2011年07月17日

現代日記(2)

普通、自分自身を文章表記する場合、「一人称の主語」を決めなければいけない。

それを「私」、時には「俺」、感情と気分で主語を使い分けしているが、これこそがブログの気楽さと曖昧さではなかろうか。
仮に、「私」だけの主語であれば、懇切丁寧過ぎて、ぐずぐずと長ったらしくなりやすい。
それがもし、人に宛てた文章であった場合、下手をすると慇懃無礼な印象を与えかねない。
極端な「私」表記を避けたいため、「俺」なる表記でバランスを取っているつもりである。
だが、「俺」だけでは、いつも怒の色が強くなり、感情に振り回されている気もする。
そこで主語に、「僕」なる表記を加えて、少し中間感情に幅を持たせたいかと思う。

「私」は普通に上品、「俺」は普通に下品、そして「僕」は普通に中品として、自分の気持にグラデーションをかければ、感情の抑揚は伝わりやすい。
それはまず、自分自身が肩の凝らない自分でありたいと思うからだ。
このように、一般的なルールではない文章は、ブログだから成立するのであり、実は書籍にはできない文章の「タブー」を侵しているのである。

そんなブログであるが、更新頻度を高めるためには、「無理のないコツ」を見つければいいのだ。
だからと言って、感情の赴くままの文章は避けてきたつもりだし、この先も、「議論を目的にした内容」を書くことはないであろう。
適宜、コメントは楽しく読んでいるが、公開されるためのコメントではなく、そのときの状況にあったものだけを公開しており、公開するしないは、他意があってのことではない。
流れに従えば、一方通行こそ、言語のコントロールだと思うし、たかがブログという現代日記だ。
いつ止めてもいい気楽さが、本当の意味で「継続のコツ」になるのでは、と思える今日この頃…

もういい大人なんだけど、無垢で子供のような「僕」も存在している。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする