2011年10月17日

知る権利

近頃の報道を見ていると、「知る権利」を強く主張する論調を聞く。
知る権利という言い方は、耳にたこができるほど聞いているが、僕はこう思っている。

知る権利と言いながら、知った後、自らの意思は動くのであろうか。
大半の人は、それを知ったとしても、右から左に流すだけでしょ。
都合の悪いこと、面倒に巻き込まれそうなことは、知ろうとしないけど、自分と直接関わりのないことほど人は知りたがるものだ。
知るも知らせるも、無視や誤解、過剰反応される危険性もはらんでいる。
そして、いざ真実を知らされると、その顛末を解読できないし、「ひどい」や「かわいそう」だの、情緒的な語意でしか反応しない。
本当のところ、「最初から知る気など、なかったんじゃないかな…」とさえ思えてしまう。
そういう僕だって、人の子である以上、「怪しいものだ」と、素直に弱さを認識している。

数ヶ月前に全国ニュースとなった、焼肉チェーン店の食中毒事件は記憶に新しい。
若き社長は、事業の成功で持ち上げられ、事件でマスコミから徹底的に叩かれた。
某週刊誌の記事では、「猛毒人生」などと、過激なタイトルで、過去の経歴までも意図的にクロい書き方をされていたが、冷静に読んでさえいれば、彼は汚れた人生などではない。
彼の過去を、どうでもいいような取材で暴き出し、せこい優越感を持ちたいだけであろう。
肝心な事件の実態よりも、サイドストーリーを暴いたほうが、事件を見抜いたと勘違いするんだろうね。
それが、国民の知る権利だとしたら、情けないのかも知れない。

知る権利を主張するなら、考えも這わせるべきだと思う。
知らされたことを、少し考えるだけでもいいし、小さいながら、形にできればもっといいはずだ。
それもせず、知る権利ばかり主張する人は、名称を変えれば、「覗き屋」以外、何者でもない。

そういう性質の人に、やんわりと質問してみたい…   「それを知って、どうするの?」
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする