2011年11月30日

三丁目の夕日

文明の利器に喜んでばかりいられないよな。

今や外出しなくても、家にいながら、買い物ができるようになった。
日常生活が便利になればなるほど、逆に雇用が削減されるのが世の常。
便利になるのはいいが、引き換えに人件費を圧縮されることは、覚悟をしなきゃいけない。

今なら販売職や営業職、ペーパーレスが進んでいる事務職などは、高いスキルがあろうがなかろうが、コンピューターで代替利くようになるかも知れない。
最先端機器を導入すれば、余剰人員が増すことは当たり前である。
文化的な空間を生業としている、僕らのような職業だって、けして例外ではない。
自分には降りかからないと思っても、刻一刻とせっちん詰めにされていることには、気づかないものだ。
こういう状態の中、雇用を増やせと言っても、自分たちが雇用に反する私生活を求めている訳だ。
そう考えると人は、無意識に総論賛成、意識は各論反対で、矛盾した生活を送っているのである。

僕は、近くで買える物は近くで、近くで楽しめることは近くでが、基本スタンスだ。
それと小さい抵抗ながら、スーパーのセルフレジは、極力使わないようにしている。
セルフレジの稼働率が高くなれば、雇用は拡大せず、レジの占有率だけが拡大する。
つまり、消費者からすれば便利だが、行き過ぎた便利は、雇用の促進にはつながらない。

映画 「ALWAYS (三丁目の夕日)」を、観た人は多いと思う。
三種の神器のひとつ、冷蔵庫がどこの家庭にも、普及していく様子が描かれていた。
それまでは、近所の氷屋が切り出した氷を、各家庭に配達していたが、もう必要はなくなってきた。
その現実に直面した、氷屋の主人の複雑な心境が、映画のワンシーンで印象に残っている。
映画は、これからの日本の活況を明るく描いた反面、心の内面を捉えたあの場面にこそ、本当に監督が伝えたかったことであろう。

都市が繁栄すれば、大型ショッピングセンターの出現により、街の商店街に客が来なくなるという昔からの社会問題は解決されない。
前にも書いたけど、ショッピングセンターが悪いんじゃなくて、暮らす人の程度問題だと思っている。
資本が大きく、もてはやされている安い店にも行くが、少し高いけど孤軍奮闘で頑張っている個人商店にも行くぐらいの、サジ加減はないのかなと思ってしまう。
そういう、小さい投資マインドがないから、結局は値段でしかモノを買わなくなっていると思う。
僕自身の生活方針は、贅沢はできないけど、サジ加減とか、メリハリは利かせるようにはしている。

便利になったからと言って、喜んでばかりいられないのは、どこかにしわ寄せが来るからだ。
その意味で、便利や流行という言葉に踊らせられて、安易に飛びつかないようにしている。
現在、人間型ロボットの実用化が、もうそこまで来ているという…   考えよう、それだけだ。
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2011年11月29日

試行錯誤

飲食店の現場に入ったのが、87年のバブル全盛の22歳だった。

「ハード」な部分(ハコ)ばかりが先行し、「ソフト」な部分(教育)は遅れていた。
今のように、調理師学校が充実している訳でもなく、教育的な育成セミナーでスキルアップできるほどの手法はまだまだ出遅れていた時代である。
観念的な修業も多く、場当たりで技術を身に付けるしかなく、適当な飲食店も点在していた。
僕など経験がないまま、飲食の現場に放り込まれたが、その現場レベルの低さが今になれば、痛快な出来事として微笑ましくなる。
あの頃は、みんな20代で皆若かったし、「感覚的にこんな感じかな…」程度で、勝手に次のステップに行っていたほど脳天気だった。
バーのキッチンに、研修に入れられたときのエピソードをひとつ。

店長(調理長)は、元洋食シェフらしく、本部が決めた調理レシピーに不満を吐いては、日夜オリジナルメニューの創作に励む、大変アカデミックな人だった。
新メニューと称して、味見をさせられたが、誰も発想できない、奇抜なアイディアの持ち主でもあった。
ただし、それは良いほうにも、悪いほうにも傾くが…

待望の第1作目は、「海苔サンド」。
韓国産の海苔を醤油で湿し、数種類の野菜と一緒に、食パンに挟んで提供しただけのもの。
その発想は当時ヒットしていた、「海苔弁当」の「海苔」に、こだわりを持ったらしい。
不味いどころか、海苔を噛み切れないとのクレームで、開始2日目であえなく終了。
それでも、めげないところが、この人の凄いところ。

第2作目は、「キムチサンド」。
説明するまでもないが、キムチとパンの相性が合うとは考えにくい。
しかも、「深夜族スペシャル」と名づけたが、中のキムチだけを酒のつまみに食べられるだけ… 終了。

第3作目は、「ミステリーサンド」= (何が具になっているか、そのときまで秘密らしい)
ウエイターから、「自分が美味しいと思えないメニューを、オススメできません」と言われる始末。
周囲も、「その意気込みは認めますが、もうグランドメニューだけにしましょうよ…」と言うが、やらなきゃ気がすまないタイプだ。
僕は研修の身ではあったが、「ミステリー食材の具とは、いったい何ですか」と質問した。
すると店長は何を思ったのか、「それを考えるのが、君たちだろう」と、急に立場を入れ替えたことを言いみんなが厨房カウンターで、ズッコけたこと。
やたら、パンにこだわっていた理由は、何でも身内がパン屋らしく、そこから取るためだとか?
その後、創作メニューを本部の担当者に知られ、指定メニュー以外は提供しないよう通達された。
半年後、店長は店を移動させられ、そのまま退職したとの噂を聞いたけど、今頃元気なのかな。

試行錯誤の時代でもあったので、やる気はあっても、的を得ないこともたくさんあった。
今はマニュアルとか研修で、ある程度のレベルまで行っている人がほとんどだけど、あの当時は、上手な人もいれば、下手な人もいて、性格的な混成さを楽しめたと思う。
この後ぐらいじゃないかな、体系的な仕組が出来上がって、より検証的になっていったのは…。

あの時代を振り返ると、僕の中には、東京と新潟含め、「短編集」が何話も詰まっている。
最近思うことは、自分ひとりの胸の奥にしまっておくのは、もったいないかなという気がしてきた。
たまには、気まぐれで、小出しにしてもいいかなと思っている。
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2011年11月28日

20年を経て…

バブルの好景気に沸いていた、「1986~1989」年頃。

僕は世間知らずの若者であり、会社側からすれば都合よく、理不尽な扱いにも従っていたと思う。
会社は、テレビの冠番組を持つほど潤っていながら、利益が社員へ還元される仕組みがなかった。
バブル景気の恩恵は受けることなく、「会社から、必要とされているんだ」という、純粋な使命感だけで、 身を粉にして前線部隊へ志願して行った。
中小企業から急激に成り上がった、「同族経営」の虚しさを知ったのは、それから何年か後だった…

そんなバブルが崩壊する、「1990」年某月。
早朝、会社から電話でたたき起こされ、僕が担当する品川区の現場へ向かった。
現場に着くと、二人の捜査員に身辺を囲まれ、持ち物検査と所持している鍵一式を照合された。
さらに、現場のあらゆる書類などを、ダンボール箱に入れて持ち出されていく。
何が起きているのか、わからぬまま、新宿の本社だけでなく、関東近辺で東京国税局による、一斉強制捜査へと踏み込まれていた。
それは映画「マルサの女」さながら、会社が脱税行為を犯して、全国ニュースにもなったほどだ。
社長は容疑を認め、「愚かなことをしてしまった…」とインタビューに答えたが、それによって事態が好転するはずもなく、もはやこの後の希望は描けなかった。

会社は本業以外にも多角経営しており、海外にも進出していたが、事件を契機に業績は悪化した。
僕ら世間知らずの若者は、愛社精神と忠誠心だけで夢を描いていたが、それまでの脱税行為を知る由もなく、無責任な解散へと追い込まれていった。
僕は海外事業部へ配置転換が内定していたが、師と仰ぐ常務が社内政治で失脚したため、次第に意図していない環境に取り囲まれてきた。
常務は若い精鋭を数名ほど引き連れて、新会社を立ち上げたが、僕には声はかからなかった。
新会社では、戦力にならないと判断されたようだが、不思議とショックはなかった。
それはもう、精神的に独り立ちしなきゃいけない時期と、重なっていたからだと思える。
僕がしたことは、会社に置き忘れた常務のゴルフバックを、指定された愛人のマンションに届けただけ。

自分で言うのもなんだが、誰よりも真面目で熱心な姿勢は、関連部署からも買われていたようだ。
関連の幹部から、よく喫茶店に呼び出されて、どこか含みをもたせた口調で話を切り出されたが、漠然と会社の外に夢を描いていたので、どんな説得にあっても心はそこにはなかった。
会社からは、退職金代わりの十万円を頂いたが、その夜、東京の仲間を集めて新宿で飲み明かした。
だが、虚しさを残したままで、新潟に帰ろうとは全く思わなかったし、寧ろ、これが契機となり、次の展開へ行くことになったので、起死回生だったのかも知れない。

物語風に末尾を伏線めかしたが、正真正銘 「26歳」のドキュメントである。
30年前の記憶を追いかけるのは遠いし、10年前の記憶は近くて生々しいものだ。
そう考えると「20年」であれば、赤ん坊が成人式を迎えるほどの年月が経過したので、区切りという見方では、決まりをつける意味でも、こうして言葉を残しやすいと思える。
僕の今の年齢からすれば、それが今後は「10年」ペースで書き綴れるのかも知れないね。
いつまで続くかわからない、「ブログ日記」だが、記憶を整理して筆記(打つ)することは、自身を律する意味でもあり、何よりも記録を残しておくのは、面白いんじゃないだろうか。
もちろん、人との関わりで書けることなので、縁を平気で粗末にすることは、絶対にできないよね!

僕は来月 「47歳」になる。
「20年」という時の流れは、僕の生活をすっかりと変えてしまった…   だから、人生おもしろい!
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2011年11月25日

Funkyおやじ

60歳以上のファンキーなオヤジはカッコいい。 (ファンキーの意味は、野生的とか躍動感を示す)

僕が思い描く、「ファンキーオヤジ」とは、「野生の美学」を感じさせる男。
キャラクターでは、「泉谷しげる」が、最もファンキーに見える。
一見、荒っぽそうだが、実はちゃんと礼儀と仁義をわきまえている、晩年意識の高い男だと思う。
また、「人は人、俺はこうだ」と、しっかり断言できるところが、ファンキーである。

10年ほど前、雪印集団食中毒事件が発生したとき、当時某ニュース番組のコメンテーターを務めていた彼が、「真面目に現場で、仕事をしている人のためにも、俺は雪印牛乳を飲むよ!」と語っていた。
それまでは、各局が事件を弾圧する過熱ぶりを見て、どこか報道を権威づけしているようにさえ思えた。
しかし、その一言で、感情の高ぶりという、溜飲が下がる思いをしたのは事実だった。
彼は、事の善悪を判断できて、詭弁を用いない、ストレートで言葉のわかりやすさがいい。
「泉谷しげる」こそ、ファンキーの塊である。

他にも、「大竹まこと」 「やしきたかじん」 「宇崎竜童」 「矢沢永吉」 先日、喉頭がんのため死去した 「立川談志」は生前から、「葬儀はするな」 「骨は海に散骨しろ」と遺言していたというが、これもまた、 ファンキーなオヤジである。
それが、石原軍団のように、徒党を組んだオヤジたちでは、魅力が半減しちゃうんだ。
やっぱり、ファンキーなオヤジとは、孤高とでも言おうか、一匹狼タイプなんだよな。

僕は仕事柄、年上とも接点があるんだけれど、当店のお客さんも、なかなかファンキーである。
無理して、大人の型紙に自分を押し込んだタイプではなくて、少年が自然と大人に成長したタイプ。
行動はどこか不良っぽいんだけど、何か憎めなくて、反省する姿が妙に可愛かったりもする男。
それでいながら、昔からケンカはめっぽう強くても、つまらないケンカを買うことなく、その裏づけとして、ブレない正義感と優しさを持ち合わせている硬派。
共通していることは、男に好かれている男であり、男に評判が悪い男は、どこか信用が置けない。
今、列挙した男の固有名詞は、基本的には誰もが認める、ファンキーなオヤジだと思う。

少し前に流行した、「チョイワルオヤジ」なんて、所詮は作り出された、エセな軟派劇場だと思っている。
これからは筋金入りの、「ファンキーオヤジ」の時代、未来形で言えば、「ザ・ファンキー連合」だ。
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2011年11月24日

壁の向こう…

銭湯で女湯から、話し声や笑い声が響いてくると妙に寛げる。

男は、黙々と身体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かるだけ。
疲れを解しているときほど、しゃべらなくなるものだ。
気ままな雰囲気になるのは、脱衣場で過ごすときぐらいかな。

女は、晩飯のおかずや近所の噂話に興じては、何が可笑しいのか、けたたましい笑いが銭湯中に響く。
それを聞いて心地よくなるのは、女性が持つ周波数が耳に合っているのかな。
気が緩んでいるときの会話には、気疲れがないのがいい。

東京在住時、吉祥寺のレストランで、相方の女友達と僕を含む四人で食事をしたことがある。
挨拶もそこそこ、ここからはもう、女三人のトークショーだ。
その間、男ひとりの僕は、静かにワインを口にしながら、運ばれてきた料理に手をつけていた。
会話には加わらず、適当に相槌を打つと気を遣って振られるが、無理に割って入る自意識はない。
こういう空気であれば、女同士で会話をクリエイトしているのだから、放っておくに限る。
無理に男が女の会話に入ると、ありがた迷惑になるので、そこは融通を利かせる場面だと思っている。
こんな具合に女同士は、答えのいらない会話を、延々と回しあっていけるのが女だ。
男には、なかなかできない会話術なので、そばで聞いていると何か寛げるんだよね。
まあ、男は女の世界に割り込まず、聞きながら楽しむことである。
帰り道、相方から「あまり、しゃべらなかったね」と言われたが、「女湯に入れないよ…」と、内心思った。

そんな訳で、壁向こうから聞こえてくる井戸端会議は、銭湯で聴けるラジオ代わりになっている。
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2011年11月23日

お坊ちゃま

本当は2日続けて、社会風刺するようなことは、書きたくないんだけど…

22日、大王製紙の「御曹司」(47歳)が、特別背任の疑いで逮捕された。
報道によると、子会社から100億円超の借入金を取締役会の事前決議もないままで、無担保で自身や関連会社の口座に振り込ませたという。
その使途全額、ギャンブルで消えたというが、詰まるところ、ギャンブラーにもなれなかったようだ。

このところの報道を目にすると、全体的に経営陣の倫理観が欠落してきていると思われる。
御曹司と呼ばれる「お坊ちゃま」であればなおさら、金で苦労したことがないから、それこそ、飲む・打つ・買うの(大酒・博打・売春)三点セットに走っちゃうんだろうね。
そのうちの少しでも、震災の被災地などへ寄附するとか、そういう器量はないのかな。
結局、豪邸や高級車など、ありとあらゆる贅沢を手にした先にはもはや、快楽の塊と化して、酒池肉林な生き方になるのであろう。
生まれつきのお坊ちゃまでは、ほどほどの世界で、満足することを知らないんだろうな。
この際、財布と携帯電話を没収して、研修代わりにひとりで1ヵ月ほど、無人島に放り出せばいいのだ。

その年齢は、僕と変わらない。
中高年が、家計の中で慎ましく生活してるのに、その浮世離れした、私欲の塊には呆れてしまう。
規模こそ違えど僕も含め、親しい友人に会社経営者や個人事業主などいるが、資金繰りを考えると夜も眠れないとか、過労で倒れそうになったりとか、修羅場を経験している者もいる。
彼は親が敷いてくれた、順風満帆なレールに添うだけで、そんな経験したこともない訳だ。
することと言えば、会議で妙な精神訓話を演説して、周囲を困惑させているだけであろう。
それらを臆面なくできるのは、競争原理や協同一致が働かない世界で、癒着や快楽を貪っている証だ。

僕は、たいした経験もないまま、若い頃の新宿以来、何十年ぶりにバーテンダーでカムバックした。
断っておくけど、一度も自分を自分で、カッコイイなんて思ったことはないし、バーテンダーのイメージが独り歩きしているだけで、現実には職業蔑視されたり、泥臭い見方をされるものである。
そこから見えてきたことは、日夜、止まり木で酒を飲む、男たちの哀歌だ。
それでいながら、みんながひた向きに前を見て、そして何よりも明るいことが大きな魅力なんだ。
面白いモンで、身近で助け合ったりしているのは、庶民レベルなんだよね。

だから、浮世離れした御曹司には腹が立つし、こやつと金網オクタゴンで向き合ってみたいね。
ドラゴン・スープレックスで、カウント2.99で止めた後、こいつも必殺 「電気あんま」だ!。
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2011年11月22日

オウム裁判終結

95年3月に発生した、地下鉄サリン事件による、一連のオウム事件裁判が21日に終結した。
あの日、僕は東京から新潟に帰省中で、宿泊先のホテルで事件を知った。
あれから、17年近く経過するが、13人の死刑判決が言い渡された異例の凶悪事件であり、犯人たちは理数系の高学歴者が多かったのが特徴的だった。

その昔、日米安保条約をめぐって、さまざまな学生運動が起きていたとき、一部の世間では行動を支持した論調もあったと聞く。
その理由に、高学歴の学生が参加してるから、何かがあると思い込みの思考に陥ったと考えられる。
真相を判断するとき、人は「何が」より、「誰が」を優先し過ぎると、思考は一時停止するとも思える。
つまり、当然の疑問を、疑問としなくなってしまうからだ。

政治を例に挙げれば、国会議員は学歴優秀で英才教育を受けた、サラブレッド集団でもある。
なのに、我々庶民からすると、「エリートを以っても、今の日本か…」と疑問を持たざる得ない。
高い位置から一面的に見たり、学歴主義だったりすると、世の中が曇って見えるんじゃないかな。
そういう僕だって、トリックアートを見せられていたり、思考停止の部分もないとは言い切れない。

オウム事件の背景には、専門的で真面目過ぎる人物が、何かのきっかけで思考を奪われたと言える。
適度な遊びを知らずに育つと、突然思い切った行動に出ることがあるので怖い。
信仰の自由を抑圧する権利はないが、狂信的になると罪悪感すら、乗っ取られてしまう懸念もある。
それが証拠に、首謀者である麻原こと松本死刑囚は、最後までゆがんだ心が治らなかったでしょ…

個人的に思うことは、同年代でありながら、高学歴で複雑な数式を意図も簡単に解いてしまう男だが、 「世界の荒鷲・坂口征二」の<ジャンピング・ニーアタック>を知らない人には魅力を感じにくい。
偏差値の高い人が正論を語っても、共感されにくいのは、こういうところから来ていると思うんだよね。
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2011年11月21日

みのもんた

昨日が過ぎ、公私の休日は今年も残すところ、あと2〜3日取れればいいかな…

僕らの仕事は、圧倒的に休日が少ないのが特徴で、連休は一年に1回、年末年始ぐらいである。
体が資本なので、休日に予定を立てても、疲れをあとに残すことだけは避ける。
組織なら労働条件は憂慮されているが、個人事業主は保証がないため、健康管理は重要となる。
最近では、行き過ぎた健康管理に振り回され、逆に心身を不健康にしている人も多いらしい。
体の疲れは、休めば回復するが、メンタル面は切りかえが難しいからね。

バーは、大人の社交場である上、酒とたばこ、男と女、会話と音楽など、食の延長にある快楽が濃い。
さすがに、たばこをたしなむ人は減ったが、文化的な空間であることに異論はないだろう。
社会で「個」を表現できる居場所がないと、社会から取り残されていく感覚を覚えてくる。
気がつけば、同質の中でしか通用しない、ワンジャンルトークしかできなくなる気がする。
そうならないためにも、たまには異質な世界へ、ダイブしないといけないんじゃないかな。

朝のニュース番組の司会を務める、「みのもんた」は楽しいおやじである。
女性キャスターの話の腰を折ったり、好き放題にコメントをしているが、報道の骨子はしっかりしているので、あれはあれでいいと思う。
そんな、みのもんたは大の酒好き、仕事好きであることは有名だ。
しかも、忙しい状態で飲む酒ほど美味いと、豪語する粋なおやじである。
何でも、酒は健康を維持するため飲むのであり、酒を飲みたいから仕事をすると聞くほどだ。
それが、健康のために酒を断つような小難しい男だったら、ここまでは大成してないと思う。
それだけ、多くの世界でモノを知っているから、ニュース番組の司会もできるんだろうね。

最初に戻れば、僕なんて月3日も休みが取れるんだから、その見方で言えば暇な男なのかもね。
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2011年11月20日

なす美の背中

19日、万代市民会館で新潟の劇団、「ブルージーンズ」の舞台上演作、「なす美の背中」を鑑賞した。

出演者は、新潟市内の40〜50歳代の女性たち自らが、脚本と演出を手がけた「オリジナル劇」であり、テーマは中年女性の「体」と「性」の狭間で生きるたくましさを、ユニークに表現した快作だった。
出演者と年代が近いこともあり、「性」も立場が変われば、見える風景も違うことに笑い種を感じた。

近年、男にも更年期障害があることが、広く知れ渡ってきた。
働き盛りの男であれば、会社のパワーゲームにもほどほど疲れ果て、男が立たない辛さに枯れていき、処方薬の知識も身につけながら、会社では立場も演じなきゃいけない。
自分のキャラクターでもないのに、無理している男も多いであろう。
女性の更年期は元気なのに、男は誰にも愚痴を吐けないままで、心身に不調を抱えて悩んでいても、ひたすら歩き続けることが、男の修行であると思い込んでいる。

だが、女性はその年齢の風景を楽しみ、男以上に生きがいを見出していくと思わせられた。
劇画上、プールの更衣室で雑談中、偶然見つけた覗き穴から見た光景をきっかけに、物語は大きく展開して行くが、映画「スタンド・バイ・ミー」の「中年女性版」を見ているようで、とても楽しかった。
また、女性を違った角度から理解するため、寧ろ、男が見るべき演劇だったと付け加えておきたい。

はじめての演劇鑑賞だったが、バイアグラよりも強い、中年女性の気力をビンビンに感じてしまった?
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2011年11月18日

白いうさぎ

17日午後、肌寒かったもの、秋の陽気に誘われ、やすらぎ堤のベンチで対岸の風景を眺めていた。

目の前の遊歩道から、コーギーを連れた若い女性が歩いてきた。
奥の芝生の方からは、パグを連れた男も歩いてきた。
犬の相性がいいようで、近寄っては互いの匂いを嗅ぎ合っている。
ここまでは、日常よく見かける光景だ。
女性はそこそこリードを引くのだが、思いの外に犬が興味を示して、離れにくそうである。
すると、男が犬の前にしゃがんで、「可愛いですね、名前は?」と飼い主にたずねると、「〇〇〇です」 (聞き取れず)と答える。
これもまた、愛犬家同士の決まり台詞ではあるが、問題は男がしつこくて、女性の顔が曇り始めた。
この男、絶好のワンチャンスだと思ったのか、いろいろ話しかけては、犬同様に離れようとしない。
その光景を見せられて、犬を引き連れた、「新手のナンパ」かと思わせられた。

よっしゃ、それなら、僕もペットショップで、「白いうさぎ」さんを買おう(予算の都合で)。
日曜の公園に出かけ、犬を連れた女性と仲良くなりに行こうかな。
その第一声は、「きっと、私たちの相性もいいですよ」と親しく話しかけ、シャレたカフェでお茶しながら、すました顔でクラシックを語る。
うん、こりゃ、なかなかいいアプローチである。
よーし、早速、うさぎちゃんの飼い主になろうかな。
名前はそうだ、「ヒュリカ」で決定! 外は寒いから、赤いトレーナーを着せて、散歩へ連れて行こう。

相方はブログを読んでないので、「マイ・ワールド」、そう、Everything Fine である。 ガッハッハ…
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2011年11月17日

アフロヘアー

16日、14時半に予約した万代の美容室「髪細工 万里」で、緩めのパーマをかけてきた。
かれこれ、13年ほど通っている店なので、何も言わなくても安心して任せられるのがいい。

だが、髪は次第に細くなっており、パーマをかけられるのも、あとわずかなのかも知れない。
髪を洗った後、排水口を見てしまうのは、哀しい男の性である。

肌が水を弾いていた一頃?、ヘアスタイルは、パンチパーマ(ニグロ)、アフロヘアーにしていた。
僕は黒人ジャズメンの、グルービィーでファンキーなノリを、髪型で表現していたつもりだった。
しかし、世間は、「パンチパーマ」全盛期だったので、誰もそうとは取ってくれずに、気がつけば僕まで 「ツッパリ High School Rock'n Roll」の部類にされていた。
自分では、黒人ピアニストの「ラムゼイ・ルイス」、「リチャード・ティー」あたりをイメージしてたから、その誤解は大変心外であった。

街中では、夜なのに黒いサングラスをかけた変なツッパリから、お仲間だと勘違いされて近寄られることもあり、その度に、「だから俺は、サミー・デイヴィスJr. だ」と、反論して蹴散らしていた。
そんな僕が、別名、「アフロのサミー?」でいられなくなったのは、チェッカーズの出現だった。
「パンチパーマなんて、ダサいよ」と、目覚めた若者たちがこぞって、フミヤに大変身していったために 僕は完全に時代に取り残された、少数民族になってしまったからである。
それを決定ずけた出来事が、夜の古町八番町で、当時の女子大生ブームに乗った、ワンレンの女集団に指をさされて笑われたとき、「ダメだ、こりゃ…」と思ったことが最後だった。
どうせなら、うんこでも投げつけてやればよかったよ。

僕は鏡に映った髪の量を見ながら、「アフロのサミー」だった、あの日に帰りたいと思った…
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2011年11月16日

机上の采配

男は誰しも、机上の監督… いや、大監督である。

15日、サッカーアジア予選「日本ー北朝鮮」戦は、想像以上に敵地で勝利することは難しいと思った。
互いの技量が拮抗していれば、最後はクレバーな方が勝算は高いだろう。
監督には、選手の気質を見抜くだけの、洞察力を求められる。
今のプロ野球日本シリーズもそうだが、監督の采配が展開を左右すると同時に、いかに選手の特性を理解しているかが勝敗の鍵となる。
それこそが監督の仕事であり、敵地で勝利できるだけの、メンタルスキルを鍛えることも要求される。

野球やサッカーは、ルールさえ知っていれば、誰でも机上で采配できる楽しさがある。
それが経験あるスポーツであれば、もう一歩二歩、踏み込んだ見方もできるだろう。
あいにく、野球もサッカーも草むらレベルでしかないが、経験のある柔道で監督になった場合、団体戦の采配を描けばこうである。
  先鋒は、先手必勝の論理からすれば、絶対に気が強く、はったりをかませられるタイプ。
  次鋒は、先鋒の勝敗如何にも関わらず、何を仕掛けてくるか、全く見当がつかないタイプ。
  中堅は、勝敗を左右する対戦となるので、手堅くキッチリと勝てるタイプ。
  副将は、中堅が敗れたとき、急場の監督の伝令に即応できる器用なタイプ。
  大将は、安定感には欠けるが、火事場の馬鹿力を持ち、一瞬の勝負勘に長けているタイプ。
そうすると、僕の懐刀は副将であり、伝家の宝刀は中堅である。
僕が柔道の監督であれば、これが定石のオーダーであろうと、勝手になりきっている。

選手を自分に見立てる年齢ではないので、やっぱり中年のおじさんは監督になっているのだ。
男というのは、頭の中でけっこう訳のわからないことを考えて、遊んでいるものである。
その意味では、机上の采配なら負けへんで。
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2011年11月15日

高見盛と垣添

14日、雨が降り出しそうな空模様だったので、少し早めに銀行へ行き、食材の補充に各所を回った。
途中、某養護老人施設に立ち寄り、テレビの大相撲中継の和に加わり、しばらく身を置いた。

十両の西十枚目まで番付を下げた、寄りきりを得意とする、高見盛。
幕下の西六枚目まで番付を下げた、突き押しを得意とする、垣添。
幕内の頃から、立ち合いで変わらないことを心情に、精根込めている両者を応援している。

両者はもうとっくに、ピークを過ぎた力士ではあるが、実にかっこよく見えるのだ。
下から追い上げる若手力士に、転がされようが、張られようが、それでも愚直なまでの一番である。
そこに年老いた哀しみはなく、「俺に土をつけて、上へ行け」と、言わんばかりの厳しさも感じる。
その愚直な姿は、十両と幕下の登竜門たる、番人になっているような気がしてならない。

人には、それぞれタイプがある。
強さのピークをてっぺんに考えて、自分自身に陰りが見え始めたら、突然の引退宣言をするか。
それか、徐々に静かに身を引いていくか。
それとも、痛々しいほど、壊れかかっても、石にかじりついてでも続けていくか。
個人の美学によるところが大きいし、両者を見ていると相撲が好きなんだろうな。

サッカーのように人気があり、派手なエンターティメントを観ては、「パワーをもらった」なんてことばかり聞くが、誰もあまり注目しない地味な世界にこそ、庶民的な夢や感動が存在していると思える。
だが、人の心は複雑なもので、遠くにいる人の成功には感動したり、祝福できたりするが、身近な成功者には、心中穏やかになれないのが、人の本音であったりするものだ。
実は、日の当らないところを見渡せば、身近にパワーがあることに、気づいてないだけかも知れない。
番付を下げても、土俵に上がり続ける両者を観ていたら、何かそんなことを感じてきた。

好きなことを、好きなだけやればいいし、ボロ雑巾になって引退したっていいんだよ… 高見盛に垣添。
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2011年11月14日

すき焼き

食卓で箸を交えるなら、すき焼きがいい。

変り種の具は入れないが、牛肉以外であれば、椎茸と長葱が好きだ。
生卵も好きなので、四個は溶いてしまう。
締めには、卵をとじた雑炊が好きだが、相方はうどんと好みが割れる。

すき焼きは、夜の王道料理である。
飲みながらつまめるし、小腹が空けば残った汁を使い、後の腹持ちをしのげる。
長い夜を持たせるには、本当にオツな食材である。

すき焼きには、思い出がある。
社会人に成り立ての頃、神奈川県の上司宅に泊めていただき、奥さんと僕の三人ですき焼きを囲んだ。
上司は僕の遠慮を見かねて、「若いんだから、どんどん食べろ」と、牛肉を器に放り込んでくる。
ご飯と一緒に、リスの口のようにパンパンと膨らませて、子供のように食べている僕の姿を、姿勢を正しく保ちながら、上品に笑って見ていた奥さんの姿が、今でも印象に残っている。
食べながら、「両親は元気か…」、「ちゃんと飯を食べてるか…」など、私生活も気にかけてくれていた。
今思えば、部下の営業成績ばかり、監視する上司が多かったのだが、それを言うことが許されるのは、 「最近どうした…」と、言える人ではないだろうか。

食後は上司が好きな、ジャズギタリスト「ウェス・モンゴメリー」を聴きながら、三人でウイスキーを飲んで長い夜を過ごした。
そんな元上司とは、今も年賀状のやり取りをしており、正月だけは電話で元気な声を確認し合っている。

すき焼きをつまんでいると、たまにあの光景を思い出してしまう。
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2011年11月13日

四十九日

彼が亡くなってから、今日で四十九日にあたるが、本当のお別れになるのかな…

人の死には、さまざまな宗派や作法があるが、変わらないのは人の心を厳粛にさせることだ。
これからの人生、葬儀と向き合うことが多くなる。
葬儀の場を、まっとうにこなせないようでは、一人前の男とはいえないと思う。
そのためには、積極的に年長者とお付き合いさせていただき、型を知ることは大事であろう。
この先の人間つきあいこそが、本当の友情であると同時に、晩年の証となるからである。

いつも連絡を取り合うほどの親しさはないが、思いのほか、横のつながりは無情にはできない。
特に、男同士の連絡網は、信頼される行動にもつながる訳だから、交友は温めておく必要はある。
僕自身、まだ年齢を重ねたとは思わないが、その領域に入ってからわかることは多くなってきた。

彼は、個性的な人生を歩んだ。
実は今も、霊前がどこにあるのか、調べようがない。
それでも、形あるものには、手を合わせたい心境だ。
その時は、父親代わりに慕っていた、Kさんと一緒に行くさ。

今晩、彼を知るMさんと生前の思い出話を交えたが、たまに思い出して会話に加えることが慰霊となる。
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2011年11月12日

Black Box

11日、読売巨人の清武球団代表が、読売グループ総裁である、渡辺会長の人権無視とも思える私物化ぶりを記者会見で告発した。

「天の声として、黙って従っていればいい」とする声もあれば、「自分のプライドに腹を括ったな」とする、僕個人の意見もある。
内容は省くが、職務上の地位を利用して、人を人と思わぬ傍若無人ぶりに、右顧左眄するよりかはいいと思うし、それもよくよく考えて、背に腹は変えられない告発だったのであろう。

