2011年09月24日

孤高の監督

23日朝刊、「中日・落合監督、今季限りで退団」の見出しが目を引いた。

過去、8年間の実績はリーグ優勝3回、常に優勝争いのAクラスへチームを導いていた。
特筆すべきは、過剰な戦力補強をせず、生え抜きに平等にチャンスを与えていたことだ。
だが、球団が意図したのは、「チームに新風を吹かせたい」とし、実質的の解任だったことは否めない。
同時に、落合監督のコメントが、「この世界、そういう世界だ」とし、「同情はいらない」と言い切った。
現役の頃から一貫している、その男らしい言葉を聞いたとき、僕はしびれた。

「名選手、名監督にあらず」の格言は、ビジネスの現場でよく引用される。
選手時代の功績を説明するまでもないが、一般的に、「俺流精神」が、監督には不向きとされていた。
振り返れば、落合監督の功績以上に驚かせられたことは、当時の野球界で、半ば干されかけていたと思われる落合を、監督として正式オファーした、中日球団の英断であった。

普通はまずありえない。 いや、絶対に考えられないよ。
会社勤めしている人なら分かると思うが、球団の上層部を平然と批判するようなタイプに、組織化された今の世の中、チャンスを与えてくれるだろうか。
「和を以って良し」とする社会構造に、「俺流精神」が入り込む余地などほとんどない。
本当の言葉を使うと、立場を脅かされるどころか、危険分子として見なされ、浮かび上がれなくされる。
それを根底から、中日球団と落合監督が歩み寄って、定説をひっくり返したんだからね。
長年、会社組織に所属していた、僕からすればほとんどが、奇跡に近いようにも思えた。
最後は解任ではあるが、ここで落合監督を誤解してはならない…

解任されることは、能力のある証拠なのである!
前総理大臣の小泉首相が、「政治家は使い捨て、そういう私も使い捨て」と、演説したことを思い出した。
能力のある人間は、使われて絞られた末、最後は使い捨てにされると思う。
だが、能力のない人間は、使い捨てにはならない。
だって、言われたことだけをやっていればいいんだから、改革分子に成り代わることはないでしょ。
つまり、その改革分子をどう使うかが、リーダーの腕の見せどころである。
だから、見方を変えれば、危険だと呼ばれている人間こそ、実はエリートだったりする。
勝負事で解任されないのは、「天才」か、「寄生」かの、どちらかなのかも知れない。
僕の視点だが、落合監督の解任は、両者の目的が成立した結果であると思える。
こういう見方って、おかしいかな…

誰もが羨むような、中日・落合監督の “Japanese Dream” を、8年間も見せてもらった!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする