2011年10月20日

普通の対話

19日、大相撲の親方が弟子3人に対し、素手とゴルフクラブで暴行を加えた疑いで事情聴取をされた。
断じて暴力を肯定しないが、こういう事件が起きると、その理由も考えてしまう。

今後、日本は少子高齢化の一途をたどり、今の若者を理解するのは難しくなるだろう。
逆に、僕らの世代も若者から理解できないと、反旗を翻されることもあるだろう。
これでは、この先、ボタンを掛け違えたままで、何となく気持が晴れない状態が続いていくだけだ。
それを修復しようとしても、話の仕方がわからなかったり、話の聞き方も知らなかったりして、なかなか、踏み込んだ接触を持てないのが現状だと思える。
そのうち、コミニュケーションを図れない不満が、愚痴だけでは終わらずに、何かのきっかけで鬱積したストレスが爆発してしまう。
大きな流れで言えば、そんなところであろう。

実際の相撲部屋のことは、どうなのかはわからない。
暴行を与えた側は、時間をかけても膝を付け合せて、話の手間を惜しまない忍耐も必要だっただろうし、それでこそ親方である。
暴行を受けた側も、ゴルフクラブで殴るような野蛮な暴挙は批難するべきだが、そうさせた理由も少しは考えるべきなのである。
そうでないと、いつまでも、問題解決にはならないだろう。
話の勢いで言えば、そうなるんじゃないかな。

現代は閉ざされた、「個の世界」が充実しているから、人との対人能力が低下してきている。
つまり、「対話の量」が圧倒的に少ないから、「対話の術」を自然と学んで行けないんだ。
極めて、同質の人間とばかり、選択的に付き合うことも可能になっているから、自分とは違う価値感とは対話できないんだと思う。
対話ができないから、間合いを詰めたくても、詰められないストレスが暴発してしまう。
その結果、人の情も感じなくなってくる。

避けがたい世間の流れだが、普通の対話が成立すれば、こういうことは起きないのではないだろうか。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする