2011年11月22日

オウム裁判終結

95年3月に発生した、地下鉄サリン事件による、一連のオウム事件裁判が21日に終結した。
あの日、僕は東京から新潟に帰省中で、宿泊先のホテルで事件を知った。
あれから、17年近く経過するが、13人の死刑判決が言い渡された異例の凶悪事件であり、犯人たちは理数系の高学歴者が多かったのが特徴的だった。

その昔、日米安保条約をめぐって、さまざまな学生運動が起きていたとき、一部の世間では行動を支持した論調もあったと聞く。
その理由に、高学歴の学生が参加してるから、何かがあると思い込みの思考に陥ったと考えられる。
真相を判断するとき、人は「何が」より、「誰が」を優先し過ぎると、思考は一時停止するとも思える。
つまり、当然の疑問を、疑問としなくなってしまうからだ。

政治を例に挙げれば、国会議員は学歴優秀で英才教育を受けた、サラブレッド集団でもある。
なのに、我々庶民からすると、「エリートを以っても、今の日本か…」と疑問を持たざる得ない。
高い位置から一面的に見たり、学歴主義だったりすると、世の中が曇って見えるんじゃないかな。
そういう僕だって、トリックアートを見せられていたり、思考停止の部分もないとは言い切れない。

オウム事件の背景には、専門的で真面目過ぎる人物が、何かのきっかけで思考を奪われたと言える。
適度な遊びを知らずに育つと、突然思い切った行動に出ることがあるので怖い。
信仰の自由を抑圧する権利はないが、狂信的になると罪悪感すら、乗っ取られてしまう懸念もある。
それが証拠に、首謀者である麻原こと松本死刑囚は、最後までゆがんだ心が治らなかったでしょ…

個人的に思うことは、同年代でありながら、高学歴で複雑な数式を意図も簡単に解いてしまう男だが、 「世界の荒鷲・坂口征二」の<ジャンピング・ニーアタック>を知らない人には魅力を感じにくい。
偏差値の高い人が正論を語っても、共感されにくいのは、こういうところから来ていると思うんだよね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする