2011年06月03日

運命共同体

2日夕方、万代で手にした号外の見出しは、白ヌキで「菅首相 辞意表明」だった。
これではっきりしたことは、どんな組織でも一枚岩にはなれないということ。

先週、日本相撲協会の放駒理事長が、組織の一枚岩を強調してたが、どんな形も不変ではない。
今まで、どれだけの組織が一枚岩を強調していながら、どれだけの組織が解散したであろうか。
初心の志、当初の結束力にはウソはないと思うし、その瞬間こそが一番輝いて見える。
だが、一枚岩という言葉を使い出し始めたときには、もう組織のほころびが見え隠れしている。
それは、人には「信じたい」という本能があり、実は自分達に向けている言葉だからである。

私が24歳の頃、同じ会社の常務取締役43歳に、酒席で「ついていきます!」と豪語した。
その言葉は純真無垢で、ウソ偽りのない、それこそ若さ丸出しだった。
そんな常務は、「人の考えは変わるぞ…」とだけつぶやいた。
今思えば、「物わかりよく従順ぶるな…」と警告されていたのだと思う。
2年後…  考え方は微妙に変わってきて、お互い理想を求めて離れた。

民主党は政権を取るまでは、一枚岩で攻め続けたから、国民の吸引力も高かった。
しかし、政権を取ったら、権力争いに走り出してしまい、現在はこの有様である。
だから、組織の一枚岩などないと思っている。
それがあるとしたら、ただひとつ… 外部に共通の敵が現れたときだけだ!

その意味では、1日のサッカー日本代表や五輪なんかは、とてもわかりやすい例であろう。
強いて加えれば、高校野球の甲子園大会も少し似ている。
そんな集団心理を、巧みに政治誘導したのが、反日デモに代表される中国の狡猾さだと思う。

一枚岩とは、共通の敵がいてこそ、運命共同体になれるのだ… それ以外は、いずれ崩壊する。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする