2011年05月06日

大人の時間

5日こどもの日、万代のやすらぎ堤は、多くの家族連れで賑わっていた。

もう、いい加減「アンパンマン」の話も、飽きてきた頃であろうか。
大人であれば、そろそろ自分の年齢に合わせた、チャンネル(会話)で過ごしたくなるのは必然だ。

子供を天使だと思ったことはないが、体を張って守る対象であることには違いない。
だが、ゆとり教育という、甘えの構造に意識を便乗させて、子供を自由奔放にしていただけの親の教育姿勢を見ると、腹立たしく感じることもある。
なぜなら、「大人の時間」と「子供の時間」を厳然に分けてこそ、親の資質があると思っているからだ。

例えば、それは、家庭習慣にあったような気がする。
ガキの頃、自宅に客が訪ねてくれば、部屋に出向いて挨拶をしてから、自室に戻ることを徹底された。
また、東京の友人宅で経験したことだが、そこの母親が子供に、「今から、ウッフ〜ン(SEX)するから、入ってきちゃだめよ…」と言われて、渋々と遊び場所を変えた記憶がある。
極端な経験ながら、大人の時間が少しずつ、わかっていったのだと思う。
露骨な言い方はどうあれ、今流行の「お友達家族」なんてなかった。
つまり、親が「大人の時間」を作ることによって、子供はどんどん自立していくのである。

それを毎日毎晩、ラジオ体操のハンコじゃあるまいし、直行直帰するような男親では、逆に子供の自立を遠ざけているかのようにも思える。
「今日は、飲んで来るぞ!」と、豪語するオヤジタイプの方が、いざという時、頼りになる気がするね。
そうして、男は課外授業で社会を学び、勇ましく家庭に戻るのである。
会社はルーティンであり、そこはハリボテの空間であることに、早く気がつくべきなんだ。
夜、行き場のない男はつらいよ…。

それをさせてくれる、女の懐の深さが身にしみるし、だから男は女には頭が上がらないのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする