、手元に置いておく、「一通の手紙」である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

正論かぶれ

9日、午後からの国会中継を観ていたら、松あきら議員が野田総理に喫煙をやめるようとがめていた。
後の答弁は愉快ながら、聞いていて鼻につく質問だった。

今更ながら、喫煙の有害性と他人に与える迷惑に、反論の余地はないと思う。
喫煙者は肩身の狭い思いをしながら、喫煙マナーの向上にも努めている訳だ。
何が嫌かというと、たばこと聞くだけで条件反射のように、健康法を口にする行き過ぎた思考だ。
ならば、ヘビの生殺しみたいな真似はやめて、いっそのこと、麻薬並みに販売禁止にしろと思う。

僕も喫煙者だったけど、歩きたばこや灰皿のない場所では吸わないとか、飲食店で隣合せの人には、一言確認を取るだとか、一定のマナーは守っていたつもりだ。
法律で認められているから、既得権も主張するなんて、単純な発想には注意したものである。
だから、喫煙者に健康に悪いからやめろなんて言わないが、吸い方はスマートであってほしい。

今では、喫煙者というだけで、「パブロフの犬」並みに条件反射される。
酒と同じで、ルールとマナーを守って飲む分には、言われのないことだ。
だったら、スナック菓子やジャンクフード、甘味炭酸飲料など、成人病を引き起こすとされる食品販売も中止すべきだろう。

禁煙運動をする精神は見上げたものだが、そういう人に限って、部屋で寝転んでテレビを観ながら、  ポテチをポリポリ、ケツをカキカキ、股間をジョリジョリ、かきまくっていると思う訳。
もうひとつおまけをつければ、ストップ少子化ならば、オナニー禁止令を出せばいい。
何でも正論になるが、正論かぶれすると、人の魅力って失われてしまうんじゃないかな…

受けた情報は正しくても、ただ便乗するだけで、極端な思考に走る悪い癖…  何とかならんか。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月08日

赤点亭主

7日の続編かな… 誰しも、家庭の役割で分担があると思う。

僕の役割は、日常の買出しとゴミだし、主として女性にはきつい力仕事である。
世のだんなと比べれば、気楽な分担に思われるだろう。
それまでは、食器洗いに浴室洗い、ベッドメイクとホテルマン並みの役割を担っていたが、あまりにも  ガサツなため、担当を降格されてしまったのだ。

相方は大学時代、家庭科の教員免許を取得したので、料理をはじめ、栄養学や縫製、掃除や洗濯など基本に忠実な学識を持つ。
その意味で言えば、全幅の信頼を置いている。
一方の僕はと言えば、人生独学野郎で生きてきたので、家事は大雑把極まりない。
掃除の日ともなると、掃除機であっちこっちに追いやられ、喫茶店に避難しに行くこと数知れず。
情けない話だが、「赤点亭主」である。 (´_`。)

その代わり、おつかいをさせれば、並みの亭主より劣らぬ自負を持つ。
そういうときこそ、僕の足、「夜な夜なサイクロン号」の出番となる。
あるときは、新聞配達のように颯爽と… またあるときは、牛乳屋のように慎重に…
たまに街角でこけて、膝を押さえて、「う〜」と唸っているときもあるが、これも修行じゃ。
そのうち、ピコン・ピコン・ピコン…と鳴らして、電子フラッシャーを搭載しちゃおうかな。

まあ、家事以上に亭主の絶対的な役割は、何があろうと家族をボディガードすることである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

挨拶はオス!

マンション暮らしも長くなると、自然と住民の顔も覚えてしまう。

入居したばかりの頃は、周囲には新婚夫婦や赤子が多かったが、最早、小中学生が目立つ。
どおりで、エントランスが子供のたまり場となり、朝夕の学生服姿も多くなるはずである。
子供の成長過程で、自分の年齢を自覚し、街の風景で時代の移り変わりを知ることになる。

夕方、小学生の下校時間と重なることが多く、よく玄関ホールで一緒になる。
昔は、「知らない人にはついていかない」と教育されたが、今は、「知らない人とは話をしてはいけない」教育論調となり、まかりなりにも世間体は合わせている。
僕からは声をかけたりしないが、それでも話かけられたぶんには、しっかりと返すようにしている。

先日、買い物から帰ってくると、よく会う低学年の男児とエレベーターで一緒になった。
両手に買い物袋を持っている姿を見て、「おかあさん、いないの?」と声をかけられた。
「いるよ、どうして」と聞き返すと、「いつも、買い物袋を持っているから」と答える。
「おじさんは、おつかい係なんだよ。君はなんの係なの」と聞くと、しばらく考えて、「洗濯物をたたむよ」とハッキリ答える。
無垢な会話をとがめられたり、怪訝な顔で見られることはないかと思うが、素直な子供の好奇心を折る真似はしたくはない。
まあ、子供からすれば、こんなおじさんと話をしたことなんて、どうでもいい出来事であろう。
それに、あと5年もすりゃ、思春期の戸惑いに悩む年齢となる。

最近の挨拶はもっぱら、「オス!」だが、きっと記憶なんて跡形もなく、消え失せてしまうんだろうな。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

食卓効率

今日の食卓は、「カツ丼」だった。

ビールを飲みながら、鶏のピリ辛揚げをつまみに、少量のカツ丼も食べる。
米粒に汁が吸収されると食べ難くなるので、冷蔵庫から生卵を二個持ってきて、どんぶりの上で割り、 殻をランチョンマットの上にいったん置いた。
相方いわく、どんぶりを台所に持っていき、そこで生卵をかけて、殻はゴミ箱に捨てよとアピール。
僕は、それは違うと反論した。

どんぶりを台所に持っていく間、もしもひっくり返してしまったら、かつ丼が元も子もないと主張。
床に落としたときの後片付けと、カツ丼の原価を考えれば、生卵の方がリスクも原価も低いと説明。
だが相方は、ひっくり返すのは注意が足らないだけで、食卓の後片付けをする方が大変だと再反論。
確かに僕は、いつも調味料を冷蔵庫から持ってきては、狭いテーブルの上をさらに狭くしている。
食卓はすっきりさせるのが理想だが、満腹中枢が刺激されているので、どうにもとまらないのだ。

皆さん、どっちの主張が正しいか、ジャッジをお願いしたい。
こんなことで、ディベートしてるんだから、我が家は暇なのか、平和なのかわからない…
まあ、会話がないより、マシであろうか。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

うたた寝

誰しも、ソファーで寝てしまったことはあるだろう。

食後の僕がそれだった。
ソファーで横になり、読書をしてたら、いつの間に胸の上で文庫本を広げたまま、うたた寝していた。
途中で気がつくと、タオルケットがかけられていたので、相方が見かねたのだろう。
しっかりと目が覚めたのは深夜3時… あー、やれやれ、5時間近く寝てしまった。
そのままベットに入ろうと思ったが、目がさえた今、こうしてブログを書いている。

カーテンで遮断された部屋は、時間が止まっているような錯覚にも陥る。
その隙間から、向いの大型マンションの窓を見ると、どこの部屋も真っ暗だ。
日付が変わったこの時間、起きているのは僕だけなのかな。
あと3時間もすれば、忙しない朝の通勤ラッシュが始まるが、その喧騒とは無縁である。
このあと、みのもんたの炸裂おやじトークを聞きながら、もう少し酒を浴びるとするか。

太陽の位置とは異なる生活だが、これを、「うらやましい」と思う人はいるのだろうか…?
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする