2011年08月30日

男の甲斐性

深夜、女性客が独り言のようにボソッと言った… 「不良しちゃおうかな…」(笑)

僕の友人で早くに結婚して、子育ても一区切りついた親が何人かいる。
結婚という括りの中で、子育てという偉業を成し遂げたのだから、少しの解放感もあろう。
解放感の形はどうあれ、身を持ち崩さない程度であればいいんじゃないかな。

40代半の20年間、子育てに人生を捧げたのだから、少し本音の私で生活したいと思うのは普通だ。
だが、注意しなきゃいけないのは、若い頃から仕事漬けで趣味もなく、恋愛不足と思われるタイプだ。
男に多いんだけど、若い女性と二人きりになると、酔いも回り舞い上がっちゃう。
冷静さに欠けてしまい、普段の自分ではない面が出てしまうこともある。
既婚者が独身の女に、「僕は結婚しているから安心してほしい」とか、決まり台詞を言うんだけど、安心は女が決めることであって、男の売り言葉ではないと思う。
その台詞を出した時点で、野暮な男に映るし、まあ不良にはなれないね。

僕が見てきた経験で遊ぶのであれば、同年代のチョイ不良同士の方が無難である。
遊び方も知っているし、少し不良がかってないと、妙に問題が発展しちゃうからね。
禁断の恋を助長する気はないが、いったん自分の甲斐性と向き合った方がいいかと思う。

40歳過ぎると、男も女も、「異性の証明」に走るのかな…  Never Give Up! 
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2011年08月29日

新潟の都会

万代にある大手ファストフードチェーン3店舗が、新開発計画により閉店(移転)を余儀なくされた。

長年、万代の街中風景を彩り、遠方からも多くの若者を誘っていた、大手FF店舗である。
これら全て、「安い・早い・便利」、そして若い女性の来店比率が高いことは、「新潟の都会」を意味する。
加えて、ファッションや音楽、流行の発信エリアとして、若者の購買意欲の高い街でもある。

近年、古町の大和デパート閉店とは質が違い、寂しさや地域の活性化を悲観する理由がさほど見当たらないのは、前進できるための、一時撤退だと思えるからだ。
万代という街は変化に強く、何よりもクールである理由は、若者が文化の底を支えているからだろう。
古町に似合う音楽が、「演歌」「4ビートジャズ」ならば、万代は、「ポップス」「ライトフュージョン」が流れるような街で、風のような疾走感もあるので、わりかし変化に強いと感じている。
それだけ、地元以外の企業や県外移住者も多い街なので、逆に、タフと言えばタフな街なのであろう。

僕は以前、大和デパート閉店に際し、「何年もほったらかしにしておきながら、いざ閉店が決まると客は大挙で押しかけ、“寂しい”と調整的なことを言う、その偽善性がハナにつく」と語った。
その言語感覚がキレイごとであり、知らぬ間に人を傷つけているのが、まだわからないのかな。
関わってない人が言うのであれば、まだ「お疲れ様でした」の方が、気持がこもっていると思う。
だから僕は、大和デパートを使っていた客だったから、僕の寂しいは“本当の寂しい”であり、胸を張って寂しいと言える客だったと思っている。

そういう理由もあり、僕はFF店舗はあれば便利程度で、別に寂しくはない。
だって、僕は利用してないんだから、調子のいいコメントなんてできないよ。
そりゃ、万代の景観は一時的には寂しくなるさ。
でも、自分の生活ニーズにないものに、感情移入できますかという話である。
早い話、自分と交流ある者(人)には感情移入できるが、交流なき物(モノ)に感情移入できるだろうか。
感情移入できるとしたら、者(人)が物(モノ)に対して、強い記憶が宿っている場合であろう。
その考えの方が、裏表なく健康的だと思っているので、僕には「寂しさ」がない代わりの、「お疲れ様でした」の方が、語呂がいい。

FF店舗は、万代の若者を長年見守ってきた象徴でもある。
それが古町や本町、新潟駅前の繁華街では似合わない。
やっぱり、FF店舗は若者文化である、万代シティの街並みによく似合う。
万代は変化に富んだ街だから、きっとまた戻ってくると思うね。

そうじゃなきゃ、若者の流行発信エリア「万代」ではないし、「新潟の都会」にはなれないはずだ。
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2011年08月28日

少年とジャズ

少年の存在には、薄々気づいていた…

開店時間の19時に向けて、だいたい18時前後位から、店内の開店準備へ入る。
その間、入口の扉を開けて換気しながら、主にジャズのCDを聴き流して作業をしている。
前から、少年の存在には、薄々ではあるが気づいていた。
少し遠目から、店内の様子を興味ありげに覗き込んで行くからだ。
きっと、音楽に興味を抱く年頃なのであろう。

そんな好奇心を満たしてやろうかと思い、入口から笑顔で、「入りなよ…」と手招きをしてみた。
人見知りするかなと思いきや、少し怪訝な顔はしていたものの、次第に近寄ってきた。
「音楽好きなの…」と気さくにたずねると、「ウン…」と小声で返してきたので、狭い店内に招き入れた。
隅のカウンター席で、オレンジジュースを飲ませながら、少年をあれこれと構うことはせず、僕も淡々と氷を切り出しながら、一緒にジャズを聴き流していた。

しかし、自分の耳に合わせて好みを選曲していたので、少年は何が何だかわからない状態だと思う。
それは「4ビートジャズ」、いわゆる「ビ・パップ」であり、CDは「富樫雅彦&J.J.SPIRITS」。
黒人のフィーリングをもって、日本人が奔放に味付けをした、ベテランの引き締まった演奏である。
僕はテンポの心地よさに乗っているが、ジャズをはじめて聴く少年にとっては、与えるべき癒しなど何もないようで目が回っている様子だ。
たぶん、同じように聴こえていると思えるし、テナーサックスの豪快なアドリブに体感温度も上昇してしまったのであろうか。

もう、外が薄暗くなってきたので、「聴きたくなったら、またおいで…」と帰宅を促したが、訳のわからない音楽(ジャズ)を聴かされた、少年の情操教育は将来如何に…?
今更ながら、最初はポピュラーなフュージョンでも、良かったのかもね。

えっ、オレンジジュースの代金を取ったかって…?  「バカヤロウ、俺は鬼じゃねえぞ!」 
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2011年08月25日

柔道の基本

このところ帰宅後、世界柔道選手権パリ大会のテレビ録画を観ながら飲んでいる。

この際、国際ルールや試合展開をくどくど語らない。
柔道の魅力は相手の重心を崩して、一瞬の懐に飛び込み、相手の背中を叩きつける豪快さである。
そして、攻撃的でアグレッシブな技の攻防こそが、見ごたえのある柔道となる。

僕の柔道は恥ずかしながら、町道場のレベルでしかない。
だが、13年間の柔道経験から、実践的な見方は多少なりにできるかと思う。
その中で、外国の柔道留学生と乱取り稽古したときのことだが、奥襟をガッチリとつかまれると、まるで全身を万力で締め上げられるような力強さだった。
そんな怪力をまともに相手すれば、すぐにスタミナを奪われるどころか、下手すればぶっ壊される。
パワーだけで勝てるほど実践は甘くはないが、スピードとテクニックを身につけられたら、悲しいかな…、もう勝ち目はないかなと思ったのが本音だった。
その時の複雑な心境からすれば、外国人の体を跳ね上げてしまう日本人選手なんて凄いと思う。

身体能力の高い外国人選手でありながら、試合では組み合おうとしない柔道技に流れが変わり、いつの間に、「ポイントゲーム」となってしまった。
外国人の身体能力からしたら、そんな必要はない気はするんだけど、それだけ日本柔道に対する警戒とでも言おうか、応酬なのであろうか。
それとも強豪国である日本潰しのため、政治的な力が作用しているような、疑惑の判定も過去あるにはあったなと記憶している。

勝敗にこだわるのは、当たり前である。
勝ち方の部分で言えば、礼に始まり、一本勝ちで決着し、互いの健闘を讃えあい、礼で終わってほしいのが、柔道という素晴らしき武道である。

柔道経験者は、シンプルな考え方の持ち主が多い気がする。
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2011年08月24日

曖昧な記憶

人と会うことで、ストレスが解消することがある。

長年の友人から、「高校を卒業して東京に行くその日の朝、新潟駅まで見送りに来てくれたのは、忘れてないんだよな…」と、懐かしみを込めて言われた。
言われなかったら、一生思い出すこともなかったであろう。
何しろ、28年前の出来事である。

今更、昔の記憶を整理することはないが、切り出しが恨み節でないことにホッとした。
記憶が抜け落ちていた部分ながら、感謝される分には大いに結構なことだ。
しかし、知らぬ間に人を不愉快な思いにさせてしまい、イメージが独り歩きしている場合もある。
人を不愉快にさせた記憶よりも、不愉快にさせられた記憶の方が、はるかに幅を利かせてたりする。

だからと言って、過去をさかのぼり、記憶の水掛け論をするのはバカバカしい。
あやふやな記憶の中にある、あやふやな懐かしさが心地良かったりするからだ。
今になって気軽に会えるのは、男女や年齢分け隔てなく、あやふやで楽しかった思い出だけを率いて、座持ちできる関係なのかも知れないね。

努めて、「酒好き」だったら言うことない。
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2011年08月23日

静かな海(2)

結局、今年も海水浴へ出かけなかった…

僕の中で、もう夏は終わっている。
今年の夏は、原色を失っているように見えた。
暑さでやけっぱちに過ごし、「さっさと夏を切り上げて、早く秋にいこうよ」と、社会全体が「巻き」の合図を送り合っているようにも思える。

歌であれば、フルコーラス(1番〜3番)の内、2番をカットし、3番のエンディングに向かっている感覚。
曲は短くなるけど、確かに歌として成立している。
ある意味、夏は興行のようである。

暦の上では、暑さは落ち着いているが、まだまだ残暑は厳しいはず。
夏は名残惜しくも存在しているが、もう人間の体力や気力が夏を拒んでいる。
もう夏を楽しめないということは、日本が夏バテ状態なのだろう。
ムダに長いだけの夏ならば、そんな気分はもうコリゴリだ。

今夏も、僕の肌は真っ白である。
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2011年08月22日

休日ふらり(7)

休日の予定は、頭の中で立てるのだが、その通りに行かないのは、疲労感からの活力不足であろう。

予定時刻に起きてシャワーを浴び、コーヒーでも飲めばシャキッとするのだが、そのままソファーにゴロ寝すると、また二度寝をしてしまう。
寝ぼけ意識の中で、「休日なんだから、体の信号にしたがって過ごすのもいいかな…」と納得する。
まあ、体が休養を求めているんだから、仕方あるまいか。

こういう日の外出範囲は、徒歩の距離に限り、筋書きも描かない。
のんき気まま、風の吹くまま、あてもなく…
人と会う約束がない休日、気分に身を委ね、偶然の成り行きに身を任せる。
今晩、ブログを書いているのも筋書きではなく、成り行きに任せているだけのこと。

さて、この後、もう一度、酔おうかな… 
その前に、コンビニへ行こうかな…
それとも、ビデオでも観ようかな…
そうだ、フランス語の勉強でもしよう… なーんてね!

やっぱり、ひとりで飲みながら、空が白み始める頃、寝るとするか…
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2011年08月21日

はしご酒

佇まいに年月を感じる大衆居酒屋が好きだ。

シャレた店内のBGMはジャズを流し、和洋中を「俺流の創作料理」で提供し、雑誌でやれ「リーズナブルだ」、「カジュアルだ」と宣伝している店には、ずいぶん縁遠くなってしまった。
そういう店に出入りしていたことは、あるにはあるのだが、どこか交われないのが本音である。
近代化で変わる街の風景に似合わない、ひっそりとした佇まいの店に惹かれる。
懐古趣味はないので、商業的に作られたブームに流されることはないが、微かな文化を漂わせている雰囲気がある店は好きだ。

若い頃、僕とデートした女は、ことごとく憮然としたと思う。
手前味噌な言い方だが、流行を仕事にしていたくせに、流行の店にはプライベートでは行かない。
当時の仕事柄、人気のある店に連れて行ってくれるとでも思っていたのだろうが、引っ張って行く店と言えば、一等地ではないエリアで営業している、こじんまりとした店が多かった。
例えば、夫婦で営業している小料理屋とか、店主の人柄が肴になるような小さな居酒屋。

飲む相手が男であれば、「どこそこで、金髪の女がいる店で飲んでるから、今から来いよ!」と、誘い出して来たのはいいが、70歳近いと思われる白髪のお婆ちゃんを見て、目がテンになっていた元部下。
「あっ、悪い悪い、金髪の女じゃなくて、白髪だったわ…」からで、その夜が始まる。
そんな元部下は、Yシャツを着替えて、オーデコロンを耳の後ろに大量に振りかけてきたもんだから、「焼鳥屋に来るのに、何でそんな恰好つけてるの」と、冷やかして爆笑モノだった。
こういうノリなので、流行モノやスタッフの演出に走る、変り種風の居酒屋とは無縁だった。

一軒目の居酒屋の暖簾は、「何もしてくれるな」である。
強いて言えば、最初のビールは早く持って来てくれぐらいで、それが僕の居心地だったりする。
ただし、コレは避けたいと思う、僕なりのこだわりがある。
それは、居酒屋から居酒屋へのはしご酒。
それが癖になると、長尻、セコい、下世話な会話、酒癖が悪くなる、平気で料理を残す体質がつく。
第一に、粋じゃないでしょ…
だから、一軒目の居酒屋選びは、はしご酒へ向けての真剣勝負である。
それが、二軒目も居酒屋ならば、さっさと他へ飲みに消えてしまうタイプだった。
一軒目は、「酒と料理」を味わい、二軒目こそ、「酒と会話」に重きを置いて飲んだものだ。
一軒目の暖簾がオープニングとなり、二軒目こそが人となり、素顔が見える場面でもある。

はしご酒とは、社会の歩き方だと思うので、たまには歩く道も変えなきゃ、つまらないんじゃないのかな。
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2011年08月20日

着信履歴

盆、暮、正月になると、ケータイの着信履歴に、懐かしい名前が表示されることが多くなる。

挨拶代わりのメールも楽しいが、久し振りだからこそ、その肉声に嬉しさを感じてしまう。
人間関係を養うため、適度なコミュニケーションの中にも、どうしても仕事や私生活の会話は必須だ。
秘密主義でない限り、互いの近況は知りたくなるだろうし、僕も会えばすっぴんでしゃべるだろう。
つき合いの中で、友人の優しさに触れたりすると、逆に僕も、「彼に優しくしてるかな」と思うことがある。

近年、ケータイやパソコンなどの利便性だけに頼ってしまい、書き言葉だけのつながりでしか、人間関係を図れない人が増えているという。
僕も自身のブログで意見を書いても、それは単に自分の言いたいことを書いただけであり、賛成や反対を求めて、意見交換の場にするつもりはない。
コミュニケーションは、肝心なことほど肉声で交わすことと、顔を合わせることができる上での、ケータイやパソコンの利用であり、それらを健全な延長ツールとして使っているだけのこと。

社会が便利になり過ぎて、書き言葉の往来だけは飛躍したが、会話力は低下しているようだ。
それが当たり前になり過ぎると、腹を割って話ができる友人の存在は次第に少なくなる。
長い時間をかけて作った友人なのに、スナック菓子のような軽いノリだけでは、ハナから中身がなかったとしか言いようがないだろう。
ややこしいようだが、体温を感じる距離でありながら、体温を感じさせられない友人は友人ではない。
気軽に肉声で会話できるのが友人であり、腹を割って話ができるのが、進化した友人の形だと思うね。

この時期、僕の着信履歴は東京の友人である、イニシャル「S,K」の名が連なっている。
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2011年08月18日

深夜相撲

15日、深夜にほど近い店内では、四人の男性客が思い思いの酒をあおっていた。

ここまで何の変哲もない光景だが、その後に入ってきた一人の泥酔男(推定50代)がやってくれた。
カウンターに座ること、ビールを飲み始めるのだが、やたらと絡みついてくる。
仕事柄、いろんなタイプがいるので驚きはしないが、要するに「威張り酒」のタイプだ。
俺がどんなに凄い男なのか、周りのお客さんに聞えよがしに虚勢を張るのである。

店内に居合わせたお客さんは酒豪の上、腹が据わって気にせず飲んでいる様子が、店の常連と言えば常連らしい振る舞いである。
泥酔男はもう1本ビールを飲み、金払い良く店を後にしていった。
しかし、摩訶不思議な問題行動はその後に起きた。

再度、泥酔男が扉を開けると、僕に手招きをして外へ誘い出した。
何だろうと思い外へ出ると、「女を紹介せえ!」とダダをこねる。
できないことを伝えると今度は、「じゃあ、俺と相撲せいや!」と、僕の腰ベルトを右四つに掴んで、勝手に、「ノコッタ、ノコッタ」と押してくる。
僕は早く店に戻りたいので、仕方なく相手をして、店前から角の自動販売機の辺りまで押し込み、ハイ終了。
その間、泥酔男は子供みたいに喜んで、自分が勤めている会社名まで名乗ると、最後は握手してから、新潟駅前方向へ消えていった。

「何者なんじゃい」と思いながら店へ戻ると、お客さんから、「マスターにかまってもらいたかったんだよ…」と言われたものの、「はぁー、俺は疲れたよ」と、肩で大きくため息をついてしまった。
くれぐれも断っておくが、当店はそんなお客さんばかりではないことは断言する。

真夏の深夜、50代のおっさんと路上で相撲を取るとは思わなかった… もう、勘弁してくれ (ToT)/~ 
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2011年08月14日

トランジット

日本列島、お盆休みである。

僕は昔から、お盆に里帰りしたり、旅行に出かけられる環境ではなかった。
寧ろ、帰省ピークで、街が静かになった一瞬が心地良かったりする。
どちらかと言えば、賑やかな場所より、落ち着いた場所を好む傾向にある。

今の時期、旅行に置き換えれば、行き先そのものより、旅行途中の小休止も楽しめる方だ。
だから、飛行機のトランジット(乗り継ぎ)が好きだったりもする。

新潟発、グアム行きは、直行便があるので移動が楽だが、僕は新潟発、サイパン行きの方が好きだ。
直行便がないので、グアム空港で乗り継ぎするのだが、待合室での時間調整に地球儀を感じてしまう。
見知らぬ外国人らと滑走路を見ながら、静かに便を待つ時間が落ち着くのだ。
大型の国際空港ではないので、国籍には片寄りあるが、英語圏に身を置いている緊張感も楽しい。
それに滑走路を眺めながら、自然と無口になれる環境が良く、団体旅行では味わえない発見がある。
ひとりふたりで行く分なら、高揚した気分をさらけ出すこともなく、同じ方向を眺めながら過ごせる時間こそ、大人の恋愛という気もしないでもない。
トランジットには、そんな大人の自覚を促してくれる、雰囲気があるんじゃないかな。

僕は現在、貧乏暇なし。
またどこかで、そんな気持を味わってみたいと思う。

明日から、ブログも夏休みと決め込むので、3日ほどアップしませんが、よい夏休みをお過ごし下さい。
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2011年08月12日

童貞物語

10代の若者にとって、夏は誘惑の多い季節だ。

男女とも、色恋はせいぜい20代後半頃までで、以後は「あっちぇなぁ」の連発で、今の年齢まで到達してきた人が大半であろう。
当時、ビキニを着ていた女も今では、ウチワで股間をあおいでいるかと思う。
当時、体が締まっていた男も今では、腹で股間が見えなくなっていると思う。
今となっては、夏のワクワクやウキウキなんて感じなくなってしまった。

男の思春期にとって、夏休みは複雑なモヤモヤ感がかけめぐる。
僕が強烈に大人の性を意識したのは、中学高校の6年間であった。
夏休みは童貞喪失に憧れを抱きながら、部活とバイトに明け暮れて、結局は何も起こらずじまい。
始業式に想いを寄せている同級生の女が、突然イメチェンして現れると、「あの女、やったぞ!」と勝手な妄想を思い浮かべ、自分で自分を傷つけたりする訳だ。

その頃、すでに童貞を捨てた同級生は、1の経験を10の経験のようにして話す。
それでも、僕らは質問や接続語を入れては、その状況検証をやめようとしない。
そのうち、「しょうがねえな〜」とか言って、今までに見たことのない奇妙な動きを始めて、「いいか、こうして、こうやって、こうやるんだ!」と、テンションが高くなっている。
彼は優越感に満ちた顔で、「女っうのはよお〜」とか、言い出して、明らかに上から目線。
僕らはそれを聞きながら、「ほーう、なるほど」としか、言いようがなかったのが情けなかった。

高校3年生の夏休みは少し焦りだした。
僕ら童貞仲間は部活帰り、古町三番町「日活」で、ポルノ映画を観に行くという荒技を覚えた。
私服に着替え、思いっきり低い声で、「大人一枚…」で入館する。
そんな大人にふんした高校生が、時間差で何人も連なってくるんだから、チケット売場のおばさんはきっと、「この子たち、まったくしょうがないね…」って、呆れ顔だったと思う。
それを機に、部活の全国大会選手でありながら、遠征先でユニフォームを着たままで、ポルノ映画を観ていたんだから、今思えば大問題であり、しかも全員が童貞であったことの方が笑える。
振り返れば、今で言う「草食系男子」って、いたにはいたけど少なかった。
夏は思春期の男の股間… 失礼、「五感」を刺激するのである。

あの頃、俺たちはアホだったけど、閉じこもらない明るさとコンプレックスに笑いをもっていたと思う。
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2011年08月11日

暴露社会

10日夕方、万代の喫茶店でスポーツ新聞を眺めていた。

ツィッターのモラルが、社会問題になっていることを改めて知った。
最近では、日本女子サッカー選手の私生活に同席していた友人が、現在進行形でその様子を一部始終、細かく発信していたことは記憶に新しい。
だが、今回の芸能人の場合、発信者が宿泊ホテルの従業員だったという。
僕は、類似点を感じてしまった。

それは悪意がない行為、だから逆に始末が悪い。
つまり、暴露がストレスのはけ口に向かい、その話題の広がりに快感を覚えてしまったからだ。
余計にタチが悪いのは、匿名ならば、どんな人物にも変身できる点にある。
しかも、きちんと考えられた文章ではなく、うっぷん晴らしにも思える文章では、当然その毒気は強い。
友人同士の冗談レベルとは違い、精神の二重構造を見た瞬間に走る戦慄感にも似ている。

肯定派は、それを表現の自由とか言うのであろうが、その言葉は正直言って聞き飽きている。
表現の自由には、危険性がはらんでいることを、いったん頭の中で迂回させてから言うべきだ。
表現の自由が、他人に向かっているから、悠長で楽しんでいられるのであろう。
本当は隠れて物を言う、「表現の自由」が好きなんじゃないかな… そんなことを感じた。

人と疑心的につきあうよりも、やっぱり好意的につきあいたいよね。 最後はやっぱりココだよ、ココ!
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2011年08月10日

擬似恋愛

年齢に応じて、行き場所は限定的となる。

ビキニ姿の若い女が集まる、ナンパ目当ての浜辺。
制服姿の若い女が集まる、レストランカフェ。
合コン風の雰囲気が漂う、ダイニングバー。
飲食店の若い女性店員をお目当てに、下心を秘めて通うこともない。
そういうシチュエーションとは、この先自然と縁がなくなるであろう。

僕自身、現場の裏方を見た経験で言えば、下心ある中年おじさんの顔は緩んでいるから不思議だ。
それで、抱くに及んだことがなく、だいたい上手にあしらわれている。
特に若い頃、早く結婚してしまい、充分な恋愛経験をしていない男に多い。
積極的なのはいいんだけど、そのプロセスが支離滅裂だったりする。

30歳前半の女性から、こんな出来事を聞いたことがある。
妻子ある40歳代の男性と、仕事の打ち合わせも兼ねて食事をしたという。
女性はその夜のお礼をメールしたのだが、それが男のハートに火をつけてしまったらしいのだ。
高揚した気分もあり、男が返信したはいいが、普段のその人らしくない内容文が添えてあった。
たぶん、ロマンチックな文章を添えたと思うが、問題は私生活のメールを何通も送るようになった。
そうなると、仕事の括りでは収まり切らなくなる。
遊びなれてない男は、きっと「モテた」と勘違いしちゃたんだろうね。

男である以上、若い女性と交流することは楽しい。
だからと言って、若い女を甘噛みするような、擬似恋愛を仕掛けたら相手が困ってしまう。
するのであれば、男を知る大人の女を相手にした方が、まだ恥をかくことは少ないであろう。

僕の場合、若い女が集まるような場所には、あまり行かないようにしている。
若い女に甘い夢は見ないが、浮ついた「妄想」をするような場所は避ける。
それと、言いなりになる女とばかり付き合っている男は、そういうことでしか自分を保てなくなる。
同年代の女と、対等に向き合えないことは、少しヤバイかと思うね。

40代の男が積極的と言われるが、若い頃に遊んでなかった男が、目覚めただけのことだと思っている。
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2011年08月09日

桐下駄

本町で桐下駄を買った。

私服は、時々のTPOに合わせるが、普段はTシャツにジーパン、スニーカーの三点セットで過ごす。
秋冬になれば、Tシャツをトレーナー、革ジャンに替えるだけで充分。
前まで休日は、少しフォーマルな恰好で出歩いていたが、行動が落ち着いてくるとシンプルになる。
特に自転車へ乗るようになってからは、俄然適した軽装となってしまった。

桐下駄を買ったのは、あまりに世間が「エコだ、エコだ」と騒ぐので、僕なりのエコを示したまでだ。
下駄なら、靴下を履く必要もないし、何よりも足元が涼しい。
それにサンダルのパタパタ音よりも、下駄のカランコロンの方が、上品な夏の音色である。
靴の洗濯や手入れの必要もないし、下駄はもっと見直されていいかと思うね。

難点は手の指タコ同様、足の指が鼻緒の摩擦であかぎれを起こし、痛いの何のしばらく我慢は必要。
こういう、痛みを克服してこその、「下駄エコ」となる。
今夏から、スニーカーを下駄に履き替えて、シラケた街の大道を歩き出してやる(?)

男の普段着なんて、清潔感だけ意識していれば、少し原始的でもいいと思っている。
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2011年08月07日

人間の証明

Mama Do you remember.

7日、俳優でロックシンガーでもある、ジョー山中が肺がんのため、64歳でその生涯を終えた。

1977年、中学1年生…
初めて前売券を買い、一人で映画館へ出かけて観たのが、角川映画 「人間の証明」である。
主演は、岡田茉莉子 松田優作 ジョージケネディ そしてジョニーヘイワードを演じたジョー山中。
鑑賞後は、森村誠一の原作も読みふけて、ジョー山中の歌声(テーマ曲)を繰り返し聴いていた。
西条八十の詩集、「麦わら帽子」は、何度も読み返したものだ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあの時、ずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向から若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子、どうなったでしょう?
あのとき傍に咲いていた、車百合の花は
もうとうに、枯れちゃったでしょうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、  今夜あたりは、
あの谿間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつやひかった、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
                 西条八十 詩集「麦わら帽子」より    

近年、「CG仕上げ」や「感動の物語」を、売りにする映画は多い。
ゆえに、「驚かせてやろう」、「泣かせてやろう」という思惑が、ありありと感じることもある。
だから、「すごかった」、「面白かった」程度の、ボキャブラリーしか言えなくなってしまうのだ。
不器用な作品でもいいから、文学的でヒューマニズム溢れる映画を観たくなる。
それが僕の中の、「人間の証明」であり、「麦わら帽子」である。

終戦記念日 1945年8月15日  こういう、「心の爪痕」もあることを知るべきだ。
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2011年08月06日

新潟甚句

5日、新潟まつりの初日は、大民謡流しからはじまった。

店前の道路が、車両通行止めになった30分後の19時、新潟甚句の軽やかな音色が街中を包んだ。
民謡流しの日は、店内の音楽を止めて、民謡と風鈴の音色を小耳に挟んで口開けを待っている。
そう過ごすのも、年中見慣れた店内にいると、旬の風景や季節感が恋しくなるからだ。
店内を視覚だけで見渡すと、確実な季節感が目に映らないので、聴覚で季節を感じたくなるのだ。

ここ数年、店に浴衣姿で入って来るお客さんが、減りつつあるのが少し残念である。
それに民謡流し終了後、それぞれの解散が早くて、祭りの余韻が薄らいでいる気がする。
僕の感覚では、バーでの浴衣姿は小粋であり、風流を持ち込むのは歓迎なんだけどね。

それにしても、民謡流しはいいなぁ…
老若男女、年齢や立場を越えて一緒に踊り、それぞれの人生を交錯させるんだから素敵である。
来年からは、少し開店時間を後らせて、「ありゃさ、ありゃさ」と、踊りに行っちゃおうかな。

まだ、誰もお客さんが来ない店内。
外から漏れてくる、民謡を聴いていた僕は、34年ぶりに新潟甚句を相方に披露して見せた。
すると相方は、僕の華麗な新潟甚句を見ながらひと言…
「ウルトラマンが、スペシューム光線しているみたいね」と、抜かしやがる。 …失敬な!

来年の僕は、新潟甚句の、「リード・オフ・マン」を目指す。
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2011年08月05日

さそり固め

今週発売の週刊文春に、「プロレスラー長州力の家庭内暴力(DV)」のスクープ記事が載っていた。

元、プロレスファンとしても、興味が先行した。
記事の全文を鵜呑みにはできないが、それが本当だとしたら、長州力のパワーホールが虚しく響く。

男と女はどうあれ、男の暴力だけは絶対にダメだ。
それこそ、ダメなものはダメであり、理由もへったくれもない。
まどろっこしい、男と女の検証や仮説なんて、聞きたくもない。
どうしても、暴力を振るいたくなったら、即刻で別れるべきだ。
女に暴力を振るっておいて、「俺の心が痛む」など、調整的なことを言う男はどこかおかしいよ。

僕は男性論者だ。
行き過ぎと思える、ジェンダーフリーは理解できない方だ。
怒りの矛先が女に向いたら、落とし所を探りながら、スポーツ感覚で口論するのがルールだと思う。
それか聞かれたことだけ、短く返事をしておくにとどめておく。
いずれにせよ、女に激情して振るった暴力は何事も解決しない。
それに男ならまだしも、女に暴力を振るう男は、同性にも評判がよくないはずだ。

こんな程度のブログを、女性が読んでいたとしたら、男のここに配慮しておくべきだ。
男のプライドとコンプレックスは、想像以上に表裏一体なので、触れ方には注意が必要である。

それにしても、長州力が家庭をリングにしていたとしたら、“掟破りの逆さそり固め”だよなぁ。
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2011年08月04日

Portrait In GIG

どこのバーでも、3回来店すれば、こちらに憶える気はなくても、お客さんの顔や嗜好は憶えてしまう。

はじまりは、何でもないようなことから、次第に年月が経っていく。
ことさら、カウンター越しでは、長年の会話が重なるので、お客さんのポートレートが仕上がってくる。

店の隅のカウンターに、文庫本が整然と並んでいる。
その中に背表紙の厚みが目立つ、「ポートレイト・イン・ジャズ」が一冊雑じっている。
本の内容は、画家の和田誠が、世界的に有名なジャズミュージシャンのイラストを複数名描き、作家の村上春樹が、そこに独特な紹介文章を綴った合作文庫である。

僕がこの本を、「個性的だな」と思ったのは、構成がジャズのカタログ本になっておらず、互いの著者が強みを持ち寄り、別な角度からジャズの人物像を書き上げている点にある。
そこには、ジャズの技術や解説など一切なく、イラスト(肖像画)と、文章(肖像文)の組み合わせだけの構成で、レトロなんだけど、見えてくるジャズの風景を新しく感じさせる秀作だ。

当店にも、「ポートレイト・イン・ギグ」は存在している。
そこには、お客さんの顔と名前、愛飲酒、簡易プロフィール、ここまでの関わり合いなど、ガッチリと記憶にインプットされている。
僕の中の人物たちは、今だに変わらぬ存在もいれば、思い出として影が薄らいでいる存在もいる。
しかし、その本は誰も読むことはできないし、誰にも読ませる訳にもいかない。
なぜなら、僕の頭の中にだけ存在している、「ポートレイト」だからだ。

そんな、【 Portrait In GIG 】は現在、4冊目の途中に差しかかっている。
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2011年08月03日

年の差…45歳

国民栄誉賞は、加藤茶である。

68歳の加藤茶が、23歳の女性と結婚した、年の差45歳は記憶に新しい。
僕が生きてきた年齢と、さほど変わらない。
と言うことは、今1歳の赤ちゃんと、22年後に結婚する計算か。
加藤茶、あっぱれだよ、あっぱれ。
やっぱり、芸能人はモテるんだな。
下世話だが、両者の凹凸の問題よりも、最後は、「愛が勝つ」ことを証明したのだ。

財力に触れれば、それは困らないからであろう。
植毛したり、顔のたるみをリフトアップしたり、どれほどのクリニック費用を投じたのだろうか。
まあ、異性が存在する以上、美の追求は何も女性だけに限らず、熟年の男にまで及んでいると思う。
それができるのも、あっぱれである。

成功した男に、若い女がつくことはよく言われる。
相性が合えば、年の差は埋まるとは思うが、若い女の気持ちは不変ではない。
当然、年の差を見越した結婚であるが、男は妬いてしまう生きものでもある。
万が一、この僕に財産があったとしても、最後を想定すると、若い女と結婚する勇気はないと思う。

更にはっきりしたことは、肉体が丈夫で精神も元気であれば、若い女性を抱けるということ。
下半身は、思い通りにはならないだろうが、きっとその時の年齢に合った、交わり方でいいのかもね。
僕はありのまま、自然に老いて行くつもりなので、ハゲようが何になろうが、命に関わることでない限り、自分にウソ(?)をつく気はない。

国民栄誉賞は無理だとしても、スローセックスのエキスパートとして、加藤さんを表彰するべきだ。
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