2012年02月29日

2012 March

【3月定休日】 
    4日(日)・11日(日)・20日(火)

   18日(日) 通常営業致します
   25日(日) 日曜営業致します (深夜1:00まで)

 住所   新潟市中央区 東大通2−9−5 
 電話   025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日  日曜日 
 客席数  カウンター10席  ボックス席(5~7名)

【徒然なるまま…】

今日29日、4年に一度のうるう年のため、1日得した気分となる。
日中天気がよければ、気分転換にでも出かけようかな。
何かを期待して外出するよりも、季節を肌で感じたいんだと思う。
それに人間観察も楽しいものだ。
今日は何を書こうかな…

連日、テレビのワイドショーなんかで、オセロ中島の洗脳疑惑なんちゃらとか、相変わらず優先順位の低いことに大騒ぎしている。
全く興味がないけど、彼女の気持ちは何となくわかるんだ。
大まかな顛末では、結婚も考えたと思われる彼氏との失恋、長年コンビを組んでいた相方との不仲など親密度の高い関係を失っている。

ここからは、僕の勝手気ままな推測でしかないが、彼女は幸せになりたかったんだと思う。
そう願っていたとき、たまたま、女祈祷師と出会ってしまった。
家賃の滞納は別に、動機は純粋で、彼女からしてみれば、幸せにすがりつきたかったんじゃないかな。
「幸せになれる」と信じ切って、世間体を敵にしようとも、幸せの態度を決め込んでいるように思える。
それに現在、親密度が最も高い女祈祷師までも、自分から離れていくようなことがあったら、苛まれると思っているのかもね。
女性は精神状態が不安定なとき、寂しさが募ったとき、普段とは違った自分が出てしまうことがある。
それがきっかけとなり、ここまで発展したような気もする。
幸せを求めて、受け入れた結果、このような事態になったとしたなら、許してあげるべきだ。
男に幸せって、どこかくすぐったいけど、女は素直に幸せを求める生き物なんじゃないかな。

僕の推測による、勝手な意見なんだけど、彼女の始まりは、すべて純粋な動機から生じたことだと思う。
こういう女性は、きっと献身的に男に尽くすタイプだと思うけど、バランスを欠いちゃいけない気がする。
今日も僕は、何を書いているんだろうか…
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2012年02月27日

Hiromi Uehara (P)

ジャズの演奏スタイルは、イントロからテーマ、ピアノがメロディー、ベースとドラムがリズムを刻んで、 ソロを回してから、テーマへ戻るのがセオリーだ。

そんな、従来の演奏スタイルにアクセントをつけたのが、女性ピアニスト 「上原ひろみ」 である。
彼女は形式上、リーダーだが、サイドメンであるリズム楽器を対等に歌わせた。
それって、とっさ過ぎることもあり、絶対的なスキルがないと、グループよがりになる。
難なくこなせることは、スキル以上の信頼関係があってのことだし、それぞれに凄いものがある。
だから、きっちりと決められた曲よりも、とても 「自由度の高い曲」 が多い気がする。

それに 「アグレッシブだ」
「こういう音楽をしたいから、メンバーにこう要求する」と、主張が音楽に表れている。
テンションを要求する曲では、音符が銃撃戦のように飛び交いながら、グランドデザインに添っていて、弾痕が描かれてるんだから、こりゃ凄いわな。
超絶技巧と呼ばれるプレイヤーほど、ジャンルの境界線なんてモノともしないしね。

しかも 「縛っていない」
自由度の高いスペースを与えているし、逆に、与えられたスペースを倍返しするだけの個性がある。
それも、ジャズなアプローチもあれば、ロックのアプローチもあり、多才な感性があることに気づく。
彼女のカテゴライズされない音楽性は、ディズニーランドばりのエンターティメントである。

つまり 「怯んでいない」
自分のやりたいことをやるために、相手にもやりたいことをやらせる。
その上で、対等に協調し、俗に小さなオーケストラとして、存在感をアピールしていると思う。
上原ひろみもジャンルに納まり切れない、「私」 の個性を持つ、スターピアニストである。

PS
添付画像は、オープニングナンバーだと思えるが、個々のテクニックは凄まじい限りだ。
個人的には、硬めに張ったドラムのスネアが躍動感を生み出して、リズムのタメが最高にカッコイイ。

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2012年02月26日

ハードボイルド

去年、映画館で観た、韓国映画 「アジョシ」 がビデオ化されていた。
次回、もう一度、見返そうと思いながら、ビデオ店を後にした。

松田優作の死後、「日本のハードボイルドに、夜明けがくるのか…」と囁かれていた。
結論から言えば 「ない」と思う。

そう思う理由は、世間が求めていない。
彼が演じたハードボイルドは、目的のためなら手段を選ばない、とても自意識過剰な男役だった。
主演映画「蘇える金狼」では、大企業の平凡なサラリーマンが、会社を相手に強引な駆け引きを仕掛け大株主に出世し、社長令嬢までも頂き、トップに伸し上がったストーリーである。

それも、女を自分の思い通りに操り、用がなくなれば使い捨てにするような男。
あの頃のハードボイルドは、己の目的を達成するためには、人間性を欠いた非情性を持っていた。
そんなハードボイルドを、現代で誰が支持するかって話であり、現に名称は死語と化してしまった。

現代のハードボイルドは、利己的な野心や私腹を肥やすだけの夢には、感情移入できない。
心の傷を隠して、誰かを守るために、野生が蘇えるストーリーが値打ちになったと思える。
「アジョシ」を始め、似通った価値観をもつ映画に、「レオン」、「マイ・ボディガード」がある。

主演らは、子供によって生きる希望を取り戻し、大切な命を守るために、壮絶な復讐劇をはじめた。
松田優作のテレビドラマ「探偵物語」最終回でも、仲間の殺害に関わった者、ひとりひとり順番に捜して報復を終えたが、生きる悲しみを背負った先が死だった。

これらの作品には、新しい「ハードボイルド像」が予言されていたような気がする。
自分の命を引き換えにしても、守るべき者は守る、孤高な人物像が見え隠れしている。
それは親が子を想う気持ちに、「子供さえ助かれば、俺の命なんて惜しくない」と言うのと同じだ。

だが、現実社会、本当にそれができる人は、どれだけいるのだろうか。
守るべきわが子を虐待していたり、犯罪に利用して金儲けの道具にしたり、理不尽な要求を振りかざすだけの保護者などの報道が切れない。
そういう、ふつふつと沸いてくる怒りが、ハードボイルドに駆り立てられるときがある。

ハードボイルドの夜明けは、韓国に陽が昇ったようである。
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2012年02月25日

コンタクトレンズ

24日、これが2回目の騒ぎである。

いったん、お客さんが引けた店内の厨房で、相方が「あー、ちょっと…」と叫んだ。
何ごとかと思い、「どうした」とかけよると、「またか」… 片方のコンタクトレンズを落とした。
実は、前にも店内で落としたことがあり、結局は見つからずじまいで、片方分二万円の出費だった。

僕も今度ばかりは焦り、相方の動きを制止した。
床に足をつけたままの姿勢から、足首から腰の範囲にある備品回りをゆっくりと探させた。
一方の僕は、厨房の照明を全開に点けて、LED電灯を片手に床をくまなく探すこと5分。
その姿は、まるで鑑識が物証を見つけるように、目を凝らし、息をひそめ、ゆっくりな動作を続けるが、 頭の中では、「二万円、二万円…」と、念仏のように唱えている。

その間、お客さんが来たら「やばいな…」と、血相を変えて探すこと約10分。
相方が、「あった」と叫び、その場所に目を向けると、シンク手前に吊るしてある、プラスチックゴミ専用のレジ袋の中で反射していた。
そのまま、花の種子をピンセットで摘むように、人差指につばをつけて、息を止めて慎重に取り出す。
右手の指先から、左手の平に乗せたときは、それは思わず、「バンザーイ!」と叫んでしまった。

相方のコンタクトは、少し特殊な形状が施してあるらしく、一般のタイプよりも価格が高いらしい。
それが両目ならば、四万円かよ… おいおい冗談じゃない。
こりゃ、必死になるけど、もしお客さんがいたら、どうしたもんだろうね。
一杯おごるから、一緒になって探してもらったとしても、心情抜きに数字で考えれば全うな判断に近い。
とはいえ、酔ったお客さんに探すのをお願いしたとしても、とんでもない事態も考えられる…難しい。
5分経過し、しめて15分後、男性お二人様ご来店。
何ごともなかったように対応したが、内心は、そのタイミングの良さにホッとして、安堵感に包まれた。

僕はこの先、コンタクトレンズはゴメンであり、牛乳ビンの底みたいなメガネで充分である。 
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2012年02月23日

Four Birthday

昨晩22日、皆様のお陰と運だけに支えられて、開店五年目を迎えることができました。
これもひとえに、皆様方のご配慮やお力添えあってのことで、深く感謝申し上げます。

2008年2月22日… 
正式住所は「東大通」でありながら、場所は「新潟駅前」なのか、「万代」なのか、それとも「沼垂」なのか実に紛らわしい路地裏で突如、「ジャズバー」を開店するという、我流の延長とも思える暴挙に出た。

そろそろ、開店一年目の内幕話を告白してもいいだろう…
「今さら、ジャズバー」、「1年、持たないだろう」など、下世話な質問も浴びせられた。
いっぱしの口を利く評論客、悪趣味な客、その距離、初対面であることが嘆かわしかった。
客である以前に、その人格を疑わざる得ない部分を見せつけられた。
他の客と相方がいなければ、間違いなく過去に二人放り出したであろう。
我慢も強いられたが、贔屓にしてくれたお客さんらの愛情と内助の功で、そんな時季を乗り切れたのは感謝しているし、友人の励ましにも心が救われた。

こうして、細腕で営業を続けているが、残念ながら、飲食店は儲かる商売ではない。
そう言うと必ず、「金持ちが、道楽でやっている」だとか、決まり文句で囁かれる。
そうなら、週休二日で営業時間は短縮して、週末は朝からドライブでも楽しんでいるはずだ。(笑)
独立したら、自由を得るどころか、会社勤め以上に、真面目にやらなきゃいけなくなる。
とてもオススメできる商売ではないが、個人事業主とは、元来そういうものだ。

男に幸せなんて言葉は、あまり似合わないが、場所が変われば、幸せの見え方も随分変わってくる。
例えば、親子四人で高級住宅に住んで、高級車にも乗り、何の不自由もなく暮らしている。
だが、その目は怖ろしいほど、冷たくて不機嫌な色をたたえている核家族。
一方は、親子四人で中古住宅に住んで、中古車で満足し、極めた贅沢もせず暮らしている。
だが、その目は笑いを放ち、温かくて上機嫌に肩を寄せ合っている核家族。
はたして、どちらが裕福でどちらが貧乏なのかは、人の心によるところであり、幸せの形に絶対はない。
人の生き方が気になることは、自身の幸せが浮き足立っていると思う。
それが会社勤めだろうが、個人事業主だろうが、いろんな家族像であろうとも、今の形で幸せを得られる方が、よっぽど大切なことのような気がする。

僕は性格的に、あまり先のことを、あれこれ考えるタイプではない。
「来てくれる人がいる…」 店に答があるとしたら、これが一番自然で近いように思える。
感謝を述べさせてもらえば、お客さんの顔をひとりひとり思い浮かべ、名前もひとりひとり書き込み一言「ありがとうございます」と気持ちを添えたい。
店はお客さんという、生身の登場人物に支えられ、曖昧な時間を一緒に過ごしていることを思えば、  いやはや、何とも不思議な空間である。

【Special Thanks】  
  渡部行政書士事務所
  株式会社 イーエムエス新潟
  はせがわカイロプラクティックセンター
  西堀リンク    他、精鋭。

  感謝の表明、記してお礼申し上げます。
  付言しますが、目に届けば幸いです。
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2012年02月21日

ボトルキープ

僕が一番好きな、バーボンウイスキーは、「I.W.Harper」

「2008.6.28.」 友人との思い出を書き残してから、3年8ヶ月ぶりの連記となる。
好きな理由は単純で、一番最初に、「ボトルキープ」したラベルだから。
それに原材料となる、トウモロコシの基準比率51%を上回る、86%使用していることで、コクがあり、 最も、「バーボンらしいバーボン」に思える。
スタイリッシュなボトルも好きだし、水で割っても味がブレないから、ソーダ割りでもいい。
大きな魅力は、ストレートで飲んでも硬くない。
ネーミングの由来は、創始者のイニシャル(I.W)と、親友の名前(Harper)を組み合わせたという。
一躍、財を築いたが、財を惜しげもなく、慈善活動にも情熱を分けた二人は、良き友達ではないか。

心情的に、「I.W.Harper」を、愛飲する理由はもうひとつある。
1984年頃、父親から初めてバーに連れられたとき、目の前のボトルがこれだった。
父親はボトルネックを、息子である僕の名前に名義を切り替えてくれて、「このボトルを飲んでろ…」と、そのままボトルを残していった。
怒らせたら、それは怖い存在だったが、父親らしい顔をして、20歳になる息子に粋なことをしてくれた。

持論であるが、ウイスキーとは父性である。
子供はいないけど、もし、いたとしても、愛飲していたラベルぐらいは憶えていてほしいものだ。
それに、高級でも低級でもなく、身の丈に合ったラベルぐらいは、印象として残しておきたくなる。
そんなボトルのラベルは、男のイメージでもあり、ラベル負けしちゃいけない気持ちは大事だ。
ボトルキープは、もう以前ほど盛んではないが、盛んじゃない今だから、古き良きステータスがある。
この先も、「I.W.Harper」は、一貫したラベルなんだろうな。

当店、「I.W.Harper」は、常時ボトルキープしており、期限切れは存在を忘れたとき…
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2012年02月20日

バーテンダー

去年の今頃だったかな…
テレビでアイドルグループの相葉くんが演じる、「バーテンダー」というドラマが放送されていたのは。

僕も、話のネタに2〜3回ほど観たかと思う。
人気アイドルが演じたバーテンダーだから、一躍バーの仕事に興味を持った若い人もいただろう。
だが、実際はあんな清流のようなビルド(作り方)は、コンクールに出場するようなメンバーであり、多くは独特で個性あるビルドに収まっている。
俗にオーセンティック(古典)と呼ばれる、ホテルのバー、名門のバーであれば、教科書に近いセオリーを遵守するが、普段の気楽さで過ごしたいのであれば、街場のバーは訪れやすい空間である。
その使い方は、お客さん自身、「T.P.O」に合わせればいいかと思う。

だが、バーは敷居の高い代名詞として、勝手に思い込まれている。
そのため、来店をためらわれる人も多いのも事実だ。
僕の立場で言えば、「ジントニック一杯、千円請求されますか…」程度なんだけどね。
メディアで見るバーと、街場のバーでは、様々なスタイルがあるので、単純に一括りにはできない。
でも、いちいち細かく腹を括らなきゃ、扉を押せないようでは、席についても高が知れている。
だからと言って、背伸びした態度、悪趣味な態度は、すぐに見抜かれてしまう。
それに、バーテンダーに嫌われたお客は、どこに行っても嫌われる対象客になっていることに驚く。
逆に、一目置かれているお客さんは、自然な態度と会話で寛げるから、どこの店でも評判がいい。
バーは、人間の縮図が見えたりするところだから、態度や会話は大人の寛ぎであってほしい。

当店、常連のお客さんだけで、固まるような気配はない。
寧ろ、気楽に過ごしていれば、自然と人間関係が築けていけるものだ。
まあ、いきなり誰かと親しくなろうとするのは高望みだが、不定期ながら扉を押していれば、マスターや他のお客さんらと、自然に親しくなれる空間が広がる。
ただ、そこに行き着くまでの自意識が強いと、せっかく芽が出かけた関係を楽しめなかったりする。
バーに何を期待するかは、個人によるが、「自分はこう過ごしたい」と、態度で表明することも大事。
バーの人間関係は、干渉し合わないけど、ちゃんと気にはかけておく、都会的な優しさに包まれている。
その意味で言えば、バーは見るんじゃなくて、バーは知る世界なんじゃないかなと思うね。

当店の扉を押して、「イケメンマスター」を幻想しているようでは、その想いは打ち砕かれるだけなので、やめておいた方がいい。
それこそ、相葉くんじゃなくて、ゴメンね…  でもね、25年ぐらい前はさぁ…$%&#  独り言!
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2012年02月19日

銭湯で金冷法

少年時代、よく銭湯へ一緒に行っていた友人から、ケータイにひやかしメールが届いた。
メール文は冒頭から、「おーい、金冷法やってるか」と…   話としては、こういうこと。

思春期のたけなわ、深夜のお色気番組「11PM」をこっそり見ていた。
すると、性の女王が伝授する「男を強くする方法」とかで、なぜか白髪の老女が「何とか…新宿ローズ」と名乗り「金冷法」とやらを説明していた。
まず、冷水を張った桶にサオはいれずに、タマだけをいれ、揉み解しを繰り返す。
次に、熱湯を張った桶にサオはいれずに、タマだけをいれ、揉み解しを繰り返す。
これを交互に、毎日往復五回ほど繰り返していくと、君も絶倫男になれるという。

あの頃は、人の言うことを何でも信じてしまう純粋さがあったから、それをしばらく実践してみた。
最初は自宅の風呂で修行(?)をしていたのだが、月に何回か行く銭湯でも、サボることなく続けた。
だが、さすがに人前で揉み解すような、はしたない真似はできない。
そこで急遽、冷水をタマに直接浴びせかける、代用技を思いついた。
隣で全身を洗う友人が、不思議そうな顔で、修行中の僕を見ている。
ついに、「おめ、はっけっけ、やめれてば」(おまえ、冷たいから、やめろよ)と抗議された。
「(銭湯)来るたび、何でタマに水をぶっかけてるんだ、はっけろが」と、猛抗議に発展した。
僕は童貞小僧のくせに、妙な自信を持って、こう威張って答えた。
「ふっ、ふっ、ふっ… そのうち、おまえにもわかるさ…」と。
それから彼は、僕と銭湯へ行くと、ひとつ分離れて全身を洗うようになった。

で、その「金冷法」は、効果あったかって…  あるわけないだろ! 
あの頃、僕らの世代は「アホ」だったし、外向きな青春だったことは間違いなかった。
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2012年02月18日

雪はこんこ

17日早朝、新潟市中央区の雪景色に驚いた人は多かったであろう。

その5時間前、深夜1時過ぎ、店内で二人のお客さんと三人で世間話をしていた。
会話が途切れて、フト窓の外に目を向けると、雪がしんしんと降り続いている様子だった。
示し合わせたかのように、「予報通り、雪が積もりますね…」と、思わず相槌を打ち合う。

スピーカーからは、Andy Willams “Show Me” が流れてきた。
その曲のおかげで、狭い店内、ちょっとしたファンタジーな空気に包まれた。
静かな雪の日には、ジャズヴォーカルの名曲が似合う。
夜の新雪に音楽を乗せるとしたら、明るくて小粋な男性ヴォーカルが最も似合うと思う。
雪国の大変さを緩和させてくれるような、ロマンチックなムードがある。

その内のお客さんが、3杯目のお湯割りを片手に、「もっと降れ、もっと…」と嬉しそうに呟いていた。
雪が積もると、仕事が増える職業であることには違いないようだ。
雪が積もれば、困る人もいる一方、雪が積もれば、喜ぶ人もいる。
社会の仕組は、ほどほどのバランスで成り立っていることを、改めて知ったような気がした。
そういえば、こんな諺があったよね… 「風が吹けば桶屋が儲かる」 そうだ、これだよね。

閉店近くに扉を開けたら、もう雪が、30cm 近く降り積もっている。
それでも傘も差さず、「いいぞ、もっと降れ、もっと…」と、喜んで帰宅したお客さん。
ズッポリと埋まった足跡を眺めていたら、何か懐かしい童謡が頭の中で鳴り響いて来た…
♪ 雪やコンチ あられやコンチ 降っても 降っても まだ降りやまぬ
♪ 犬は喜び 庭かけめぐり 猫はこたつで 丸くなる  (この歌詞、1番と2番、どっちだったかな)

「雪はこんこ」 僕はやっぱり、日本人、雪国新潟下町育ちなんだな…  
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2012年02月17日

外見と内面

16日、点検したばかりの自転車に乗り、陽が弱い日光浴も兼ねて外出した。
この時点、今夜夜半過ぎから、雪が降り積もる予報など想像つき難かった。

途中で立ち寄った雑貨店で、デンタルケア用品を購入後、男性化粧品コーナーを眺めると、小顔にするフェイスグッズやら、女性ばりのアイテムに時代を感じた。
「イケメン」なんて言葉が定着してしまったが、顔立ちが「中性化」したともいえる。
周りを見渡すと、ファッション雑誌から飛び出てきたような、今どきの若い男も目立つ。
その見てくれはどうでもいいが、話し声がか弱くなってきているのが、どうも気になる。
人と会話しなくても、不便ではなくなってきた今、発語の抑揚能力が失われてきたようだ。
小声で一本調子なので、その声の質から、気持ちを伺い知ることが難しくなってきた。
字ずら合わせじゃないが、せっかくの「イケメン」が、「能面」に思えてしまい、もったいない。
何も饒舌を求めている訳ではなく、もう少し言葉に気持ちを乗せてもらいたいんだ。
相手の受け取り方を想像すれば、誰でもわかることであろう。

その後、某スーパーの食品レジに並んでいた。
会計中の客の風貌は、どこかの会社に勤める役員風だった。
店員さんがサービスで、良かれと思って聞いていることに、いちいち質問に答えることが面倒なのか、 無視をするという態度に終始していた。
順番を待つ僕でさえ、その横柄で偉そうな態度に、不快感を持ったぐらいだ。
酸いも甘いも噛み分けた、熟年世代からしてこうだ。
その無言で拒否をする態度を見て、若い世代のことをとやかく言えないなとも思った。
それを熟年の貫禄だの、迫力だと思っていたら、大間違いであろうに。
長く生きているから、人様より偉いだとか、頭がいいとは限らないからね。
その人の顔は、やっぱり歪んで見えた… 好きなことをやっていない顔だ。

「だけど、俺を一緒に括るなよ…」と言えるのが、今度は僕ら世代のキーワードになるかも知れないね。
対照的なふたつの場面に、遭遇した一日であった。
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2012年02月16日

タスクフォース

15日、早い時間からお見えになった、絶対匿名の匿さんと、男の嫉妬について話しが弾んだ。

話のきっかけは、「男の集団、嫉妬がもたらす分かれ道ってあるよね…」そんな軽口からだった。
僕が思うには、女性同士は「幸せ」や「美貌」に関する、嫉妬心が強い気がする。
それが、男同士では「成功」や「人気」に、嫉妬心が集中するような気がする。

そもそも、成功や人気の裏づけには、本人の努力にもよるが、才能による部分も大きいと思う。
相手の恵まれた才能に気がつくと、驚きに始まり、焦りが生まれる。
その焦りが嫉妬へと飛火して、飛火した先では憎しみに変化して、批判めいたり屈折を始める。
人の才能に触れたら、素直に認めて学び取ればいいのに、それができないのが男の傾向である。
人の才能を認めれば、気が楽になるはずなんだけどね…

会社の構造上、集団の機能が乱れているとき、知られざる内面が悪影響を及ぼしている場合がある。
嫉妬する男ほど、優秀と思える人間の側には近づかないし、遠い位置からケチばかりつけるでしょ。
僕も人の子である以上、嫉妬を原動力にしたこともあったが、28歳ぐらいでもうそれはなくなった。
寧ろ、人の才能を認めて、つきあうようになれたので、見えてくる風景も変わってきた。
それが敵であれ、ひとつでも評価できる点を見つけられれば、きちんと好敵手としてつきあえる。
それを取り柄というが、才能であれ、努力の賜物であれ、そういう相手とは自然に親しくなれる。
嫉妬の吹っ切り方を知ってしまえば、楽になれるんだけど、狭い純粋さに閉じこもっちゃうのかな。
こんな具合に脈所もなく、いろんな嫉妬心の形を言葉に出し合ってみた。

匿さんは、会社の4月新年度を前に、早くも内示を言い渡されたという。
だが、内示による嫉妬で、今まで普通に仕事をしていた、同期からの風当たりも不安らしい。
至極、真っ当な心理状態だと思うが、組織は所詮、「タスクフォース」なのである。
そんな男の競争意識は、なかなか人には胸襟を開いて相談できない。
バーで、考えごとや相談する男の姿を、女はあまりわからないと思うが、見逃してやってほしいね。

匿さん、そのときはそのときの風が吹くでいいじゃん、取り越し苦労は疲れる…  大丈夫だよ。
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2012年02月15日

牛丼大盛

14日、バレンタインデーの夜。
相方が恒例の「月イチ会」へ出かけるので、「気合入れて行け」と、意味不明なエールで送り出した。
(単なる、女性同士の食事会なんだけどね…)

毎月、この日だけは、僕ひとりの食事量になるので、深夜の牛丼屋でテイクアウトして帰宅する。
主な献立は、「牛丼大盛」に「牛皿」、「サラダ」のワンセット。
自宅でニュースを見ながら、手酌のビールと牛皿、サラダをつまむところからはじまる。
それと少量の惣菜を一品添えて、男ひとりの平凡な食卓となる。
つまみをほどよく食べた後、冷蔵庫から生卵を二個取出し、牛丼に混ぜ合わせて、シメにカッ食らう。

それにしても、牛丼とはよくできた大衆料理である。
特に、美味くも不味くもないのだが、急に食べたくなるのだから不思議だ。
得てして、親しまれている料理とは、案外そんなもんなのかも知れないね。

職業柄、朝方に近い晩飯…  ここ数年のお相手はもっぱら、テレビの「みのもんた」である。
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2012年02月14日

Piano Solo

45歳を過ぎた頃から、ピアノソロのアルバムを多く聴くようになった。

僕のフェイバリットミュージシャンの筆頭には、キース・ジャレットの存在がある。
それまで、ソロピアノを避けていたというより、開発されてなかったことは、以前に記述した通り。
ピアノソロの楽しみ方は、即興で奏でられたメロディーに、惹きつけられた瞬間にある。
延々と聴き返す気にはならないが、聴き逃さないようにする、間の緊張感が好きなんだ。

艶かしい表現をすれば、セックスのときの吐息というか、あえぎ声に近いかも知れない。
最初から最後まで、パターンに添ったあえぎ声ではなく、一瞬のあえぎ声が魅力的な女性。
声の美しさは手段に過ぎないが、艶かしい声の向こうにある、エクスタシーを感じた瞬間。
だから、ひたすら音を待ちわびながら、その瞬間を聴き逃すまいとしている感じに近いんだ。
表現はそれくらいにしておき、その旋律に触れたとき、「僕はきっと、この瞬間を待っていたんだな…」と全身に鳥肌が立つのがわかった。
それは即興演奏で感じることができる、瞬間のエクスタシーなのである。

キースの音楽に限らず、ジャズが好きな理由に、その一瞬を捉えた喜びと、過ぎ去った音に対する  儚い余韻を覚えるところ。
ポピュラー音楽のように、「サビはここだ」(聴かせどころ)じゃなく、性感帯が違うように、感じどころが ひとりひとり違うところが、ジャズの魅力なんだと思える。

まあ、ピアノソロもジャズも、意味するところは同じであろうか…
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2012年02月13日

二代目勝烈亭

12日、相方と古町をブラつきながら、行き着いた先が東堀9 「二代目勝烈亭」。

最大級の辛さに調合してもらった、僕だけの、「スペシャル カツカレー」が自慢である。
オーダーが上がるまで、ビールをチェイサー代わりにして、食欲を促して待つこと約10分。
2口食べれば、全身がみなぎり、バーベルを持ち上げたくなるほどの熱い刺激だ。
その辛さは、おやじに好みを叶えてもらっているだけなので、それだけがウリではない。
激辛とはいえ、素材となる味をマヒさせないように、香辛料を調整しているのがプロの仕事だ。
食後は当然、「美味しかった」と言い残すべきだろうが、テレビのグルメリポーターじゃないので、    オーバーな物言いは控えている。
その代わり、米粒は一粒たりとも残さずに全て平らげることが、店に対する最大の称賛である。

僕は、ガイド雑誌を片手に美食めぐりをしたり、ご丁寧過ぎるお節介は焼かない。
情報は受け取るが、先入観に惑わされず、自分の舌で探し当てた店ほど、長く付き合えるものだ。
確かに美味しい食事をしようと思えば、高級割烹は美味しいけど、高くて美味しいのは当たり前。
でも、僕の行動範囲に欲しいのは、格好や流行に捕われず、「まいど」で通じる飲食店のことだ。
それは空腹を満たすだけではなく、親戚のおばさんがやっているような、温もりを感じさせるような店。

90年代以降、大衆定義が曖昧なまま、美味しいものを下品に食い漁る風潮が続いていた。
食の欲求にすがりつくばかりで、個人の味覚や感性を持ち、判断することを失いつつあった。
僕の価値判断は押し付けないが、食に郷愁を持たなければ、食の充実とは言い難いと思える。
我々の世代、食の贅を尽くすことばかりアピールされたが、年齢的に食の折り返し地点であろうか。
ほっかほかのご飯に、あっつあつのカレーをかけただけの、メニューに満足感を得たりするものだ。

末尾となるが、「二代目勝烈亭」の前身は、東堀6の旧東映劇場脇、カレー専門店「ヒュリカ」と、    東堀9の旧宝塚会館地下、カツレツ専門店「勝烈亭」を合併したのが、今の二代目が興した店である。
手広く法人化された飲食店が多い中、夫婦仲が睦まじい店こそ、ほのぼのと情緒的にもなれる。
コストパフォーマンスとは何ぞや… ここ、二代目勝烈亭には、渇くことのない「食の郷愁」がある。
勝烈夫婦に見守られながら食べる、「現代のハイカラなちゃぶ台」を、感じさせてくれるのだ。

