2011年09月26日

All Alone

あいつが死んだ・・

出会いは、店主とお客の関係。
最初の印象は、チンピラ風に見えたが、実は寂しがり屋な男だった。
彼の人生、波乱万丈だった。

25日 夕方、某病院の受付窓口で、看護師さんの言葉を聞いて、呆然と立ち尽くした。
 「 昨日の午後3時に、お亡くなりになりました 」

涙は出なかったが、乾いたスポンジが水を吸収するように、涙が心にしみていった。
こんな気持ち、生まれて初めてである。

最後に会ったのは、今年二月、彼の46歳の誕生日を、某病院の病室で二人静かに祝った。
その後、病状の進行もあり、転院と自宅療養を繰り返しているうちに、連絡が途絶えた。
誰にも、病状を明かさずに、病床を見られたくない、心中を察したつもりだが。
しかし、僕の気持ちが、何かに導かれるかのように、病院を探して、彼に会いに出かけさせた。

彼の屈託ない笑顔、楽しそうにお酒をたしなむ姿、時折寂しげにうつむく横顔。
全ては、心の中で輝いているし、絶対に彼のことは忘れないだろう。
僅か2年半だったが、真剣に向き合ったから、悔いなき友人のまま、別れたと思っている。
ああ、くそ、視界が涙に覆われてきた‥  でも、絶対に泣かんぞ。

相方が言うには、「あなたがいつも、“ あいつ、元気にしてるかな ”と、気にかけているのを感じていたから、“ 俺はもう、この世にいないよ ”ということを、あなただけに伝えておきたかったんじゃないの。  だから今日、あなたを病院に導いたのが、あの人の優しさだったのよ‥」
そうだとしたら、おまえは最期まで、死に際を見せなかった、へたれな硬派でいい奴だったよ。

よっちゃん・・  さよなら ありがとう バイバイ  最後は魂だ !

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2011年09月24日

孤高の監督

23日朝刊、「中日・落合監督、今季限りで退団」の見出しが目を引いた。

過去、8年間の実績はリーグ優勝3回、常に優勝争いのAクラスへチームを導いていた。
特筆すべきは、過剰な戦力補強をせず、生え抜きに平等にチャンスを与えていたことだ。
だが、球団が意図したのは、「チームに新風を吹かせたい」とし、実質的の解任だったことは否めない。
同時に、落合監督のコメントが、「この世界、そういう世界だ」とし、「同情はいらない」と言い切った。
現役の頃から一貫している、その男らしい言葉を聞いたとき、僕はしびれた。

「名選手、名監督にあらず」の格言は、ビジネスの現場でよく引用される。
選手時代の功績を説明するまでもないが、一般的に、「俺流精神」が、監督には不向きとされていた。
振り返れば、落合監督の功績以上に驚かせられたことは、当時の野球界で、半ば干されかけていたと思われる落合を、監督として正式オファーした、中日球団の英断であった。

普通はまずありえない。 いや、絶対に考えられないよ。
会社勤めしている人なら分かると思うが、球団の上層部を平然と批判するようなタイプに、組織化された今の世の中、チャンスを与えてくれるだろうか。
「和を以って良し」とする社会構造に、「俺流精神」が入り込む余地などほとんどない。
本当の言葉を使うと、立場を脅かされるどころか、危険分子として見なされ、浮かび上がれなくされる。
それを根底から、中日球団と落合監督が歩み寄って、定説をひっくり返したんだからね。
長年、会社組織に所属していた、僕からすればほとんどが、奇跡に近いようにも思えた。
最後は解任ではあるが、ここで落合監督を誤解してはならない…

解任されることは、能力のある証拠なのである!
前総理大臣の小泉首相が、「政治家は使い捨て、そういう私も使い捨て」と、演説したことを思い出した。
能力のある人間は、使われて絞られた末、最後は使い捨てにされると思う。
だが、能力のない人間は、使い捨てにはならない。
だって、言われたことだけをやっていればいいんだから、改革分子に成り代わることはないでしょ。
つまり、その改革分子をどう使うかが、リーダーの腕の見せどころである。
だから、見方を変えれば、危険だと呼ばれている人間こそ、実はエリートだったりする。
勝負事で解任されないのは、「天才」か、「寄生」かの、どちらかなのかも知れない。
僕の視点だが、落合監督の解任は、両者の目的が成立した結果であると思える。
こういう見方って、おかしいかな…

誰もが羨むような、中日・落合監督の “Japanese Dream” を、8年間も見せてもらった!
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2011年09月23日

上から目線

22日、午後2時に出かけようとしたそのとき、いきなり強い雨が降り出した。

銀行や買出、頼まれごとなど、夕方にかけての行動が多くなるので、雨は足回りを悪くする。
それでも、雲の切れ間を見て、用事を済ませること数時間。
飲食店は事前準備が全てで、開店前の夕方は、のんびり寛いでいるように思われるが、とんでもない。
もう意識は、営業時間に飛んでいるので、夕方に間伸びした表情で過ごしている、飲食店主は少ない。
その合間で、喫茶店で過ごしたり、人と気軽に会って気分を調整したりすることは、大切な時間となる。

僕らの業界は大きな括りで、「夜の商売」や、「水商売」の言われ方をする。
個人経営者は、組織の手厚い待遇に守られていない分、もとから依存心が少ないのが特徴である。
一匹狼も多く、良く言えば、「精神的に独立した自由人」、悪く言えば、「組織になじめない変わり者」。
組織人と違い、個人経営者同士は牽制し合うが、変なプライドを持たなきゃ、つき合いに遜色はない。
だからと言って、夜のシンジケートのような関係に入ろうとは思わないし、何と言っても、その人の魅力でつき合うことの方が、自然であったりするものだ。

個人経営者は、上から目線でいい!
変に卑屈になって、下から目線になり過ぎると、人に利用されてくるからだ。
人を見る、前提の目線が健康であれば、基本的には、上から目線でもいいと思う。
だが、目線が不健康なのを知らずして、上から目線だと、こりゃ始末が悪くなる。
その意味では、「必然的な経営者」なのか、「偶発的な経営者」なのか、判断が割れる部分である。

僕の経験上、誰もが、「自分は経営者である」ことを名乗って、一目置かれたがる経営者が多い。
それは、「仁義」で名乗るのか、「自己顕示欲」で名乗りたがるのか、そのときの態度でわかる。
必然的な経営者は、「前者」で名乗り、偶発的な経営者は、「後者」で名乗ることは、はっきりしている。
「上から目線」という言葉が、独り歩きし始めると、どこか、「自然ではない目線」も多くなった気もした。

「上から目線は、悪の目線」という見方をされているが、整理して使えば全く問題ない。
寧ろ、受けて側も過剰反応して、味噌も糞も一緒に取ってしまうから、問題がこじれたりする訳だ。
僕自身は、「自然な目線」でのつき合いが、一番心地のいい人間関係となっている。
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2011年09月22日

ビニール傘

21日、開店から台風情報を知るため、しばらくテレビを点けていた。

都心部では、瞬間最大風速36mの突風の様子が映し出され、尋常ではないことを実感した。
同時に、街中からの台風中継を見ていると、暴風雨の中で傘を差すものの、ことごとく突風で傘の骨が折れたり、傘が反り返ったりする場面ばかりだった。
日常でも、同じ場面を目撃することもあるが、いつも思うことがある。

そのほとんどが、ビニール傘であり、もう壊れて使えなくなったと思われる傘の行方である。
そのまま、道路に投げ捨てていく人もいれば、街路樹の植え込みに突き刺していく人もいる。
ビル建物の玄関付近に、白々しく立てかけて去る人。
街の死角に身を隠して、こっそりと捨てていく人。
中には、自動販売機の上に置いて、堂々と去る人。
ちゃんと家に持ち帰って、決められたゴミの出し方で、処分をする人っているのかな?
壊れた傘の捨て方に、性格が筒抜けだったりするので、その光景を目撃するのは結構と面白い。

ビニール傘は、壊れること、捨てれること、失くせること、盗まれること、そして雨さえしのげれば、誰かにあげられることが、購入する前提となっている気がする。
それに傘は窃盗罪として、立件されたケースはあるのかな。
突風で壊れた傘を持っている人を見かけると、その廃棄の行方を聞いてみたい気がする。
それでも、傘の骨組が折れ曲がったまま、気合で差している人を見かけると、僕と同じ貧乏性のようにも思え、どこか親近感を抱いてしまう。

そういえば、不思議とビニール傘が、自宅の玄関に増えているときがある。
だいたい、飲食店の帰りや友人と別れた後、何か気軽にビニール傘をシェアし合っていたり、無意識に押し付けあっているような気がしないでもない。
それが証拠に、今夜24時にタクシーでご帰宅の、「小柵本 筆」さんは、ビニール傘を見事に傘立てに置き忘れていたので、乗る寸前に届けたというか、「はい、持ち帰って」と押し付けた。
これでやっぱり、ビニール傘は無意識に使い捨てにされてしまう、運命であることが判明した。

僕の人生も、骨が折れたまま捨てられる、ビニール傘のようにも思えなくはない…  はぁ〜。
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2011年09月21日

台風15号

台風15号は、21日夕方から深夜にかけて、新潟に最も接近するらしい。

昨晩、某居酒屋店主の話では、場合により臨時休業するか、早じまいするか、判断喘ぐ場面だと聞く。
台風の夜に好んで飲む人など、良く言えば、「目抜きタイプ」、悪く言えば、「へそ曲がりタイプ」。
まあ、どちらも劣らず、「個性派」であることには、違いないであろう。

日本の台風は、番号表記で呼ばれている。
海外では、大型台風の名称を女性名に限定して、たとえられていた時代もあったようだが、女性差別につながるとして、今の呼び名はシャフルされているという。
名づけの意味は、台風を女心に見立てているのか、その所以はさまざまだが、女性を心底怒らせたら、暴風雨がおさまるまで、我慢を強いれとのことなのかな。
いずれにせよ、台風のメカニズムは女性に限らず、どこか人間に似ているのかも知れないね。

そんな台風15号の名前を決めた。
洋子… 「ハリケーン・洋子」だ。 語呂もいいと思わないか。
昔、悪い男に引っかかって、心身ともにボロボロにされて、たどり着いたのが日本であってさ…。
それか、だました男を追いかけて、日本に上陸したんだ。
この台風はね、「洋子」の怒りなんだよ!
その洋子が追う男は、今頃は東京の新橋に出張しており、住まいは品川の中延あたりに潜伏してるな。
洋子… 彼は今、新潟には居ないから、間違っても新潟を直撃するなよ。 それてくれ。
俺は何でも知っているんだ、出て来い、高橋達人!