このところ、オリンパスの問題も含めて、大企業で起きている経営陣の不祥事や権力争いなど、何も大企業だけではなく、身近な中小企業や人が集まる所であっても、小さな不満があちこちで溜まっては、何かの拍子で爆発してしまうことがあるだろう。
それは会社勤めをしていれば、誰もが思っていることであり、今回の件は理不尽な強制指示でもあれ、上司に従わざる得ない男たちの気持ちを、ある程度は代弁しているような気がしてならない。
つまり、人は上に行けば行くほど、上ばかり見がちとなるが、下から見られていることには鈍感となる。

会社は平気で社員を犠牲にするものだ。
会社の指示でやったことなのに、形勢が変わったりすると、それまでの経緯や説明も一切なく、知らぬ存ぜぬにされてしまうこともある。
反社会的な団体と比べてはいけないが、やくざの世界の方がまだ面倒見がいいかも知れない。
親分のために懲役を食らい、刑期を終えて帰ってきても、ちゃんと面倒を見てくれる組織の男気がある。
それが会社であれば、方便を立てにされて、扉を閉められてしまう冷たい世界がある。
それこそ、正義はあっても、理屈が立たない気がしてならない。

これから先、考えあぐねるよりも、「ブラックボックス」を公けにされることが、きっと多くなるだろうね。
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2011年11月10日

お笑い日本

日本の男は、ギャグになるしかないな…

昔から、山本常朝の「葉隠」、宮本武蔵の「武士道」など、男の模範となる人物像が語り継がれてきた。
武士の身分は高い階級でありながら、農民などによる生産分野には関わっていないため、本当のことを言えば、食べさせてもらっている考え方もあるだろう。
模範となる生き方のひとつに、イザというときは腹を据えて、行動できる美学にある。
行動できなければ、武士としての存在意義は無に等しい。
それこそ、弱きを助け、強きを挫く精神であり、ここぞというとき、村を守る気概こそが武士道だと思う。
映画「十三人の刺客」で、自分たちの命を使い捨てにしてまで、暴君極まる将軍に立ち向かって行った理由がわかるというものだ。

韓国の若者が評価高いのは、儒教の教えに忠実な面があるからだと思える。
二年間の兵役で、問答無用な男の世界で、容赦なく型にはめられる。
親の教育が及ぼす、礼儀や言葉使いひとつにしても、もう一度軍隊で再教育される。
スパルタ式が、男を育てることもあるだろう。
それに比べて、日本の若者はカラオケ屋に閉じこもり、いい年齢の大人までもがメイドなんちゃらやらで鼻の下を伸ばしているんだから始末に困る。
何か競争させれば、順位はつけるなとか、怒れば怒ったで、自分探しの旅に出かけちゃうし…
この二年間の差は、後々の国力にきっと大きく響いてくるぞ。

日本は世界にも誇れる、サムライ精神が語り継がれている。
男を売って、男になる商売なのに、身近で起きることと言えば、権力に媚びた裏切りや、騙まし討ちなど  そのやり方がせこい。
組織のリーダーは、朝礼や会議の場ですぐに引用したがるのが、戦国の武将論である。
それを聞きながら、「この人は、何の武将のつもりなのかな…」と、首を傾げることも数多かった。

証拠に、9日夕方のニュース映像で損失を隠し続けていた、オリンパスの前会長からして、「経営は人」と、過去のコメントが皮肉にも流されていた。
すぐに誰かの言葉を引用し、誰かともじりたがるのは、日本の経営陣の空々しい癖である。
しかも、不正を見抜いたために解任させられた、外国人社長の告発で発覚したんだからね。
日本人として、潔さもみじんもない恥ずべき行為であり、リスクをしっかり取れないのであれば、リーダーなんて目指すべきではないと思う。
僕も会社勤め出身だから、たいがいの流れはわかるつもりだけど、頭は下げても、誰かが責任を取ったという話は聞いたことがない…  うん、一度も聞いたことないな。

それなら、いっそのこと、日本はお笑いの国となり、日本の男はギャグになればいいのだ。
それも選択肢のひとつであろうし、日本の男は今、とことん舐められていると思える。
舐められることは、日本の男の生き方が、伝わってないからじゃないのか!

もし、日本がそうなったら、俺は松の木に変身するので、舟栄中学校裏の防風林に植えてくれ。
故郷でもある、新潟の下町を松の木になって、もしもの津波や強風から守ってやるワ。
そのかわり、松の木に立ち小便をしたら、頭上からポコチンを目がけて、松ぼっくりを落とす! (怒)
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2011年11月09日

現代日記(3)

ブログという現代日記を書いているが、カテゴリーを細かく整理するのは苦手なんだ。
項目ごとに記事を仕分けしてないので、検索にも一苦労する。

お客さんから、「銭湯話が好きなんだけど、探すのが大変だ」との声を受けて、カテゴリーに「Shower Fan」を追加したのだが、記事に対して、収納が適当過ぎるのかも知れない。
僕自身があまり読み返すことがないので、ずいぶん大雑把になるのであろう。
書いたことは、頭の中で風化されてしまうが、書き続けられる理由には、新しい出会いと多くの出来事が関わっていると言える。
新陳代謝しなければ書けないのであって、お客さんとの接点が発火点になっていると思われる。
僕のブログのカテゴリーなんて、日々の分別ゴミみたいなものだけど、中には資源ゴミとなり、少しは誰かの役に立てればいい… くらいのことは、お情けでも書かせてもらいたい (笑)

ここで改めて振り返ると、関心の所在が、「人」をテーマにしていることが多い。
「お酒の雑学」、「ジャズの紹介」など、あまり書かないのは、これらはその気になれば、今やどこからでも引用できるし、これじゃ、まるで自分のブログではなくなってしまうでしょ。
しかも、自分の言葉じゃなければ、解説もどこか淡白だったり、くどくなり過ぎるものだ。
それよりも、自分自身が感じたことを、感じたままの言葉で語らねば、ブログの意味が半減するのであって、ゆえに書き方も先鋭さに乏しくなると思う。
そうでないと、一人称を「僕」に切替えて、言葉尻を「だ・である調」の断定調に変えた意味がなくなる。
続けることを意識すれば、よそ行きの文章は所詮、数多く書くためには、足かせとなってしまう。

その意味では、門構えに色気を出して、ホームページというフォームにせず、最初からブログのスタイルで始めたことは、経過としては良かったと思える。
閲覧者を増やす方法として、画像を取り込むのは必須アイテムとなるが、僕の中には、サブカルチャーのようなイメージは湧いていないので、硬い印象を拭えないことは充分に分かっている。
これでも、新たな視点を見出したいと思っているが、僕のデザインセンスでは限界だろうな…。

たまに、ブログを偶然に発見されてお見えになるお客さんもいるのだが、「実在している店なのかどうか、来るまで不安だった」という、笑い話がついてくることもあった。 (笑)
ね… 何の変哲もない、シンプルで小さい、「ジャズバー」でしょ。
ちゃんと、日夜営業しておりますので、こちらも宜しくお願い致します。
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2011年11月08日

豚骨スープ

7日朝刊、6日「BSN杯・高校柔道選手権大会」が中央区で開催されたことを知った。
今年こそは、観戦へ行こうと思っていたが、アー、すっかりと忘れていた。

僕は高校二年のとき、先の秋季大会で個人2位の実績にて、無条件で今大会へ出場した。
試合結果は、それはもう無残な内容で一回戦負け。
過去、個人戦での初戦、こんなにまでコテンパンにされて、負けたことは初めてだった。
その対戦相手は、中越地区ベスト8選手だったので、完全に眼中から外していた。
すでに対戦意識は、準決勝で順当に勝ち上がってくると思われる相手へ意識は飛んでいたからだ。
こういう、思い上がりの精神が一番いけない。

組んだ瞬間、引き手の強さに驚き、自身の得意とする体勢に持ち込もうとした動きに合わせられ、小内刈りで、まずは技ありを取られた…  「こいつ、強えぞ!」
開始線に戻り冷静になるべきはずが、頭に血が上り、今度は強引な組み手から内股で飛び込んだ。
力めば体崩しが甘くなり、手足の方向はバラバラ、動きもバタバタになるので、技がかかるはずない。
それでも体を戻してから、もう一度、角度を変えて内股で飛び込んだが、浮き足立っている軸足に大内刈りをかけられ、背中ごと激しく畳に叩きつけられた…  「完敗だ」
負けたことよりも余計にショックだったことは、その相手が2回戦で負けたことを知ったときだった。

スポーツ観戦とは、どこか自分を投影しているもの。
また、スポーツに打ち込んだ男であれば、誰にでも夢破れた悔しい過去を持っていると思う。
経験した競技であれば、生身の記憶が刻まれているから、胆を落ち着けて静かに観戦できる。
逆にユニフォームを着てまで、同一化して騒いでいる男は、だいたい経験のない競技に終始、感情的になっている姿が大半であろうが、それはそれで良しである。
なぜなら、間延びした顔で、恋愛ドラマばかり観ている男の方が、少し気色悪いとは思わないか。
こうして、男とスポーツは生涯にわたり、切り離せないものとなるのだ。

思い上がった精神を打ちのめされ、ひとりボロ雑巾状態で自宅へ向かう帰り道。
学ランのポケットの小銭を確かめてから、上古町の「きんしゃい亭」へ入った。
ザクザクに切れていた口の中を、豚骨スープが沁みて痛かったのは、青春のいい思い出になっている。

今から、30年前、秋の出来事である。
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2011年11月07日

銭湯の時間

6日、午前10時に起床して、13時まで店の会計を処理。
銭湯に行きたいが、朝から降り続く雨が一向に止まない。
14時過ぎにしびれを切らし、風呂桶を自転車の籠に入れ、少し雨にうたれながらも暖簾をくぐる。

ここからは、「銭湯での過ごし方」を公開しよう。
番台で、入浴券(湯快券)に百円を添え、猫を撫でてから脱衣場へ。
スポーツ新聞の見出しをながめてから、パッパ、パッパとスッポンポンになる。
かけ湯の後、湯船のフチに座って足湯をしてから、浴槽に浸かり、「うぃ〜」と唸る。
巻きで説明すると、髪を洗い、全身を擦り、髭を剃り、歯を磨く。
もう一度、浴槽に浸かりながら、全身の柔軟運動をして前半終了。

脱衣場に戻り、雑誌を読みながら涼む。
身体が冷えてきたら、浴槽に向い、無の心で湯に浸かる。
温まった身体で上がり、脱衣場で服を着ながら、だらだらと過ごす。
この風呂上りの穏やかな時間が、また何とも癒されるのである。
予定に押されてなければ、こんな具合に銭湯の時間を寛いでいる。

こうして、暖簾をあとに自転車で帰るのだが、全身を清め終わったような浮遊感が心地いい。
夜道なら、星空を見上げて暗がりを蛇行運転し、自然と口ずさむ歌が、ピンカラ兄弟 「女の操」。
「♪ あなたのために、守り通した、女の操。  ♪ いまさら、人に、捧げられないわ…」
銭湯に通い始めた子供の頃、テレビで耳にしていた、演歌のヒット曲が焼きついていると思われる。
歌詞の意味なんて、全くわからなかったくせに、ませたガキだった。

住む地域は変わっても、銭湯の至る所には、子供から大人になるとき、抱いていた気持ちがあるのだ。
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