2011年10月31日

映画鑑賞

映画は、「ひとりの時間を寛げるから好きだ」というのは、以前までの私見。
今では、「誰かと一緒に観に行くから映画だ」と思い直した。

一緒に行く相手がいないのはともかく、ひとりを好むのは、「静かに集中したい」、「邪魔をされたくない」など、内向きな理由が多い。
否定しないが、一緒に行く相手が出来た場合、内心で邪魔者扱いされてたら、何たる心外であろうか。

独り善がりの感性しか生まれないよ。
自分以外、他者の感性にも触れておかないと、もったいないって。
自分の感性を引き出してもらったり、相手の感性も知ることにより、その映画は自分のモノになるのだ。
だから、映画を観るときは第三者の存在、そう、欲を言えば女性が必要なのである。

僕の考えが変化したのは、相方の存在が大きく、映画を観に行くときは連れて行く。
男は大雑把な見方をするが、女のディテールはきめ細かい。
男では気づかない部分を見ていることもあるので、内容がより解説的となり、更に広がりも増す。
それこそ、もうひとりの自分を分身として、持つことができる訳である。
男から見た映画、女から見た映画、二つの視点を知ることは、神経過敏な男女平等に振り回されるより、もっと男女の根幹を分かり合う価値があると思える。
最近なら、韓国映画「アジョシ」について語り合ったが、その感想に正解などなくて、自分の意見を言い、他者の意見も聞くことによって、内容がそしゃくされ、映画が吸収されていくんだと思う。
映画は可能な限り、他者と一緒に観に出かけるべきだ。

明日1日、「映画の日」とされている。
たまには仕事帰り、誰かと映画館に寄り道してみたらどうだ。
映画は観るためだけでなく、映画を語るのも楽しいからさ。
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2011年10月30日

天下り酒場

本を買うときは、それなりに読む時間を費やすので、選ぶときは慎重になる。
ハードカバーは、価格も張るのでなおさらだ。

若い頃は乱読タイプだったので、書店を巡り歩いては、まとめ買いをしていた頃もあった。
とは言え、読破した本は少なく、途中から読み流したり、読んだ気になっていただけだと思う。
興味が広かったので、ひとつの本で停滞してしまうことを嫌っていた。
そんな読み方なので、浅知恵は身につくが、深みに欠けることは当然だった。

今は、基本的に一冊買いで、ゆっくりと読むようになった。
だからと言って、深みなどないし、僕を本当に知る人からすれば、いつまでたっても僕は僕である。
大した内容の本は読めないし、人からこう見られたいから、この本を読むというような、他者の目を意識したこともないし、僕自身のための楽しい読書でいいと思っている。

ちなみに、今ゆっくりと読んでいる本を紹介すると、「天下り酒場」(原 宏一)
平成19年初版、全六編からなる短編小説。 (本のタイトルに目を引寄せられた)
タイトル「天下り酒場」は、個人経営の小さな居酒屋に、元県庁の役人を雇うことにした。
それからというもの、店の業績は右肩上がりとなり、あっという間に店舗を拡張していくのだが、水面下では合法的な乗っ取り計画が企てられていた…  それを知った職人気質の店主はどう動いたか。
各編とも、現実的には少し考えにくい展開だが、日常を舞台に起きている出来事に社会風刺を交えて、誰にでも読みやすいものに仕上げている。
風景描写がしつこくまとわりつくこともなく、ほどよい量の字数と台詞が絡み合うので、テンポよく読める。
それながら、肝心な部分はスローテンポで、読ませどころを作っている、作者のセンスに脱帽である。

秋の夜長である…  たまには、お薦めの本の一冊でも紹介するさ。 
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2011年10月29日

ドラフト会議

27日、プロ野球ドラフト会議。

東海大学のエース菅野の交渉権は、意外にも巨人ではなく、日本ハムが獲得した。
現役の原監督の血縁選手だとして、各球団は及び腰だったのであろう。
一位指名ともなれば、やっぱり固い選手を指名しておきたいのは、球団の意向である。
梨田監督は、「血縁だとしても、いいものはいい」として、交渉に望むという。
将来ある若者の前途をめぐり、賛否両論はあるだろうが、僕はこの判断と言葉を支持する。
支持する理由に、実力はあれども、先の判断を、「縁故」頼みでは、あまり感心できない。
特別なケースに等しいが、そういうドラフト会議なら、形式と内容が裏腹になってしまう。
だから、僕は日本ハムの交渉権獲得は人情論に流されず、ドラフト会議の厳しさを見せてくれたと思う。

ただ、菅野投手を指名するにあたり、日本ハムから両親に事前の挨拶がなかったことはまずかった。
日本人の気質に、根回しという言葉がある。
形式的な行為には過ぎないが、何かが決定されるときには、適切な情報を適切な方法で、人に伝えておかないと、感情を損ねられても仕方があるまい。
まあ、根回しにこだわり過ぎて、厄介な結果になるときもあるけど、挨拶がないことには、指名の誠意は伝わらないだろうし、下手をすれば脳天気な球団かなと思われる。
ここはまずかったところだ。

熱烈なプロ野球ファンではないので、結末にこだわりはないが、日本ハムが敢然と指名したことで、予定調和にならなかったことは見ごたえがあった。
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2011年10月28日

深夜の奇行

深夜の帰り道、真っ直ぐ家に帰れば、その男の奇行を見ることはなかった。

酒の肴に牛皿をつまみたくなり、テイクアウトにするため、いつもと違う方向に自転車を走らせた。
すると、万代の路上真ん中で、腰を大きく動かしている男を目撃した。
酔っ払いの立ち小便かと思い、気にもしなかったが、急にカニの横歩きをしながら腰を振り出した。
噂の露出男?かなと疑ったが、誰もいない場所では、それはあまりにも虚しすぎるであろう。
変な興味はないので、そのまま素通りして、その道を引き返してくるまで、約7〜8分かな。

すでに男はいなかったが、路上に小便のあとが残されており、どこか文字のようにも見えたので、街灯に照らされた路上を少し目を凝らして見た。
酒を飲んでいたんだから、水分量(小便)は大量だし、続け字の四文字のようにも見える。
じっと小便文字を見ているのも嫌なので、一瞬の見た目ではこう読めた。
「日本平和」、もしくは、「日中友好」とも読める。
小便が止まらない状態の続き字であり、しかも書き順なんてあったもんではない。
もしそれが、正解なのであれば、男の頭の中で何が去来していたのだろうか。
それか、好きな女の名前を小便で書き殴ったのであれば、それは彼女への暴挙である(笑)

そうだとしたら、この男も、「ジャイアント・スイング」からの、必殺技、「電気あんま」だ!
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2011年10月27日

着信番号

深夜、客が退けた店内でミステリー小説を読んでいたら、隅に置いてた携帯電話が振動した。

登録外の着信番号にためらったが、電話の先には、約3年ぶりの「O」さんからだった。
先方の番号を登録していなかった、詫びを挨拶代わりに懐かしい会話が始まった。
僕の携帯電話機能では、完全に形骸化している「テレビ電話」だが、こういう懐かしい人と会話をするときは、興味半分で使ってみたくなる。
だが、顔がたるみ出したおっさん同士で、微笑ましくテレビ電話をしていたら、こりゃ滑稽だわな。
使いたいけど…  うーん、使えない機能である。

ある日の昼下り、携帯電話に意外な名前が表示された。
着信時の居場所が適してなかったので、留守電に切替えてから、折り返し電話をかけ直した。
すると、先ほど人混みで僕の姿を見かけたのだが、突然のことだったので、声をかけられなかった自分を恥じて、挨拶の形を変えて電話をしたという。
僕は大笑いしたが、彼の無垢で単純な性格が好きだ。

ある日の夕方、かなり前に登録していた名前が表示されたので、気安く出たら切られた。
操作の手違いかと思い、即時に返信しても電話に出ない。
それっきりだが、名前を登録していたとは知らず、たぶん興味本位で電話したのであろう。
好奇心ひとつで、心は筒抜けになるだけに、相手の私生活と直結していることはお忘れなく。
便利だからと言って、その道具の使い方を間違えると、性格を疑われるものである。

使い方が注意散漫な男は、きっと浮気相手の実名もご丁寧に、電話登録するタイプなんだろうな。
世の中が便利になった分、頭隠して尻隠さず、すぐに足が着いてしまうと思える。
僕にそんな甲斐性はないが、そっち方面に気力みなぎる男なら、女の番号ぐらい暗記してるはずだ。
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2011年10月26日

夢見心地

秋の夜長はよく眠れる…  睡眠の世界で見る、「夢の話」である。

誰でも、日常や過去の出来事、普段思い描いている気持など、深層心理が夢に現れると思う。
嫌な夢で起きたこともあるし、それこそ、夢見心地のときもある。
だが、そんないい場面に限って、目覚まし時計が鳴り響き、夢を強制終了されて、夢の記憶がいったんリセットされてしまう。
それが、何かの拍子で思い出す事もあるが、なんなんだろうね。
今日一日、こんな夢枕を引きずっていた。

学生時代、同じクラスの女子の夢だった。
教室が2年間一緒だっただけで、しゃべったこともなければ、意識すらしたこともない。
いや、僕のシャイでぶっきら棒な態度に、女子からはいい印象は持たれていなかったと思う。
特に、思い出すきっかけなど見当たらないのに、突然その女子が夢の中に現れたのだ。
しかも、僕は今のままのおやじ姿なのに、彼女は当時の制服姿のまま… 不公平な夢である!

どこかの庭園を、二人でゆっくり歩きながら、「幸せか…?」とか、「子供はいくつになった…?」だの、 手探りな質問から様子を伺っていた。
(その場所なんだけど、先月行った、「天寿園」っぽいんだよな…)
夢の中の僕は、別に望んだ再会ではないのに、なぜか緊張感に包まれている。
途中、池の鯉にえさを与えながら、彼女との再会を誰からも邪魔されない時間に酔い知れていた。
覚えているのは、このあたりまでなんだけど、夢というのは全て抽象化されて表れてくる。

「君の夢を見たのは、何かのお告げだと思うので、俺と会ってくれ…」なんてことはないけど、この静かな夢の余韻はなんなんだろうね。
何か今日一日、その女のことが、頭を過ぎるんだよね。
登場人物が全く予想がつかない、秋の夢見心地である。

今晩の夢はあの、「エマニエル夫人」が登場しないかな… 一応、寝る前にシャワー浴びておこう!
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2011年10月25日

最近のコメント

ブログに寄せられたコメントも、トータルで100件近くになっていた。

以前、「コメントは、僕が読むためであり、掲載を前提にしたものではない」と記述したと思う。
僕は、気楽に楽しんで文章を書いているだけで、記事内容の賛否をめぐるコメントを求めている訳ではないため、そこを誤解されると大変困ってしまう。

通常のコメントならば、ショートスタイルもあれば、ロングスタイルも読んでいて楽しい。
元々、人の文章を読むのが好きなので、淡白なコメント然り、その人柄を感じさせられる文脈に出合うと、小さな親近感も湧いてくる。
この際、僕の乱文も含めて、文章の上手い下手なんて、どうでもいいことなんだ。
形式など構わず、要するに伝えたいことを書けばいいのだ。
それが書き損じだらけでも、その人の個性に触れたときが、一番楽しかったりもする。

敬称は省くが、「浜焼き」「うな重」「酒豪のDNA?」、少し前であれば、「みんな年下?」 「松下久美子」「ジムビームA山」 のコメントは、“その人ならでは”の生活風景が見えてくるし、何と言っても、その人らしさを感じるのが楽しいが、「おっとっとまさる」は、何を言っているのかわからない… (笑)

投稿名がまちまちなので、文脈でしか個性を特定できないが、余裕を持って楽しんでいるのはわかる。
当初の考え通り、コメントにコメントを追加しないが、順当に公開しているのは、好感度の表れでもある。
また、ユーモラスなコメントは、その人のビジネスセンスなんかも匂うし、ちょっとビターなストーリー展開に、気持が乗せられてしまうときもある。

このように、「最近のコメント」欄は、本の背表紙と著者名に見えて、これもまた、楽しかったりもする。
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2011年10月24日

公然露出男

万代地区の某所付近に、「露出男」が出現したらしい。

深夜の帰宅途中、男がいちもつを触りながら、前から歩いて来た。
一瞬戸惑ったが、罵声を浴びせると、男は姿をひるがえし、そのまま走って逃げたという。
たまにその噂は、耳にはしていたが、男はいちもつを見せることを快感にしているようである。

その犯罪行為を不謹慎に笑っちゃいけないが、思わず吹き出してしまうのは男の性分。
僕が知りたいのは、男を突き動かした動機である。
何が、どうなって、どうしたら、そうなるのだ… (笑)

それに出番(?)までの間、どこで、何を思って、こっそりと隠れていたのだろうか… (笑)
もしかして、電柱にでもよじ登っていて、女性が来たら音もなくスッーと、下半身丸出しで滑り落ちて来て 「こんばんは」とか言って登場したとか。
それとも、道路わきのポリバケツから、いきなり全裸で、「ウオッー」とか叫びながら、口から火を吹いて、飛び出してきたりとか。
女性に罵声を浴びせられて、全裸で逃げる男の走る後ろ姿がなんと、内またの「女走り」だったら、腹を抱えて笑ってしまうだろうな。
そんな露出男に、「君は、何を考えているのかね…?」と、マイクを向けてみたいよ。

もし、僕の目の前にフルチン男が現れたら、道路の真ん中で「ジャイアント・スイング」で振り回してから、最後は必殺技 「電気あんま」でしとめたい。
こう見えても、昭和のプロレス技と、藤原嘉明のサブミッションが好きなんだよね。

一連の犯罪行為は、警察に情報提供されているので、秘かに包囲網はかかっていると思われる。
街の治安を守るためにも、こういう男は撲滅せねばならないね。

でもさ… 男なら誰でも立ち小便はあると思うが、角度によって女性に悲鳴を上げられるかもな。
男の立小便は、特権と思っている古い風潮もあるので、誤解されないように注意せねばならない。
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2011年10月23日

東京ジャズ 2011

先週、録画しておいた、「東京ジャズ2011」を2回に分けて観た。
毎年、収録は9月、オンエアは10月で、未来志向のニュージャズと、原形を留めているジャズを聴かせてくれる、今や恒例の音楽イベントである。

10代の頃に聴いていた、今回の出演者を書き並べてみると。

  ジョージ・デューク    マーカス・ミラー    マイク・スターン   
  デビット・サンボーン   レオン・チャンスラー  アンソニー・ジャクソン
  デビット・T・ウォーカー セルジオ・メンデス   日野 皓正
  リー・リトナー       トム・スコット      ヒューバート・ローズ

                     …誰かしら、聞き覚えがあるのではないだろうか。

ジャズ・フュージョン界の面々が、こうして集結するのが嬉しい。
取り分け、その表情に注目すれば、好きな音楽を演っている人は、押並べて「いい顔」している。
それに、夢中となった存在には、いつまでも純粋な敬意を抱いているものだ。
セルジオ・メンデスなんかは、当時小学四年生の僕の耳に、ブラジル66の名曲 「マシュ・ケ・ナダ」を、聴かせていたんだからね。

時系列こそあるが、誰もが憧れる「スーパーカー」のような存在だった人も、時が流れ、円熟味が溢れる 「クラシックカー」のような姿を見て、ごく自然に羨望の眼差しを送ってしまう。
加えて、大物ぶらないフレンドリーな人柄にこそ、プロの深みをひしひしと感じるものだ。
そのミュージシャンとしての奥行きは、昔のレコードジャケットを、後生大事に持ち歩いているような人物はいないと思える。

全てが未来志向だから、そう、 「東京ジャズ」なのである。
  (僕個人の嗜好からすれば、「ケニー・バロン・トリオ」は、ずいぶん観返した)  
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2011年10月22日

断末魔の叫び

20日、リビアの最高指導者だった、カダフィ大佐が銃弾で撃たれて殺害された。
42年間に渡る、独裁政権はピリオドを打たれ、民主化運動は高まる兆しである。

独裁者の最後は、相場が決まっているように思える。
暗殺か病死、クーデターによる失脚、せいぜい国外逃亡であろう。
その生涯は、不意討ちに怯えた人生を歩まねばならない。

カダフィ大佐は、27歳で権力を手中にしたという。
その若さで側近に取り囲まれて、おだてられていれば、そりゃ自惚れてしまうよ。
権力で命令が執行されたときは、権力に酔いしれて、溺れていくのが、人間の弱みである。
それぐらい、独裁者のトップダウンは、不条理な怪物にもなるのだ。

また、気が弱いから、独裁者になりたがる。
一度、権力を味わってしまうと、権力を失う恐怖から、脱却できなくなると思う。
脱却できないのは、覚悟を決められない表れであろう。
それが証拠に、他人は死んでも平気だが、自分の最期は、命乞いをしたというではないか。

しかし、カダフィ大佐の遺体の周辺で、喜びに興じている、国民の姿を見て思った。
互いの立場から、正義を主張し合うだけで、この世に本当の正義なんて存在しないのではないかと…
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2011年10月21日

お店探し

今週某日、相方は恒例、「月イチ会」へ出かけた。

松竹梅でいうところ、竹の料理コースだったらしいが、「料理の量」と「提供の間」に不満があったらしく、単品を追加注文したという。
女性は料理に重きを置くので、要求水準は高いし、主婦が相手ではなおさらである。
行き慣れれば、行き慣れるほど、クオリティ・サービス・クレンリネス・アメニティの内、どれかひとつでも欠けても、普通に満足しないのが女性である。
その辛口ぶりが、飲食店の水準を底上げすることになるのだろうが、全体的にどうもギスギスした感が濃くなっている気がしてならない。
一等地だから美味しいとは限らないし、繁華街の看板が頻繁に入れ替わることに気がつけば、そんなにたくさん美味しい店があるはずがないだろう。

男の店探しは、勘や感覚を頼りにしているので、特にたいした基準などない。
僕の場合、強いて挙げるなら、古い佇まいながら、きれいに清掃されている店に惹かれる。
女性は情報誌やネット検索で店を選び、なおかつ、クーポン券のあるなしが決め手らしい。
いろんな情報を頼りに、いろんな店で過ごしたいのが、女性の欲張りな性分である。
ちまたに現れる、覆面調査員になるには、打ってつけのタイプではなかろうか。

初めての街でない限り、いつまでも、あれこれ浮き足立って、店探しに興じる男は少ないかと思う。
男の店の決め方は、何通りかあって、料理と酒、価格やアクセスで選ぶことが大半であろう。
それが、どこそこのチェーン店だけであれば、一緒に飲んでもつまらない男に映る。
その他には、昔お世話になったとか、仲間の店だからなど、男には仁義や友情が優先するものだ。
バーも今上げたその他の要素は強く、店主の血統が濃く反映されるので、お客の個性が出やすい。

それこそ、「美人店員と仲良くなりたい」とか、願わくば、「女性客をナンパしやすい店」を選ぶ間男には、まず絶対に、常連として定着しないことは判っている。
だいたい、出会いをモチベーションに飲食店へ通う男は、ほとんど、その幻想を打ち砕かれている。
もう動機が違うんだから、不自然な態度が極まりなく、見抜かれているのだ。
自然な立ち振る舞いの男だから、自然と女性が側に寄り添ってくると思うね。

そう考えると、お店とはちょうどいい、パワーバランスで釣り合いが取れている。
男と女では、こんなにも違うでしょ… 女性にはわからない、男の世界観である。
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2011年10月20日

普通の対話

19日、大相撲の親方が弟子3人に対し、素手とゴルフクラブで暴行を加えた疑いで事情聴取をされた。
断じて暴力を肯定しないが、こういう事件が起きると、その理由も考えてしまう。

今後、日本は少子高齢化の一途をたどり、今の若者を理解するのは難しくなるだろう。
逆に、僕らの世代も若者から理解できないと、反旗を翻されることもあるだろう。
これでは、この先、ボタンを掛け違えたままで、何となく気持が晴れない状態が続いていくだけだ。
それを修復しようとしても、話の仕方がわからなかったり、話の聞き方も知らなかったりして、なかなか、踏み込んだ接触を持てないのが現状だと思える。
そのうち、コミニュケーションを図れない不満が、愚痴だけでは終わらずに、何かのきっかけで鬱積したストレスが爆発してしまう。
大きな流れで言えば、そんなところであろう。

実際の相撲部屋のことは、どうなのかはわからない。
暴行を与えた側は、時間をかけても膝を付け合せて、話の手間を惜しまない忍耐も必要だっただろうし、それでこそ親方である。
暴行を受けた側も、ゴルフクラブで殴るような野蛮な暴挙は批難するべきだが、そうさせた理由も少しは考えるべきなのである。
そうでないと、いつまでも、問題解決にはならないだろう。
話の勢いで言えば、そうなるんじゃないかな。

現代は閉ざされた、「個の世界」が充実しているから、人との対人能力が低下してきている。
つまり、「対話の量」が圧倒的に少ないから、「対話の術」を自然と学んで行けないんだ。
極めて、同質の人間とばかり、選択的に付き合うことも可能になっているから、自分とは違う価値感とは対話できないんだと思う。
対話ができないから、間合いを詰めたくても、詰められないストレスが暴発してしまう。
その結果、人の情も感じなくなってくる。

避けがたい世間の流れだが、普通の対話が成立すれば、こういうことは起きないのではないだろうか。
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2011年10月19日

主婦おやじ

どこのスーパーでも、野菜の価格が高騰していることがわかる。

特に、「葉もの」を始め、「トマト」「きゅうり」「ブロッコリー」が、軒並み高い。
特売日なのに、トマトが1個¥198 なんだから驚いたよ。
これじゃ、新鮮なサラダを食べたいと思っても、ためらっちゃうよね。
料理は主婦の足元にも及ばないが、僕の目利きはベテラン主婦にも、負けず劣らずだと思っている。
そう、高いなりに、最高の素材を探すのである。

トマトなら、色と身の締まり具合で判るし、きゅうりなら、色とイボのチクチク感で選ぶ。
ブロッコリーなら、色の濃さと丸みで選び、付け合せに、カットサラダを添える。
こうして、高騰の野菜はしっかりと質で選んで、サラダの組み合わせにしている。
当然、相方の指導もあるが、スーパーという、「主婦の現場」で、実地訓練を積んで行くのだ。
そんな主婦たちに交じって、買い物をしている時間は、なぜか安らぎを感じてしまう。
前に、「公園デビュー」なんて言葉をよく聞いたが、僕の場合、「スーパーデビュー」である。
スーパー・デビュー!  何か言葉の響きがカッコイイなぁ… その気になって来たなぁ〜 もう!

ちなみに、もうひとつ。
たまご10個入パックを買うときは、パックを逆さまにひっくり返して、たまごがすき間なく、大きさが揃っているか見てから買うべし!
ん…、主婦なら、誰もが知っていること? こりゃ、失礼しました。
覚えたてのときは、言いたくなるんだよ、これがまた。
何といっても、わたくし、「ザ・スーパー・デビュー」ですからね!

こうして僕は、「主婦おやじ」の修業中です。  
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2011年10月18日

ひとり飯

17日夕方、某食料品売場のフードコートで、コーヒーを飲んで過ごしていた。

前方斜めの席に、フェンディのショルダーバック、手入れが行き届いたカーリーヘアで、小奇麗な恰好をした、40代と思しきセレブ風の女性が颯爽と座った。
座った場所が、客席を背に壁側を向いたので、誰かと待ち合わせで、上座を空けていると思っていた。
すると、手提げのレジ袋から、お弁当コーナーで買ってきたと思える、「鮭弁当?」をテーブルに広げてパクパクと食べ始めたのだ。
客席に背中を向けたのは、「女心」だとしても、う〜、見た目の華やかなイメージとは似つかわしくない。

それが電車の中でパンを食べていたり、化粧を始めたら、人目をはばからない、「社会ブス」として呆れるだけだが、お弁当が所定の場所(なのかな?)であれば、道徳の範囲なので問題はない。
寧ろ、お弁当を広げて、物怖じをしない、たくましい女性の息吹を感じてしまった。
最近、街を歩きながらも、恥じらいと控え目の境にいる女性を見かけるときが多くなったなあ。

でも、感じたのは、忙しいからわからないでもないが、とりあえず空腹を満たすだけの食事は寂しいな。
僕も相方に、ひとりで食事をさせているので、そこは申し訳ないと思っている…
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2011年10月17日

知る権利

近頃の報道を見ていると、「知る権利」を強く主張する論調を聞く。
知る権利という言い方は、耳にたこができるほど聞いているが、僕はこう思っている。

知る権利と言いながら、知った後、自らの意思は動くのであろうか。
大半の人は、それを知ったとしても、右から左に流すだけでしょ。
都合の悪いこと、面倒に巻き込まれそうなことは、知ろうとしないけど、自分と直接関わりのないことほど人は知りたがるものだ。
知るも知らせるも、無視や誤解、過剰反応される危険性もはらんでいる。
そして、いざ真実を知らされると、その顛末を解読できないし、「ひどい」や「かわいそう」だの、情緒的な語意でしか反応しない。
本当のところ、「最初から知る気など、なかったんじゃないかな…」とさえ思えてしまう。
そういう僕だって、人の子である以上、「怪しいものだ」と、素直に弱さを認識している。

数ヶ月前に全国ニュースとなった、焼肉チェーン店の食中毒事件は記憶に新しい。
若き社長は、事業の成功で持ち上げられ、事件でマスコミから徹底的に叩かれた。
某週刊誌の記事では、「猛毒人生」などと、過激なタイトルで、過去の経歴までも意図的にクロい書き方をされていたが、冷静に読んでさえいれば、彼は汚れた人生などではない。
彼の過去を、どうでもいいような取材で暴き出し、せこい優越感を持ちたいだけであろう。
肝心な事件の実態よりも、サイドストーリーを暴いたほうが、事件を見抜いたと勘違いするんだろうね。
それが、国民の知る権利だとしたら、情けないのかも知れない。

知る権利を主張するなら、考えも這わせるべきだと思う。
知らされたことを、少し考えるだけでもいいし、小さいながら、形にできればもっといいはずだ。
それもせず、知る権利ばかり主張する人は、名称を変えれば、「覗き屋」以外、何者でもない。

そういう性質の人に、やんわりと質問してみたい…   「それを知って、どうするの?」
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2011年10月16日

休日ふらり(8)

天気のいい休日、散歩がてら自転車に乗り、街の書店や古本屋巡りをするのが好きだ。

大した本は読まないが、昔読んだことのある背表紙を見かけると、おもむろに手を延ばしたくなる。
「この本は移動時間で読んだな」、「待ち合せで読んでいたな」とか、自然と場面が浮かんでくる。
その時の懐かしい本を見つけては、静かな喫茶店の席を探し、もう一度頁をめくりだすこともある。
本の展開にはまれば、 「コーヒー、もう一杯ください」

人がまばらになってきた、夕方の店内… 
BGMに、アン・バートンの「グッドライフ」が、静かに流れてきたら、きっと心地いいだろうな。
こうして、予定がない休日の午後は、シンプルなんだけど、僕にとっては貴重な時間となる。
休日が少ないからこそ、健全に極めて地味であったりするものだ。

これが本当に、好きなことなのかも知れないね。
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2011年10月15日

助手席

僕にとっての「いい人」とは、車の助手席に乗せてくれる人。

普段の交通手段は自転車が主なので、車の助手席から見る街の風景は新鮮である。
その視線は進行方向にあり、肩が凝らない世間話が心地良かったりもする。

今日正午より、ビッグスワンで開催された、関東ラグビー対抗戦「明治大学ー青山学院大学」の試合を観戦し、つい先ほど帰宅した。
車は同行した、「K」さんのご厚意で出していただき、ビッグスワンの入場もラグビー観戦も、はじめての経験をさせてもらった。
これまでも、仕事前の僅かな時間は、「野球観戦」や「音楽会」、「講演会」が小さな娯楽だった。
仕事前なので極力、体力を消耗しないように、無理な行動だけは控えめにはしている。

その点、車の助手席は体力も消耗しないし、季節が変わるごとに、山の色合いも移ろうように、短時間で街の景色を楽しめるところがいい。
なので、僕を車の助手席に乗せて、景色を見せてくれる人が、刺激を与えてくれるいい人になるのだ。

昼間、僕を助手席に乗せて、ドライブに連れて行ってくれる人を募集中。
助手席からは、至れり尽くせりのサービスはします。  「はい、アーンして…」とかね。
営業準備はしておいたので、今から少し仮眠してから、店入りしようかな。
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2011年10月14日

Jazz Talk Vol.8

ジャズのグループリーダー(バンマス)には、さまざまなタイプが存在している。

 ・メンバーを従属的に支配したがるリーダー
 ・メンバーのパーソナリティーを引き出すリーダー
 ・形式上、名前だけの「・・・グループ」のリーダー
 ・気が合う理由だけで、しぶとくやっているリーダー
 ・メンバー間で力の差が歴然なのに、チェンジできないリーダー
 ・リーダーを決めず、対等な立場を尊重し過ぎたため、方向なきまま自然解散したグループ。

ザッと思いつく限り書いてみたが、要はリスナーの耳に、心地よい音楽が届けばいいだけのことだ。

ジャズのグループは個性が強くて、グループ(バンド)としては、まとまりにくい面がある。
以前、書いたと思うことに加筆すれば、譜面通りに演奏することが苦手というか、譜面を崩すことを腕前にする連中でもある。
極めて、「個性を売る音楽」でもあるので、性質的に力を出せる場を求めていくはずだ。
誤解しないでほしいことは、譜面を読みこなせる力があってのことである。
そんな性質なので、音楽観や人間観の違いで亀裂が入ったり、「飽きた」という理由も含めて、いろいろな離合集散があって、当然といえば当然の世界だと思う。

ジャズのグループを維持することは、並大抵のことではない。
結成30年近くに及ぶ、「キース・ジャレット・トリオ」なんて、不動な結束力であり、ジャズの奇跡に値するメンバー観だと思う。
フュージョンバンドでも、若干のメンバーチェンジはあるが、バンドとして成功しているのは、1、2、3… 数えるほどしかないのが現実だ。
そんな、グループを維持できる秘訣は、メンバーのシンパシーにあると思える。
「ビル・エバンス」、「キース・ジャレット」の旋律に美しさを感じるのは、リーダーの強いシンパシーがあるから、メンバー全員に乗り移るのであろう。
加えて、リーダーの要求レベルに応えることができ、グループシップあっての長続きである。
だから、誰かひとりでも、方向が食い違ってきたりすると、メンバーチェンジをせざる得なくなる。
果ては解散、ならば飛び出る選択肢も、充分にあり得るのがグループだ。
エバンスが、「スコット・ラフェロ」を事故で失ったときの、衝撃と落胆は大きかったであろう。
自分と相思相愛で、一緒に音楽を作れるメンバーは、そうそう存在しないからね。

ジャズのグループが陥りやすい、「マンネリ」を防ぐには、キースのようにソロ活動にも精を出すことだ。
僕の好きな、「ジャック・ディ・ジョネット」も、協演依頼を積極的にこなす、“ファーストコール・ドラマー”であることを、誇りと自信にしてジャズ界を疾走している。
それでいながら、キースのひと声で3人が集合するんだから、リーダーとしてのシンパシーは、絶大なる信頼のもとで、繰り広げられるジャズであることは間違いない。

だから僕も、キース・ジャレットの音楽と、同じ時代を生きていることを嬉しく思える。
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2011年10月13日

Jazz Talk Vol.7

「マイルス・デイビス」が、“ジャズ史上、空前絶後のカリスマ”と呼ばれた、所以がわかった気がする。

しばらく撮りだめしていた、ジャズのライブ映像を2日間で一気に観終わった。
中でも話題が集中していた、マイルス没20年特番、新宿厚生年金会館での秘蔵映像が圧巻だった。
タイトルは、「Miles Davis In Tokyo 1973」 (デジタルリマスター映像)