それにしても、何なんだろう。
怖いもの見たさにも似た、台風前のこのソワソワ感は…
時刻は今、午後1時45分。 台風接近まで、あと4時間… うー、今晩の営業はゾクゾクするぜよ。 
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2011年09月20日

雨音とジャズ

19日夜、久し振りに家で、「ジャズ」を聴きながら過ごした。

普段は店で聴いているというか、流している状態なので、深い旋律にまで、耳が行き届いていない。
家に帰って聴くかというと、もう耳が疲れているし、「朝に近いジャズ」では、あまりその気にならない。
雰囲気的には、空調が必要のない季節、間接照明の部屋で聴く、「深夜に近いジャズ」が落ち着く。
再生したCDは、「Whisper Not」 (Keith Jarrett Trio /Live In Paris 1999)。
秋の夜長が続く、これからがやっぱり、「ピアノトリオ」に魅せられてしまう。

そこそこ、ウイスキーが回り、「Round Midnight」あたりで、ソファーで少し眠ってしまった。
目が覚めて、腕時計を見ると、深夜の2時を回っていたので、「ピアノソロ」に切り変えた。
次のCDは、「Keith Jarrett Solo Concert /Bremen.Lausanne 1973」。
ウイスキーをロックグラスに注ぐこと4杯目…

半開きの窓から、激しい雨音が聞こえてきた…
風のない縦降りなので、窓から雨が入る心配がなく、そのまま雨音もBGMとして聴いていた。
静寂な深夜は、無神経な雑音が少ないので、心理的に好きな時間空間となる。
音楽は時間や場で、「これだろう」と聴き分けることが、僕が考える気持のいい音楽である。
昼間から、キースの唸り声は勘弁だが、それほど、「BGM」にも、「TPO」があると思う。
きっと、人のしゃべり方にも、「歌上手」と、「音痴」があるのかも知れないね。

そんなことを考えていたら、朝に近い4時になったが、相変わらず雨足が止まない。
風も出てきたので、台風の影響が及んできたのかな…  もう、窓を閉めようか。
すっかり忘れていた、手元のウイスキーの氷も解けていた…

まだ、外は暗いので、もう1杯注いで、もう1枚聴いてから、寝るとするか。
やっぱり、最後はこれだ! 「The Melody At Night,With You」(Keith Jarrett Solo 1998)
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2011年09月19日

深夜食堂

今秋10月、「深夜食堂」の暖簾がまたかかるらしい…。
2年前の秋、TBS系で深夜に放送されていた、小林薫主演の30分枠番組「深夜食堂」。

物語は昭和の風合いを残す、新宿の繁華街片隅に、深夜24時から開店する小さな食堂が舞台となる。
深夜、小さな息抜きの時間を求めて、さまざまな職業の人たちが、店の暖簾をくぐってくる。
そこで交わる、店主とお客さん同士の温かくも、ほろ苦い人情が溢れる、オムニバスドラマである。

僕がこのドラマを人に薦める理由がある…  「食堂は、食事だけをする場所にあらず」
人は誰でも、定時に誰かと楽しく、「晩飯」を食べられる訳ではない。
残業で深夜に箸を持つ人もいれば、仕事帰りの早朝近くに茶碗を持つ人もいるだろう。
誰も待つ人がいない部屋に帰って、ひとりで食事をするわびしさ。
誰ともしゃべらずに牛丼を食べて、ひとりで家路へ帰るわびしさ。
同じ食事でも、意味深さが違ってくるのが晩飯であり、食事に対する意識も変わる。

前にも書いたと思うけど、飲食店で食事に文句を言ったことはない。
食事は個人の味覚が大きいと思うし、何よりもそれを口にしたことで、人の気持を害するものだ。
そういうと、「だから、料理人を甘やかすんだよ…」と言われそうだが、けしてそうじゃない。
まともな料理人なら感性が鋭いから、こちらの気持なんて、とっくに見抜いているはずだ。
それをあえて、口に出さないことが、素朴だが厳しい問いかけになるとは思わないか。
ちょっと、話がそれたので、元へ戻していく。

今も、「相方には、悪いことをしているな…」と思っていることがある。
昔から、深夜にまで及ぶ仕事柄、同じ食卓で箸を交じり合わせられないことが多い。
食事を作る人を想えば、温かい献立は温かいうちに、冷たい献立は冷たいうちに食べるのが心情だ。
相方に、「せっかく食事を作ったのに、一緒に食事を出来ないのが、少し寂しいかな…」と、ボソッと言われたことがあるが、その一言で多くのことを学んだと思っている。
だから、ありあわせの材料で作られても、文句のひとつも言ったことはないし、それが僕の礼儀作法だ。
食事は人の心まで、変えてしまうだけのものがあるんだ。

ドラマ「深夜食堂」には、飽食時代で失った、丸いちゃぶ台のぬくもりと、おかず一品の思い出を連想させられてしまう。
焼肉食べ放題だの、寿司食べ放題など、「量」にすがりつくばかりでは、自分の味覚や感性などをもとに判断する基準を見失ってくるんじゃないのかな。
それでいて、ダイエットだの、健康食品なんて言っているんだから、全くご苦労な世の中である。

そんなドラマ、「深夜食堂2」が、10月から続編として始まる。 
もし僕が、「深夜食堂」の暖簾をくぐったら、とりあえず「ビール」。
つまみは「ハムカツ」。 添えてある、「キャベツの千切り」には醤油をかける。
〆には、「筋子のおにぎり」があれば、それはもう「至福の時間」となるだろう。
http://www.meshiya.tv/ ←「深夜食堂」公式サイト(僕は、第4話 第5話 第6話が好きだな)
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2011年09月18日

男の休日

ムダに長いだけの残暑が続く中、中型連休の2日目である。
その間、天気予報は雨模様が多いようだが、もういい加減、涼しくなって欲しいと願う。

連休を家で過ごす人が多いと聞く。
年齢や立場で過ごし方も異なるが、だいたい時間を持て余すことも多くなるだろう。
それが独身男性であれば、思いつきから始まる行動が、結構楽しかったりする。
夜の街に繰り出そうとすると、まずは、「行き場所」を考えるのが普通だろう。
こういうとき、ひとりで気軽に行ける店を一軒でも持っていると、夜の過ごし方に幅が出るもんだ。

肝心となる店の探し方だが、ネット検索に頼ってばかりいたら、自己流の感覚が身につかない。
まず、自宅と職場を軸にして、地域を知るための外出をおすすめする。
店選びは感覚的なので、自分自身が一番判っていることだが、必ず、「気になる店」が現れる。
気になる感覚は、自分の琴線に触れてるんだから、もう、「秘めたる答え」になっていると思える。
後は小さな冒険のつもりで、扉を開けられるかどうかは、その人の性格によるところであろう。
それが行き場所を作る、最初の第1歩となり、展開の2歩3歩も自分次第である。

最初は意気揚々ではあるが、こんなパターンも多いかと思う。
店まで行っても、「やっぱり、やめようかな…」と、いつもの弱気癖が出て、結局はまた入れずじまい。
それこそ、風俗店の前で空目を使って往来を繰り返したが、結局は入れなかった、「ビビリ症」と同じ。
いちいち腹をくくらなければ、店に入れない自分に苛立たないのかな?

帰りには、牛丼屋の並盛りを食って、コンビニでプリンを買って、家路に着くようでは世話ないよ。
帰れば帰ったで、はるか昔の性体験を思い出しながら、ヘンテコリンな行為にふけっていたら大笑いだ。
それで、「俺は何をしてるんだ…」と、ため息をつきながら、ひとりで事後処理をしている男。
すると、また、ひとりで2回戦に突入ダァー!  おちゃらけたけど、当らずも、遠からずでしょ…(笑)

夜の街。 男なら、ひとりでふらりと入れる酒場のひとつでもないと、長い休日は何も変わらんぞ。
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2011年09月17日

絶対捕鯨禁止区域

先日、映画「ザ・コーヴ」を見てたら、イルカ漁にとどまらず、捕鯨問題も引っ張り出していた。

早速、今ほど、映画「絶対捕鯨禁止区域」(シーシェパード)を、続編として見た。
日本の捕鯨活動を阻止するために結成された、反捕鯨団体・通称「シーシェパード」。
彼らの強行な抗議手段は、海洋において大きな問題とされている。

映画の感想だが、彼らの「サバイバル活動」ばかり見せつけられて、正直言って辟易した。
これでは、具体的に何が問題で、そこを掘り下げて説明しないと、主張が全然見えて来ないんだ。
スローガンはもっともらしいが、どこか妨害行為を楽しんでいるかのようにも見える。
人道上、武力行使しない日本の足元を見て、彼らの暴力的行為は自己顕示欲の暴走である。

抗議活動の船体も、黒一色の軍装車紛いな仕上げで、ドクロマークの奇妙な海賊旗を掲げている。
その威嚇するような挑発行為からして、手段と目的も履き違えているようにも思える。
普通に考えれば、理論破綻した、自己陶酔の団体に思われても、仕方がないだろう。
僕の感想が誤解だとするのであれば、誤解させた構成そのものに原因があると言い返す。

まだ、「ザ・コーヴ」の方が、映画としては、はるかにまともだった。
それは、漁民には死活問題なので、安易な同調はできないが、しっかりと考えさせられたからである。
「絶対捕鯨禁止区域」については、どう考えても、どう見ても、彼らの身勝手な印象がぬぐえなかった。
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2011年09月16日

ザ・コ−ヴ (2)

去年8月に劇場公開され、一部で抗議運動にまで発展し、問題作となった 映画「ザ・コーヴ」。
今週、ビデオを借りて、今一度、細かい部分まで、じっくりと鑑賞した。 (2010.8.7.参照)

この手の作品で注意すべき点は、何が問題で、キチンと事実に基づいているのか。
そして具体的に、何を指して「ひどい」とか、「かわいそうだ」と訴えているのか、整理が必要だ。
そうじゃないと感情談議だけで、何を意味するものなのか、さっぱりわからなくなるからだ。
作品自体、具体的な調査事実を示しており、なおかつ、匿名でないことに注目した。
僕の意見はあるにはあるが、明け透けに書くつもりはない。
だが、国民には知る権利があり、事実を知った以上は、考える必要性はあると思う。

まず、日本人がイルカを捕獲して、食用にしていることを知っているだろうか…
僕は知らなかったし、周りの人に聞いても、誰も知らなかったことが、いっそう関心を駆り立てた。
日本は「日本人がイルカを食べるのは食文化だ」と反発したのに対し、アメリカ人のクルーが裏づけ取材を進めると、イルカを食用にしている事実を、ほとんどの日本人が知らなかったのが判明した。
アメリカは取材結果を日本に突きつけ、「日本では誰も知らないことを文化扱いするのか」と切り出した。
実は劇場でも、「あっ、核心を突かれたな…」と思ったんだ。

アメリカは牛や豚を食用にするし、オーストラリアでもワニを食用にすることは知られている。
そこは誰もが反論するが、日本と大きく違うのは、食文化として国民が理解しているところだ。
ここの違いは、大きいと思える。
日本は風習で、食用捕鯨をしているが、それは食文化として、日本人は理解している。
個人的には、鯨肉を食べなくても平気だが、何も食文化を絶やすことはないと思う。
捕鯨は調整することで、問題は軽減できるだろうし、それ以上は食文化における干渉でしかない。

だが、イルカ漁が秘密めいてしまったのは、入り江に近い場所で、殺める方法を見せないためだったり、水族館のイルカショーでの愛らしい姿と、それを楽しむ家族や子供への配慮かも知れない。
都合良く言えば、「情操教育」、悪く言えば、「臭いものにはフタ」の発想が見え隠れしている。
堂々と言えないのは、そんな理由もあるのかもな。
ひいては、殺める場面は見せないという発想もいいが、イルカに限らず、人間は動物の命を殺めなければ生きていけないことを、もっとストレートに教えるべきじゃないかな。
それを思いつきのように、「かわいそう」と言うだけなら、どこかお門違いしていると思える。
法律上、イルカ漁は合法だが、そうじゃなく、見てどう考えるかである。
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2011年09月15日

素顔のままで

芸術の秋…  芸術の志向は人それぞれ、音楽や演劇、版画や彫刻、絵画に写真だったりする。
僕の中の芸術は、「芸術を見る人の素顔」である。

22歳の秋、あどけなさが残る年下の女性から、新潟伊勢丹で開催されていた「二科展」へ誘われた。
ふたつ返事で応じたが、内心は年寄りの趣味に思えて、あまり気乗りしていなかった。
そんな程度なので、秀作を目にしていながら、一枚一作すら記憶に残っていない。
しかし、僕の目を惹きつけたのは、彼女の素顔だった。
その目は作品をじっと見つめ、異様に輝いているようにも見えた。
お世辞にも美人ではないが、観賞に集中しているときの目がたまらない。
それまでは、いたずらっぽい笑顔しか見せなかったが、別角度から見た意外な素顔に釘付けとなった。

誰でも、こんな経験があるんじゃないかな…
喫茶店で彼女と待ち合わせをしていたとする。
先に来ていた彼女は、僕が来るまでコーヒーを飲みながら、文庫本に目を落としている。
遅れて来た僕は、遠目から彼女を探して近づくが、読書に夢中で僕の存在に気づかない。
その読書をしているときの素顔が、とても知的で美人に見えたりする。
僕はその席に座りながら、「ヨォ!」と声をかけると、彼女はゆっくりと本から顔を上げてから、小さな声で「あぁ…」と微笑んでこたえる。
これも、別角度から見た、彼女の新しい素顔だったりする。

女優なら本番の姿よりも、楽屋の片隅で台本を読んでいたり、台詞を覚えている素顔に惹かれる。
そうだとすると、男は女性の素顔の奥ゆかしさに、興味を抱く生き物なのかも知れないね…

当時の僕には、恋人でもない彼女を表現できるボキャブラリーはなかったけど、今思い返せば、彼女が普段見せなかった素顔に、「秋の芸術」を感じたのは間違いなかった。
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2011年09月13日

新潟の下町

新潟の古町通りから、北へ一直線に下った町こそが、僕の小さな故郷、下町(しもまち)となる。

しみじみと懐かしむことはないが、いつ行っても所々で記憶がよみがえる下町である。
その風景を目にしたときはもちろん、海風の香りを嗅いだとき、小さな町工場から旋盤の金属音を耳にしたとき、油が焼けたようなすすけた臭いを嗅いだとき。
ずいぶん町工場は減ったが、路地裏の生活臭が漂ってくると、下町に活気があったことを思い出す。
しかも、不思議と楽しかった思い出しか浮かんでこない。

そういう僕は昔から、過去の場所には立ち寄らないタイプだ。
東京と新潟、交互の暮らしに思い出こそあるが、そこに戻って懐かしむ真似はしない。
だから、母校や前に勤めていた会社を懐かしんで、訪ねたことは一度もない。
僕の中で、終わりと決めたら終わりであり、人でない限り、後ろ髪を引かれることはないのだ。

しかし、生まれ育った新潟の下町だけは、そんな乾いた空気をかき消してしまう雰囲気があるんだ。
それは何ごとにも警戒心を持たず、好奇心で育った町だからだと思っている。
下町の気質を表す例に、「下町の人間は、家に鍵なんて掛けやしない」と言われた地域である。
人懐こくも、自分の責任で家族を守る、気概の表れでもあったのだ。

その少しアバウトな下町の気質は、進学校の地域から見ると、何かと誤解の多い町だったようだ。
例えば、泥沼に咲いている蓮の花を見て、「きれいだ」と思えるだろうか。
きれいだと思えたら、きっと僕と仲良くなれると思う。
だが、見た目はきれいでも、「泥沼で咲いている蓮の花であれば、どうせ薄汚い花に決まっている」と思ったら、僕とは相性が合わない人間だと思える。
咲かせようとする花は同じなのに、そういう感性は人間軽視、ひいては無意識な差別につながるからだ。
下町を泥沼に形容している訳ではなく、偶然に生まれ育った家柄や家庭環境、出身校や会社の権威やその履歴書だけで、「人を色眼鏡で見るな」ということだ。
そういう経験があるから、差別意識を平気で口に出すようなタイプは、軽蔑の対象になっている。

新潟の下町には、「サラブレット・タイプ」は少ないが、「ハイブリッド・タイプ」は多い気がする。
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2011年09月12日

軽率な発言

鉢呂経済産業大臣が原発被災地に対し、軽率な発言をしたとして引責辞任した。
軽率だ、不適切など、合言葉のような表現に思えるが、中身は人間性を疑いたくなる言動だ。

政治家の軽率な発言は、今に始まったことではないが、新聞を読んで、「これは、今までとは違う…」と感じたことは、人を心底、悲しませた発言だったと思える。
怒りや憤り、苛立ちに苦言を通り越し、ついに、「悲しみ」という国民感情が、政府に向けられたからだ。

理不尽なことには、烈火のごとく怒るべきだ。
最近では、サッカー日本代表のGK川島が、心ない野次に怒った姿に共感したであろう。
怒りとは、許容限度を越えた時の感情だが、相手の出方によっては、許すこともキチンと視野に入れなければ、人情的にも割り切れなくなる。
怒りは強烈なパワーだから、コトを引っくり返してしまう可能性を秘めている。
だが、その怒りが虚しさに変わってきたら、人は悲しみという感情に支配される。
そうなったら、どういう関係であろうとひびが入るのは、当然のことであろう。
そうこうしているうちに、どんどん日本のメンタル面も、落ち込んでくるようでならない。

人にしてはいけないことは、怒りを通り越し、相手を悲しませることだと思った。
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2011年09月11日

抱腹絶倒

18日、Kさんの誘いで、新潟の天寿園で開催された、「日中文化交流の集い」へ出かけてきた。
庭園を散歩した後、ホールで日中の民族楽器の音色に触れながら、お互いの文化を理解することを趣旨に、お茶会や講座、日中を題材にした地元のお笑いピン芸人がトークライブで… やらかしてくれた。
急に文章のくだりが、崩れたことを説明しよう。

出演した芸人が誰なのは、別に問題はない。
会場の客を笑わせることが、芸人の仕事であるからだ。
しかし、笑わせるどころか、会場の空気を唖然とさせてしまった芸人を見た。
客の中には、笑う女性もいるのだが、すぐに真顔に戻り、その笑顔に余韻を感じられない。
総じて憮然としていたり、無表情の年配客も見受けられる。
面白くないネタではないのだが、笑いのチャンネルが少し合わないようだと、オブラートに包んでおくが…
それにしても、約50名ほどの客がほとんど笑わない。
何だか、簡単に笑ってしまうと、白い目で見られそうな空気がどこかに漂っている。
だが、僕はある意味、その空気が面白くて仕方がなかった。

テレビに出演するお笑い芸人は、間違いなく人を笑わせるだけのスキルはある。
しかし、彼は無名とはいえ、客を笑わせに来ているのに、客は誰も笑わない。
しかも、あがっているようで、まばたきは多いし、早口で滑舌が良くないので、「あんた、何言ってるの?」と、突っ込みどころ満載のお笑いトークなのだ。
最初から最後まで面白くなく、何を言ってもほとんどウケないのに、やたら一生懸命である。
いいかい、 こんなに面白いお笑い芸人は、そうそうめったにいないよ。
笑っちゃいけない空気を作る芸人なんて、天才的な才能かも知れないと思わないか!
逆に僕はそれが面白くて、口にハンカチをあて、声を押し殺しながら、一人で抱腹絶倒していた。
だって、声高らかに笑ったら、ひんしゅくを買いそうな雰囲気なんだよね。
その芸人の名前を忘れてしまうほど、誰も知らない芸人だが、冗談抜きに爆笑地獄に叩き落とされた。

僕の笑いのツボにははまったが、Kさんは面白くなく、怒りの目で睨みつけていたご様子だった。
その怒りの空気が面白くて、声を出せない笑いが止まらなかった。
この日、そんな彼の最低だけど最高のトークライブを、もう一度どこかで見てみたいと思った。
僕はこう見えても、シュールな笑いが大好きなんだ!

そんな彼はどこの誰なんだろうか…?  手がかりは、39歳の新潟のピン芸人ということだけ(笑)
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2011年09月09日

With My Soul

7日、新潟の下町で長年お世話になった方が、闘病生活の末、お亡くなりになられた。
近隣に住む人に、「何かあったら、連絡下さい」と、前から伝えておいたので、8日の通夜にご焼香させていただき、気持ちにケジメをつけさせてもらった。

近年、しばらく連絡が途絶えていた、友人が闘病生活をしていたり、友人の親御さんが亡くなったりと、折に触れて人間の尊厳と向き合うことが多くなった。
友人に限れば、今のところ、まだ別れは来ていない。
いずれ来る別れは、神妙になり過ぎてはいけないし、逆に、空々しく誤魔化すような真似はよくない。

結婚式はイベントなので、誰も楽しいが、僕個人としては、「そろそろ、欠席でもいいかな」と思っている。
これからは、葬儀という厳粛な場で身を入れてこその、年齢になったからかも知れない。
男の冠婚葬祭で、一番大事なことは葬儀である。

しかし今、僕の中で、プロセスは変わりつつあるんだ。
考えたくもないが、もし友人が亡くなって、葬儀が行なわれたとする。
僕は、友人の葬儀に行かないかも知れない。
行くとしたら、友人が愛した家族を励ますためか、遺族を孤立させてはいけないと思ったときだろう。

それは、死後の世界には興味がないので、亡くなった友人とつき合おうとは思わないからだ。
僕は生きているときこそ、友人とつき合えることに、嬉しさを感じると思う。
また、病床になれば、見守り合うことで、心強さを分かち合えると思うしね。
だから、亡くなってから、悔やむのは遅いんじゃないかな…
生きている節目で会うべきだし、「本当、アイツとはつき合ったよ…」で、別れるのが理想である。

それが、「With My Soul」 (心同じく)ではないだろうか…  友達であれば、俺より先に逝くなよ!
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2011年09月08日

雑誌

昔から、雑誌やマンガの類は、あまり積極的に読む方ではなかった。
手元にあれば読む程度で、毎週欠かさず購読していた雑誌は、「週刊プロレス」だけだったと思う。

愛読誌はないが、自然と手が伸びる雑誌の傾向が変わってきた。
筆頭は、「週刊新潮」や「週刊文春」、「アエラ」などになる。
「週刊ポスト」や「週刊現代」などは、スクープ記事にもよる。
それに、ヌードグラビアなんてすっ飛ばし、袋綴の頁を破ることもなくなった。

年齢的に、「病院」や「調剤薬局」、「銀行」に「銭湯」など、高齢者の多い場所に出かけることが多くなり、自然と読み慣れてきたようだ。
なまじっか、記事の内容も理解できる部分が多くなり、気づくと癖になってしまう。
手に取る雑誌によって、年齢がわかったりするものだ。

「ホットドック」に「ポパイ」なんて雑誌は、きっとわからないだろうし、30代の頃、たまに購読していた、「ダ・カーポ」や「サピオ」なんて雑誌も、今となっては懐かしい部類となる。
あと2年もすれば、「正論」や「潮」、「財界にいがた」なんかを愛読するようになるのかな。
書籍は読むが、雑誌はほとんど読まなくなったな… これも年齢なのかな。

「週刊プロレス」に「週刊ゴング」が、やたら懐かしく思えてしまう。
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2011年09月07日

後輩を語る

4日、日曜の夜に時間を巻き戻す。

レイトショー(映画)を観終わって、そのまま家で軽く飲んでいたら、手元のケータイが振動した。
柔道部の後輩から、誘いの電話であり、早速、古町の居酒屋に向かった。
何でも、やまださか…おっと、危ない、後輩「Y」の失恋会見中ながら、湿気た座持ちではなく、みんなで笑って忘れられるような空気があった。

男に、失恋の慰め言葉は、野暮にしか映らない。
だが、仲間として、気を紛らわしてやることはできる。
その後、一人になり、急な寂しさの中で、「俺、恋愛したんだ…」と、実感が湧いてくるはずだ。
そのときの気持こそ、大切にすべきだと思う。
何も恋愛に限らず、僕らはこの先、「気楽に哀しむ」ことも、覚えなきゃいけない年齢に来たのだからね。

北島三郎の名曲、「兄弟仁義」の3番、「俺の目を見ろ、何も言うな」という歌詞がある。
ちゃんと気持はわかっているということだ。
それこそ、山本五十六の名言、「男の修行」と一緒である。
言葉は人を理解するために、必要な後付けの論理であるが、まずは行動… それに尽きる。
そんな彼ら、後輩達の凄いところは、言葉だけのつながりではなく、行動力でつながっていることだ。
男同士の友情は行動力であり、「Y」と「K.H&A」は、「いい友人になったんだな」と嬉しく思う。

僕は、柔道部の主将として、出来の悪い先輩だったであろう。
だが、後輩のことは、今でも誇りに思っているんだ。
たったの一年、いや半年だけ、真剣に鍛え合った経験が、約30年後の今日まで息づいているなんて、そうそうあることではない。

今、思い出したが、新潟の下町気質を表す例えに、「家に鍵をかけない地域の人」と言われていた。
もちろん、エアコンがなかった夏の時代であるから、玄関も窓も開けっ放し状態で寝ていた頃だ。
もしかして、僕らは、「気持に鍵をかけない」…   うん、そんな関係なのかも知れないね。
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2011年09月06日

ピラニア

今まで黙っていたが、「モンスター映画」が好きだ。

それも未知の地球外生物よりも、実在の生物が突然変異したり、得体の知れない新種の生物が襲いかかってくるような映画に興奮してしまう。
例えば、大蛇やトカゲ、熊にサメなど、人喰いアニマルの恐怖なら、俄然観る気が湧いてくる。
それもこれも全て、63年映画「マタンゴ」が始まりであり、次いでTV番組の「川口浩の探検隊シリーズ」に大きく影響を受けたようである。

4日夜、そんな心境で観に行った映画は「ピラニア」。
太古の昔、地上から隔離されてしまった地底湖が地震の亀裂により、潜んでいた絶滅種のピラニアが地上の湖に大群を成して、人間に襲いかかるストーリーである。
うー、ゾクゾクするぜよ。 まあ、ほとんどがこんなレベルなのですよ。
隣の劇場では同じ動物でも、愛と感動のドキュメンタリー映画「ライフ」に、感受性が揺り動かされたかと思うのにね。

僕は、ピラニアを飼っていたことがある。
その生態を観察して、わかったことを映画で見比べてみたいと、相方へ誘いの口述に使ったのだが、単に怖いもの見たさでしかない。
相方は涼しい目を向けて、両方の口角を持ち上げながら微笑んでいる。(何だ、この笑顔は…)
はい、見抜かれています…、何だかんだ言っても、付き合ってくれるノリの良さには感謝している。
入場者6人の館内から上映終了後、しばらく呆然と会話なきまま、生温い夜風に吹かれながら、トボトボ歩いて自宅に帰った。

しかし、この手の映画はどうして、若い女の裸ばっかり出てくるのかな?
しかも、3D上映のため、変なメガネをかけさせられてさ… これじゃまるで盗撮メガネみたいだよ。
別の意味で驚いてしまった…   おそるべし映画だ 「ピラニア」!
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2011年09月03日

ひし美ゆり子

2日、芸能人と社長の結婚について、戯言をシャーシャーと書き綴った。

その報道を目にしたとき、女優 「ひし美ゆり子」 の結婚を思い浮かべた。
40代以上であれば、ウルトラセブンの 「アンヌ隊員」 で思い出すだろう。

95年、僕は東京三鷹のマンションで、一人暮らしをしていた。
自宅から徒歩5分の住宅街の一角に、小さな台湾料理店があり、焼き飯が美味しくて通っていた。
ある日、初めて見る女性店員にオーダーを告げた瞬間、「この人、ひし美ゆり子だ」と気づいた。
ガキ目線の頃から、大人目線になって見た、23年ぶりの彼女に胸をキュンとさせられた。

後から知ったのは、旦那が店の主人で、彼女は女優を引退後、仲むつまじく店を営んでいるという。
旦那とのなれそめは、新宿の台湾料理店の料理人と客の関係だったが、相性がよほど良かったのか、スピード婚だったらしい。

僕が素敵だなと思ったのは、彼女のネームバリューがあれば 「玉の輿」 に乗れたと思う。
それこそ、渡り方によっては、人も羨むような結婚生活だって、できたと思える。
彼女の凄さは、女優としてでなく、日常で 「私にとっていい男」 を探して、決めたところである。

男もネームバリューに萎えず、プロポーズをしたから、世の男達に勇気と希望を与えた。
結婚の形はそれぞれ、職業と結婚するのではなく、人柄と歩んでいくことを忘れずに決断できる人こそ、本当の恋愛を知っているようで、素敵に思えるんだ。

そんな 「アンヌ隊員」 こと 「ひし美ゆり子」 は、当時の美を失うことなく、現在64歳。
僕は 「この人なら、抱いてみたい」 と、素直に思える。

だが、断っておくが、俺は 「ババ専」 じゃねえぞ! (−_−メ) 
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2011年09月02日

おもいで酒

新潟市中央区の下町(シモマチ)出身、大物演歌歌手の小林幸子さんが結婚を発表した。
お相手は8歳年下の会社社長で、県内からも多くの祝福の声が寄せられているという。

芸能人は、レジャー産業やIT会社の社長など、社会的な肩書のある男性と結婚するケースが目立つ。
そんな報道に敏感で、結婚披露宴の映像を観ているのは、いつの時代も女性である。

女が選ぶ「結婚の条件」など知らぬが、プロフィールを重視すれば、職業・収入・学歴・家庭環境・容姿の順となり、その条件をクリアーした中から、人柄選びをするのかな。
(そのくせ女は「ロミオとジュリエット」のような恋愛映画に憧れているんだよな。 ブツブツブツブツ…)

バブル期のように、札束臭のする、エセな結婚は少なくなった。
今になって、離婚の多い理由として、プロフィールを重視した傾向はあった。
長い結婚生活、最後は人柄で支え合うと思えば、プロフィールなんて紙くずにさえ感じてしまう。

結局、世間で言うところのパワーバランスは、たてまえのプロフィールであり、お互いが人柄で結婚することを思えば、プロフィールなんて、大してアテにならなかったりする。
だが、今の時代は人間的に魅力もなかったら、社長業なんて務まらないかもな。

そのぶん、バブル期と比べ、人間考察はわかりやすいかも知れないね。
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