2011年06月12日

時運の偶然

12日、時間調整のついでに、南万代の中古書店で、ぼんやりと背表紙を眺めていた。

様々な分野のビジネス書籍が溢れており、成功の秘訣などの啓発本も結構と並んでいる。
それだけ新刊を買っては、中古書店に流すのだろうが、ほとんどが読み切ってない状態のようだ。
この手の本を買ったことで、知識を得た錯覚になるのだろうか。

自分の体験をもとに、成功の秘訣などとして、出版する著名人は多い。
しかし、過去を正当化し過ぎているようで、泥臭い部分は感じさせない。
それらは後から、成功秘話を付け足しているようで、挙句には自分が人格者にでもなったかのようなくだりに、どこか違和感を覚えたことがある。

始まりの多くは、自身を貧乏な生い立ちに置き換え、成功の共感を誘っている構図がどこかいやらしい。
一般的に成功者と言われている人ほど、裕福な家庭に生まれ育ち、英才教育された背景が強い。
それなら最初から、起業は親や第三者の援助で資金調達したことを公言し、それを手元に「俺はこう努力した」と切り出したほうが、よっぽどリアルティがあって素直に共感できる。
あの世界的なジャズトランペッター、「マイルス・デイビス」だって、歯科医の裕福な息子ではあったが、夢を与えたいとの商業的な論調からなのか、その生い立ちはさり気なかったような気がする。
それら本当に貧乏だったとしても、世間に公言すること自体、親に対する「子の仁義」があると思うが…

個人的に成功の大半は、「時運の偶然」だと思っている。
日常の偶然に感謝せず「必然だ」の「俺の力」など言っている輩ほど、後付で成功を並べている訳だ。
そんな成功かぶれが出す、成功の秘訣本を手にしているのに、こうも中古書店に流されていることは、「成功は自分が決めること」に気がついたからであろう。

所詮、成功とか必然なんてものは、偶然の出会いを大切に扱った結果とも言えるんじゃないかな。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする