2011年06月23日

極道の妻

20歳のとき、現さいたま市の大宮区東町で、ひとり暮らしをしていた。

遊ぶ金もなく、木造アパートは4.5畳一間、家賃¥15.000。
共同玄関、共同便所、共同台所、風呂なし、狭い玄関に流し台だけ。
引越しの挨拶ぐらいしておかないと、後々、気まずくなりそうな雰囲気の佇まいだった。

部屋の家財道具は衣類と布団、ラジオだけの生活を約1年3ヶ月。
冷暖房器具もなく、熱帯夜は大宮駅で入場券を買って、京浜東北線に乗って涼んでいた。
秘かな愉しみは、定食屋で観る、金曜8時の新日本プロレス中継だけ。
今思えば、自由奔放な10代にいったん見切りをつけて、見知らぬ街にまぎれ込んでみたのだ。

それでも、たまに人恋しくなり、ひとりで大宮南銀座に出かけた。
その頃、駅前開発の規制前だったので、初老の方が営んでいる屋台が多かった。
身の丈が低いので、場末の安酒場しか入れなかったけど、食中毒にはなるわ、常連のおばさんに誘惑されるわ、それはそれで社会との接点として楽しかった。

ある夜、隣でたこやき屋台を営む、「姉御風のおばさん」が暖簾をめくってこう言った。
「イイ若いモンが、なにひとりで飲んでるんだい… よーし、任しておき!」とだけ言うと、しばらくしてから少し影を感じる18歳の女を隣にあてがってきた。
「しばらくこの子頼むよ。 足が出たら、こっちに請求書回しな」と、そのまま商売に戻った。
「この女、美人局かな」 と警戒したが、家出娘らしく、姉御さんの屋台を手伝っているという。

「特別な夜」 とはいかなかったけど、ツケなどに甘えず、身銭で払ったことだけは自慢かな。
もし、その気になったとしても、冒頭で紹介した 「私生活」 に招待できるはずないし (笑)
姉御さんは 「積極的に女の幸せを掴みにお行き!」と、その子を紹介したのかも知れないが、それが商売だったとしても、孤独であった 「20歳の男」 には嬉しかったものだ。

2年後… 既に大宮の地を離れ、いったん新潟に舞い戻っていた22歳。
深夜、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで雑誌をペラペラとめくっていたら、写真大きく、「極道の妻たち」と特集されていたページに、あのときの「姉御さん」がエプロン姿で載っているではないか。

記事はうろ覚えだが、屋台を営みながら、街の番人として、地元にその人ありの存在という。
当時なら、買い物ひとつするにしても、高級車で若い衆に送迎され、リビングの革張りソファーで過ごし、悠々自適な外食三昧の生活は出来ると思うが、それは浮かれた 「愛人レベル」 の話だ。
働くことそのものが、昭和の激動を生き抜いてきた、「誇り高き本妻のプライド」 なんだろうね。

粋で気風のいい姉さんとは、こういう女性のこと。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする