2011年11月29日

試行錯誤

飲食店の現場に入ったのが、87年のバブル全盛の22歳だった。

「ハード」な部分(ハコ)ばかりが先行し、「ソフト」な部分(教育)は遅れていた。
今のように、調理師学校が充実している訳でもなく、教育的な育成セミナーでスキルアップできるほどの手法はまだまだ出遅れていた時代である。
観念的な修業も多く、場当たりで技術を身に付けるしかなく、適当な飲食店も点在していた。
僕など経験がないまま、飲食の現場に放り込まれたが、その現場レベルの低さが今になれば、痛快な出来事として微笑ましくなる。
あの頃は、みんな20代で皆若かったし、「感覚的にこんな感じかな…」程度で、勝手に次のステップに行っていたほど脳天気だった。
バーのキッチンに、研修に入れられたときのエピソードをひとつ。

店長(調理長)は、元洋食シェフらしく、本部が決めた調理レシピーに不満を吐いては、日夜オリジナルメニューの創作に励む、大変アカデミックな人だった。
新メニューと称して、味見をさせられたが、誰も発想できない、奇抜なアイディアの持ち主でもあった。
ただし、それは良いほうにも、悪いほうにも傾くが…

待望の第1作目は、「海苔サンド」。
韓国産の海苔を醤油で湿し、数種類の野菜と一緒に、食パンに挟んで提供しただけのもの。
その発想は当時ヒットしていた、「海苔弁当」の「海苔」に、こだわりを持ったらしい。
不味いどころか、海苔を噛み切れないとのクレームで、開始2日目であえなく終了。
それでも、めげないところが、この人の凄いところ。

第2作目は、「キムチサンド」。
説明するまでもないが、キムチとパンの相性が合うとは考えにくい。
しかも、「深夜族スペシャル」と名づけたが、中のキムチだけを酒のつまみに食べられるだけ… 終了。

第3作目は、「ミステリーサンド」= (何が具になっているか、そのときまで秘密らしい)
ウエイターから、「自分が美味しいと思えないメニューを、オススメできません」と言われる始末。
周囲も、「その意気込みは認めますが、もうグランドメニューだけにしましょうよ…」と言うが、やらなきゃ気がすまないタイプだ。
僕は研修の身ではあったが、「ミステリー食材の具とは、いったい何ですか」と質問した。
すると店長は何を思ったのか、「それを考えるのが、君たちだろう」と、急に立場を入れ替えたことを言いみんなが厨房カウンターで、ズッコけたこと。
やたら、パンにこだわっていた理由は、何でも身内がパン屋らしく、そこから取るためだとか?
その後、創作メニューを本部の担当者に知られ、指定メニュー以外は提供しないよう通達された。
半年後、店長は店を移動させられ、そのまま退職したとの噂を聞いたけど、今頃元気なのかな。

試行錯誤の時代でもあったので、やる気はあっても、的を得ないこともたくさんあった。
今はマニュアルとか研修で、ある程度のレベルまで行っている人がほとんどだけど、あの当時は、上手な人もいれば、下手な人もいて、性格的な混成さを楽しめたと思う。
この後ぐらいじゃないかな、体系的な仕組が出来上がって、より検証的になっていったのは…。

あの時代を振り返ると、僕の中には、東京と新潟含め、「短編集」が何話も詰まっている。
最近思うことは、自分ひとりの胸の奥にしまっておくのは、もったいないかなという気がしてきた。
たまには、気まぐれで、小出しにしてもいいかなと思っている。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする