2011年12月07日

喧嘩柔道

来春から、全国の中学校の体育授業に、武道が必修科目になるという。
何でも、柔道・剣道・相撲のいづれかを学校側が選択するようだが、段取り面を考えれば、大半は柔道を導入するであろう。
柔道の導入は賛成ではあるが、取組み方には慎重を期するべきだ。

種目別の体育事故によるリスクは、柔道が群を抜いて高い。
それもそのはずで、柔道ほど実戦が楽しいものはない。
若いから、強さに対する本能を併せ持っているため、未熟であっても早く実戦を求めてしまうからだ。
加えて、その有り余った若い本能を統制できない、にわか指導者にも問題はある。
技の危険度を知らぬまま、力任せに技をかけたり、受身の仕方が不十分であったりすると、取り返しがつかないことも考えられる。

僕が現役の頃、鎖骨の骨折や腰の打撲、頚椎の捻挫など、数多くの現場を目撃したが、試合で右半身不随になった選手もいた。
それら経験あっての事故であり、初心者レベルならば、その危険度はわからぬまでもないだろう。
投げ技でもリスクを負う上、寝技はともかく、先々の絞め技や関節技を覚えれば、瞬間の凶器と化す。

テレビで観る柔道レベルは、高いスキルによる攻守の信頼関係で、真剣勝負が成立している。
相手に怪我を負わせる、無茶な荒技を仕掛けないことは、お互いのプライドの高さである。
それが、ガキレベルになると、そんなことはお構いなしだから、実戦そのものは危なっかしい。
まずは、前方受身、後方受身、手のつき方、倒れるときには絶対にアゴを引くとか、瞬間防御が万全でないと、体にかかる衝撃度は大きい。
特に、首を鍛えておかないと、体重差で体を壊されてしまう。
危険度はこの限りではないが、受身の稽古が如何に重要かわかるであろう。

血気盛んな頃であれば、ちょっとした弾みで、「ケンカ柔道」になりがちとなる。
そうさせないためにも、ガッチリと睨みが利く顧問であり、メディカルチェックができるぐらいじゃないと、 安全体制は整わないと考える。
まずはもう、「根性だ」 「気合だ」 なんて、言っている時代じゃないんだからね。
何をどう教えていいか、わからないことには、必修科目として柔道は成立しないと思う。
僕が言うのはおこがましいが、柔道を通して、若い心に芽生えるものがあったらいいなとも思う。

それこそ、「文武両道」であれ…  10代の自分自身に向けて、放っている言葉でもある。
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2011年12月06日

銭湯の老木(2)

たまに、銭湯で見かける光景である。

年老いた父親と息子と思しき、二人連れの親子。
父親の不自由な動きを介助しながら、目を放すことなく、一緒に連れ添って入浴している。
身体を洗うときには、息子が父親の背中を無言で流している。
照れる間柄でもないので、やり取りは自然に映る。
周りの客も、ただ静かに見守っているだけ。
何も言葉を交わさないが、長年の親子の味わいを感じてしまう。

親が子育てに命をかけるのは、真っ当な人間に育てて、世に送り出す最大の責務がある。
逆に子供も、親の介護は命を看取るまでの、尊厳のある無償の行為だと思う。
その光景を目にしながら、親子が肌と肌を触れ合うのは、ごく自然なことなんだなと思った。
こういう場面でこそ、親と子の奥行きがわかるものだ。

社会を見ていると、まだ老人を子供扱いする傾向が見受けられる。
そこに悪気がないことはわかっている。
逆に老人も、今の長寿社会に胡坐をかき過ぎず、晩年を大切にすべきだと思う。

僕も28年ぶりに、おねえさまから背中を流してもらいに、個室付き特殊浴… いや、何も言ってません!
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2011年12月05日

銭湯の老木(1)

銭湯へ行く時間は、昼と夕方ごろの境目が多くなった。

目覚めのシャワーを浴びるのが日課なので、朝(昼)風呂代わりで気持ちも晴れる。
だが、日曜は結構混んでいることもあり、あまりのんびりと寛げないこともある。
そんな、入浴客の大半は初老だ。

湯船に浸かりながら、浴室全体を見渡して感じたことがある。
特に、70歳以上の高齢客は年季が入った、老木のようにも見えなくはない。
髪が葉なら、腕は枝、皮膚は幹の皮、足は根のようだ。
そんな金玉は、松ぼっくりのようにも見える。
そうか…  老いることは老木になること、それも松の木になるのである。

しかも、みんな寡黙で、動きもゆっくりだ。
それでいながら、目は輝いており、足を一歩一歩、着実に踏み出している。
何も語らぬ、初老の背中に、これまでの日本の歴史的背景を感じてしまう。
銭湯は寡黙な晩年の男たちに、無言の喜びを与えてくれる聖地なのである。

断っておくが…  わしゃ、じじ専のホモではないぞ!  (−_−メ)
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2011年12月04日

47歳 西遊記

12月4日 47歳の誕生日。
人生を振り返る年齢でもないが、来年は年男(辰)であるから、これまでとこれからを語ってみたい。

人生、「西遊記」のように思える。
道すがらで人と出会い、そのときを一緒に生きながら、また道筋半ばで別れたりする。
道中、意図せぬ妖怪や事件に出くわしながらも、その時々でいろんな人の助けを得て、本当にあるのかどうかわからない天竺を目指して、ただ歩を進めているだけかもしれない。

家族なら、孫悟空が夫、三蔵法師が妻、沙悟浄が長男、猪八戒が次男であったりもする。
そんな僕らは、孫悟空と三蔵法師の二人三脚であり、道中をささえる家族はいない。
これから先、道筋で出会う人もわからない。
現在のつきあいが、生涯を通して影響するかも知れないし、過去のつきあいが、何かをきっかけに再燃するかも知れない。
妖怪が行く手を遮れば、戦わなきゃならないし、危険を感知すれば、迂回しなくちゃいけない。
歩きながら、本当にこの方向でいいのか、迷うことだらけである。

ただ、わからないことが、天竺(天国)へ向かうまでの、距離(寿命)である。
60歳、70歳…  80歳かも知れないし、その距離だけは本当にわからない。
信仰主義はないので、神など信用してないが、結局は生きていれば、どうしても行き着く場所の形容をせざる得なくなってくる。
その意味では、天竺とは天国であり、存在しない場所に向かって、ただ歩いているだけなのかもね。

出会いと別れを繰り返し、歩き続けて早くも今日で47年…
来年の年男となる、自分自身へのエールは、「 出会いに幸あれ 健闘を祈る 」である。
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2011年12月03日

アリと北風

うーん、さらに視力が衰えて、老眼も進んできたようだ。

本や新聞は離して読むし、テレビの固定テロップも、何だかぼやけてきた。
気がつくと目を細めているときもある。
若い時から、視力が良かっただけに、急激な落差に閉口してしまう。
メガネをかけるのも、そんなに遠くないはずだ。

こうして、身体のパーツは衰えてくるのだが、僕の考え方は守勢に入り過ぎないこと。
視力が落ちてきたら、目をいたわりながら使う。
視力が良いときこそ、書物に触れておこうとか、歯が丈夫なとき、硬めな食材を食べておこうとか。
歯に関して言えば、動物の死期は歯がなくなったときだという。
今は医学の発展で、人は生かされるようになったけど、自然界の摂理からすれば寿命は短いのだ。
だから、昔の人は太く短く、早熟な生き方だったとも言えよう。
老化を怖れるんじゃなくて、ケアしながらも、積極果敢に使おうとする考え方に近い。

人はよく、「時間があったら〇〇したい」と洩らすが、大半は本当に時間が出来てもしないと思う。
先延ばしの思考は停止状態であり、本当にやりたかったら、それに備えてすぐに行動に移るだろう。
だってさ、「今度」と「おばけ」は、出たためしがないことから、ほとんどが口からの出任せや言い訳だよ。
そう思えば、老いとは人生の士気を高める「今」であり、老化現象で気力が削がれることではない。
老後の心配を、優先順位に掲げ過ぎる男は、今の気力がないので、失っているものが大きいと思う。
40〜50代に、今を楽しむ姿勢とか、気概がなくなったら、これから先の未来など末になってくる。

例えば、好物は最後に残しておいてから、ゆっくりと食べる人がいる。
それが寿司なら、時間が経てば経つほど、乾いてしまい、身も固くなるから、食感は変わってしまう。
一番美味しい好物を食べたつもりが、食べ惜しみをしたために、実は不味いものに変わってしまったが、 本人がそれをわかってなかったりする感じかな。

童話 「アリとキリギリス」と、「北風と太陽」は、誰もが知っているだろう。
今の日本人の思考は、「アリ」と「北風」に、極めて傾倒しているようでならない。
これじゃ、景気なんて良くならないし、「キリギリス」と「太陽」の発想力も、見習わなくてはならない。
世間の考え方が、傾倒し過ぎているようにも思える。

働いているから、遊びたくなるし、遊べないことは、働いていないこと。
僕は身の丈でしか遊べないけど、遊んだからといって、「別に死にゃしないよ」と思っている。
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2011年12月02日

異邦人

万代付近はコンパクトに、都会と田舎が入り交じっている街である。

人を形容する仕方に、都会の人=冷淡・薄情、田舎の人=温和・人情とイメージで括られやすい。
前置きしておくが、ここで使う田舎に過敏反応しないでほしい。
僕は逆の見方で、都会のイメージこそ、センスアップされた優しさだと思っている。

エレベーターであれば、誰かの行き先階ぐらいは、気軽に押せるだけの余裕がある。
ドアは後続の人がいれば、少しの間を支えてやるだけの気配りができる。
エスカレーターの片側を開けておくことも、周辺配慮ができていることだろう。
これら、自然な身の振舞い方こそが、都会人のスピードとスマートさだと思う。
スマートさは優しさであり、優しさとは強さであろうし、強いことは都会で生きられる証だ。
都会人だから、人に優しいし、それが田舎者だったら、感覚的に乏しいからできないと思う訳。
善し悪しではなく、新潟の玄関周りで生活しているからこそ、その差がわかるときがある。

1ヶ月前に、こんな出来事があった。
両手に重い手荷物を抱えながら、やっとの思いで自宅マンション、入口オートロックを解除した。
するとドアの真ん中で、いい年をした恰幅の大きい男が、我が物顔でドアが開くのを待っていた。
ドアが開くと、スタスタとエントランスに入り、サッサッと自分だけエレベーターに乗り込もうとしていた、 不遜な態度に思わず怒りをあらわにした。
「失礼だろ、おたくのために、ドアを開けたんじゃないんだよ!」と一喝。
普段、小さいことにいちいち怒るほど、無駄なエネルギーは使わないが、さすがに言葉が衝いて出た。

初めて見る男は、どんなに人に偉そうな態度を取っているのか、自覚がないのだと思われる。
この場合、品性の問題に行き着いているのかも知れないね。
都会に紛れ込んでいる田舎者とは、こういう男のことを指すのだ。

こういう僕は…  新潟の異邦人なのかな。
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2011年12月01日

2011 December

【12月定休日】 
    4日(日)・25日(日)・31日(大晦日)
【12月特別営業日】
  11日(日)・18日(日)・23日(金) / 深夜1:00

   ※年始は1月4日(水)より、通常営業致します。

 住所   新潟市中央区 東大通2−9−5  
 電話   025−247−1644
 営業時間 19:00→深夜3:00
 定休日  日曜日 
 客席数  カウンター10席 ボックス席(5~7名)有。
   ボックス席は電話予約をお薦め致します。

【徒然なるままに…】

賑やかな群れから別れ、ちょっと静かな場所で寛ぎたいと思っても、意外と街中では少ないものである。
そんな時、当店を思い出してもらえば、店主として嬉しい。
バーでは、大声で騒ぐ客はいないが、それでも年末は声のトーンが高くなり、笑い声も高らかに響く。
去る年に思いを馳せながら、夜が更けていく様子は、店内がうるわしさに包まれていくものだ。

当店、街中の喧騒から少し外れ、およそ特徴のない街にある、何の変哲もない、「ジャズバー」である。
街のネオンに迫力こそないが、暗がりの路地で、深夜3時まで、「ブルーの看板」を灯している。
扉を開けたら、「Helen Merrill」の地味で気だるい、ハスキーな歌声が流れているかも知れない。

さあ、今年もあと1ヵ月だ。  初顔と見覚えのある顔と、心ときめく夜が、続くことを願って…
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