カッコいいジャズって、小難しさ抜きに、気持ち良く乗れるんだ。
僕は、70年代のマイルスは聴いておらず、50年代後半〜60年代を、巻きでプレイバックしていた。
本格的には、83年の「デコイ」あたりから、俗に“エレクトリック・マイルス”を聴き出した口だ。
晩年の帝王ぶりもカッコ良かったけど、70年代のファンクビートを強調したスタイルも格別である。
音楽は、ステージングのカッコ良さもないと、どこか垢抜けないグループの印象を抱いてしまうが、その心配はまるでなく、当時の若者がノックアウトされるほどの洗練さを感じた。
ちなみに、その時の僕は小学校3年生で、ステージ上のマイルスは今の僕と同じ年齢であるが、古さを感じさせないのがカリスマ的である。
更にライブ映像のメンバーには、僕が好きなドラマー「アル・フォスター」、先鋭的なソプラノサックス奏者「デイブ・リーブマン」の、若かれし頃のパッションみなぎる演奏も、クローズアップされている。
ステージングは張り詰めたテンションで、オーディエンスには媚びない、攻撃的なカッコ良さが光る。
だからと言い、昔のジャズ特有の反抗的なエリート意識などで、凝り固まってはおらず、「変わり続ける」ことを貫いたことを今更、僕の口から説明するまでもないであろう。
ややもすれば、「あれはジャズではない」と酷評されたが、80年代「フュージョン世代」の僕からしたら、すぐにジャンルを分けたがる、その狭い考え方には疑問は強かった。

話は変わるが、昨年グラミー賞を獲った日本人ピアニスト「上原ひろみ」が、自身のグループ(トリオ)を率いて来月11月、新潟公演にやってくる。
彼女のアルバムは二枚ほど聴いたが、リズムセクションをともなって、決まった形の演奏にとらわれず、メンバーにサイドメンという役割を要求していないような感じを受けた。
つまり、対等にフロントへ押し上げて演奏を支え合う、インタープレイを多用してる点に、彼女のリーダー(バンマス)としての個性が光っているように思える。
その点、僕の好きな、「ミシェル・カミロ」なんかにも、同じことが言えるだろう。

マイルスから話を飛ばしたが、伏線はこうだ。
ふたりの視点の先には、ジャズという括りでは納まらない、常に新しい音楽があるのだと思う。
やり方に違いがあるとしたら、マイルスはメンバーを従属的に支配しては、ソロにも干渉気味だったが、上原にはそれが全くない。
良し悪しではなく、最終的にオーディエンスの耳にどう届くかである。

今度の新潟公演だけにはとどまらないが、生粋のジャズファンだけではなく、エレクトリックなサウンドを好むファンもいれば、ロックやポップスにまで至るファンも、会場に詰め掛けるであろう。
もう、チケットを入手した人も多いと思うが、マイルスとは別の演出で、「上原ひろみトリオ」は、ジャズを軸にしたステージングで、華を添えるだろう。
それに、ツアーメンバーのひとりである、「アンソニー・ジャクソン」(EB)の存在が、今年最大の新潟公演になることは間違いないと、僕は太鼓判を押す! (You Tube 添付)

あー、このままでは僕の話は止まず、朝日を向かえてしまうので、強制的にピリオドを打たせてもらう。
当日のライブリポートを待つ!    うー、腹減ってきた… そうだ、パスタを茹でよう!
  
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2011年10月12日

リバウンド

今朝起きたら、両膝が乾いたような痛みだったので、秋の訪れを体で感じた。

どういう訳か、関節などの古傷は気候に敏感らしい。
それに、オーバーウエイトも一因してると思われる。
早速、体重計に乗ったら… 「あっ、やっぱり!」。

今から4年前、身長の割りに体重が「85s」あり、体が重かったので絞ることにした。
当時、万代のスポーツジムに通い詰め、我流で肉体改造を試み、その際にタバコもキッパリ止めた。
3ヶ月間で、体の新陳代謝をいったん図り、その後、一気に食事療法をしたら、1ヵ月間で、「−12s」の減量=「73s」に成功した。
その頃に店を開店したので、当時の面識者に会うと決まって今は、「太った…?」と聞かれる。
僕からすれば、4年前に戻っただけなんだけど、辛うじて今、「80s」をキープしている状態だ。
自身の容姿はあまり気にしないが、これ以上太って、足腰、特に膝に負担をかけぬよう、1日2回は体重計に乗らねばとは言いつつ、きっと、「三日坊主」だろうね。

まぁ、太ったら太ったで、「デブ・キモ・カワイイおじさん」になりゃいいか!
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