(詳しくは、トップページのリンク集につないでありますので、ご参考にしてください。)
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2012年02月12日

こむら返り

11日、「新潟食の陣」で賑わう万代シティを歩いていたら、左足のふくらはぎに痛みを感じた。

「つったな…」と思ったら、筋肉が収縮するあの独特の痛みが、ジワジワと襲ってきた。
若者がひしめき合う状態で、突然おやじがふくらはぎを押さえながら、もがき苦しむ訳にはいかない。
一見、何事もないような顔をして歩いていたが、実は脂汗が出てきそうなほどの痛みである。
とっさにつま先を上に反らして、筋肉を伸ばすように踵から地面に着く歩き方を試みたが、そう簡単には収縮した筋肉はもとに戻らない。
再度、いろんな歩き方で角度を変えてみたが、容易に戻るはずもない。
強烈な痛みをこらえて、不自然に歩く姿は、うんこを我慢したおやじが脂汗を流しながら、便所を捜している姿にも見えたかと思う。

それでも、何食わぬ顔で捜していた場所とは、人目につきにくい階段。
階段の段差を使って、アキレス腱を伸ばすような姿勢で、筋肉を伸ばしに足をかけた。
柔軟性を持ち合わせていない硬い体で、ふくらはぎに手を延ばして、揉み続けること数十秒。
その甲斐あり、痛みは和らいだもの、無理をして歩いた分だけ、ダメージが深く残ってしまった。

男は人前では、やせ我慢する生きものであり、誰もいない場所で、もがき苦しむのである。
そうして、痛みに耐えているのをよそに、特設ステージからは、ご当地アイドル「ねぎっ子クラブ?」の 歌声が、まるで僕を励ますかのように耳に届いてきた。
若者の街中、ふくらはぎの肉離れで、もがき苦しむ中年おやじの姿なんて、カッコ悪くてありゃしない。

こうして、「こむら返り」の痛みは、今も続いている。  
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2012年02月11日

比較社会

受験シーズンである。

僕の高校入試に限れば、何も考えてなかったな…
中学3年生の夏頃まで、就職志願だったし、進学を決めたのも柔道をしたかっただけのこと。
進学先はスポーツが盛んでもなければ、偏差値が高い学校でもない。
寧ろ、各中学校の素行が悪い連中が集まり、世間から接触を避けられたような学校だった。
その、ありきたりな高校ではなかったのが、結果として多くのことを学べたと思っている。

僕は受験なんて、ただの手続きだと思っている。
それに、受験で将来が決まるほど単純ではない。
学校名や偏差値よりも、どんな連中とどんな時間を過ごしていたかの方が、断然に重要だった。
確かに比較社会だから、学歴の効力は否定しない。
でもね、机上の応用力は思いの外、通用しないんだ。
つまり、偏差値とは、頭の一部が良いに過ぎないのであり、その多くは人の能力に頼るしかない。
実際、社会に出ればわかるけど、偏差値とは全く次元の違う判断を多く求められた。
経験上、全ての能力が優秀な管理者なんて、誰一人いなかったよ。

それでも、出身校をひけらかしたりする風潮は、陰で根強い部分がある。
どこか、「優越感」と「劣等感」のカードを、ポーカーゲームに使ってる感じかな。
これじゃ、自分のプライドを維持する装置が、悲鳴を上げちゃうよね。
その意味で言えば、小手先のモノ知りよりも、人の気持を読める人が、本当の頭の良さかと思う。
たかが、受験による学歴なんだけど、間違った価値判断をおこすのも、学歴による就職である。

老婆心というのには、まだまだ早すぎるけど、この歳になると自然と見えてくることも多くなる。
それが正しいのか、間違っているのかわからないが、はっきりしていることは、その感情を経験したこと。
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2012年02月10日

顔出しNG

9日、LOFTで店の消耗品を購入し、上階の紀伊国屋書店で新刊を眺めていた。

隣の女性二人連れが、村上春樹の新刊の帯を見ながら、「こんな顔してるんだ」と指を差していた。
指先の写真を見ると、どこにでもいそうなおじさん顔である。
本の著者は、カバー裏に写真が載っている場合もあるが、あまり積極的には公開していない。
その方がミステリアスだと思うし、文章に触れながら、想像を張り巡らす楽しみもあるだろう。
すぐに、答を開けっぴろげにするんじゃなく、答を探っていく楽しみとでも言うのかな…。
だから、著者の顔や経歴など、最初から興味や執着は湧いてこない。
このあたり、声優があまり表舞台に出たがらない理由と似ていると思う。

ずいぶん前、同じ会社の女性上司が、「砂の器」で有名な推理作家、「松本清張」の数多くの作品に  はまってしまい、ファンレターまで送ったほどの熱の入れようだったようだ。
ところが文章から思い浮かべる顔が、美顔過ぎたため、当時60代の実物を目にしたとき、魚の「おこぜ」に似て見えてしまい、その想いは一瞬にして砕け散ったと酒の席で大笑いしたことがある。
実物なんて、そんな程度であり、顔なんて自分寄りにイメージしてしまう。

男がきれいな熟女を思い浮かべるとしたら、「黒木瞳」や「かたせ梨乃」なんか多いだろう。
でも、「柴田理恵」や「片桐はいり」だって、立派な熟女ながら、最初にはイメージしないでしょ。
それに、顔面厚化粧の「パエリア風」な熟女だって考えられる。
それは、男も女も一緒で、童話「鶴の恩返し」みたいに、その姿を見なかった方がいい場合もある。
イメージは絶対に自分寄りに、都合よく描いている訳だからね。

僕はブログに写真を載せたり、プロフィールを簡単に公開するようなことはしない。
知られてまずいことはないが、読んで知るぐらいの想像力がないと、中心を勘違いされてしまう。
それに、店名という実名で書いているので、実際は匿名でないから、顔だって隠していないし…
それでも、顔を見たいと思うなら、「昭和の売れないフォークソング歌手」をイメージすればいい。
だいたい、顔写真を載せるほど、自分にうっとりできる顔じゃないし…   見たら、ゲロ吐くぞ!

「おじさんにならない男」を目指していたが、首・肩・腰…  そろそろ、限界域に突入してきたようだ。
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2012年02月09日

2杯目…

8日、14時から予約した、美容室「髪細工万里」で、うっとおしい髪をバッサリと切ってもらった。

その後、時間があるので、さて、これからどうしようか…
小雪がちらついて寒いが、まだ家へ戻る気はない。
いつもの店はあるのだが、読みかけの文庫本を広げて、地味にコーヒーを飲んで過ごしているだけ。
店の女性店員に、甘い幻想は抱かないし、白昼に大人の情事でもあれば、逆に経験したいぐらいだ。

こんな具合に、どこか時間を持て余しているようだけど、気持ちの入れ換えに役立っている。
いずれ、何かをきっかけに出会いが高じ、話し相手ができるかも知れないが、今のところ何もない。
活字に飽きてくる頃は、ほとんど夕暮れなので、次第に意識は仕事に近づいていく。
店では知らず知らずに、気を張ることになるから、リラックスできる貴重な時間でもある。
そんな思いにふけていると、店内に、Stevie Wonder “Ribbon In The Sky” が流れてきた。
好きな曲に心地良さを感じ、もう少し寛ぎたくなり、2杯目のコーヒーをオーダーした。

タイトルを訳せば、「平和の絆」なんて意味なのかな…   いつ聴いても、素敵な曲である。

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2012年02月08日

電話営業

悪天候の日ほど、店の電話が鳴る。

店を構える以上、利便性のため、電話番号は公開する。
そうすると、並列的に営業の電話もかかってくる。
相手が仕事なら、こちらも仕事なので、前口上が長い電話アプローチはちょっと辛い。
だから、ストレートに用件を聞いて、その場で判断するようにしている。

一見、冷たい対応に思われるが、そうじゃない。
思わせ振りに対応すれば、相手の時間を奪うことになるし、僕の時間も奪われてしまう。
興味がないことには、「ない」「間に合っている」と、やんわり断ることが礼儀だと思っている。
それでも声の主から、食い下がられることもあるけど、僕の理解は電話で断られたら、潔く引けである。

これからの営業活動は大変だと思う。
ネット環境が充実したので、商品価格や素材や品質など、ガラス張りになったため、それに見合うだけの対価であるか、簡単に検証判断されてしまう。
そうなると、単純なことを専門的に言い換えたり、わざとわかりにくい説明を施して、煙に巻くような営業も横行してくると考えられる。
そのため、電話で与えられた一方的な情報よりも、自分で調べた方が信憑性が高いと思うようになるのは、今後の成り行きになるであろう。
世の中が変化してくると、頼るところは営業の人柄に託すしかなくなってくると思う。

電話営業を受けながら、従来型の電話アプローチも転換期に、差し掛かってきたと思えた。
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2012年02月07日

叫び声

6日、伊勢丹の脇道を歩いていた。

前方には、若い男が同じ方向を歩いていたが、雪道に足元を奪われ、悲鳴とともに尻餅をついた。
後方から、「大丈夫?」と声をかけると、「ええ、何とか」と答えて歩き出す。
興味を持ったのは、転倒と同時に発せられた、男の叫び声である。

普通、活字で目にする声の描写やドラマで耳にする悲鳴など、「キャー」だの「アー」が定番であろう。
でも、本当にその通りの悲鳴なんて上げてないよね。
さっきの男も、僕の耳には、「ウッシャパー,%&#$!」と吃音に聞こえた。
驚いたとき、慌てふためいたとき、誰でも小声で悲鳴を発している。
それは「ウヒョ」とか「アチョ」、「ヒョエィ」「ワーオ」だの、何かしら口ずさんでいるものだ。

この崩しは、「フリージャズ」である。
女性シンガー「エラ・フィッツジェラルド」ばりの高度なテクニックで、「ダバ・ダバ・ダ・ダバ」と、スキャットをかましていたりしてね。
今や、定番の悲鳴は聞けるのであろうか、今度、耳を澄ましていろいろな吃音を聞いてみたいな。

僕の叫び声は、「オヨヨ…」と吃音を発する。
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