2011年12月03日

アリと北風

うーん、さらに視力が衰えて、老眼も進んできたようだ。

本や新聞は離して読むし、テレビの固定テロップも、何だかぼやけてきた。
気がつくと目を細めているときもある。
若い時から、視力が良かっただけに、急激な落差に閉口してしまう。
メガネをかけるのも、そんなに遠くないはずだ。

こうして、身体のパーツは衰えてくるのだが、僕の考え方は守勢に入り過ぎないこと。
視力が落ちてきたら、目をいたわりながら使う。
視力が良いときこそ、書物に触れておこうとか、歯が丈夫なとき、硬めな食材を食べておこうとか。
歯に関して言えば、動物の死期は歯がなくなったときだという。
今は医学の発展で、人は生かされるようになったけど、自然界の摂理からすれば寿命は短いのだ。
だから、昔の人は太く短く、早熟な生き方だったとも言えよう。
老化を怖れるんじゃなくて、ケアしながらも、積極果敢に使おうとする考え方に近い。

人はよく、「時間があったら〇〇したい」と洩らすが、大半は本当に時間が出来てもしないと思う。
先延ばしの思考は停止状態であり、本当にやりたかったら、それに備えてすぐに行動に移るだろう。
だってさ、「今度」と「おばけ」は、出たためしがないことから、ほとんどが口からの出任せや言い訳だよ。
そう思えば、老いとは人生の士気を高める「今」であり、老化現象で気力が削がれることではない。
老後の心配を、優先順位に掲げ過ぎる男は、今の気力がないので、失っているものが大きいと思う。
40〜50代に、今を楽しむ姿勢とか、気概がなくなったら、これから先の未来など末になってくる。

例えば、好物は最後に残しておいてから、ゆっくりと食べる人がいる。
それが寿司なら、時間が経てば経つほど、乾いてしまい、身も固くなるから、食感は変わってしまう。
一番美味しい好物を食べたつもりが、食べ惜しみをしたために、実は不味いものに変わってしまったが、 本人がそれをわかってなかったりする感じかな。

童話 「アリとキリギリス」と、「北風と太陽」は、誰もが知っているだろう。
今の日本人の思考は、「アリ」と「北風」に、極めて傾倒しているようでならない。
これじゃ、景気なんて良くならないし、「キリギリス」と「太陽」の発想力も、見習わなくてはならない。
世間の考え方が、傾倒し過ぎているようにも思える。

働いているから、遊びたくなるし、遊べないことは、働いていないこと。
僕は身の丈でしか遊べないけど、遊んだからといって、「別に死にゃしないよ」と思っている。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする