2011年01月04日

ザ・プロレスト−ク FINAL

新春の書店は混雑していたが、店内に流れる大正琴の音色が心地良かったので嫌ではなかった。

そんな店内、思わず足を止めた場所が、格闘技(プロレス)の書籍コ−ナ−であった。
背表紙のタイトルはレトロ感が漂っており、見覚えのある懐かしい著者が印字されている。
著者とは言っても多くは「元プロレスラ−」であり、良く言えば回想録、見方を変えれば暴露本である。
その執筆にあたっては、本人が話した内容を第三者に原稿を委ねた、いわゆる口述筆記であろう。
そこを上手に校正しないと、真意は伝わりにくいものとなるし、第一に包み隠さず語れなければ、暴露本としての意味は成さない。

プロレスは述懐こそされるが、今の時代に躍動感はない。
それはファンがよりリアルなものに、大挙に移行していってしまったからであろう。
そうでなければ、プロレスの秘密を守ってきた人たちが、こうも飽きもせず暴露本を出す事に、どう説明を加えるのであろうか。
そんなプロレスを愛したと自称する彼らも、最終的にはプロレスをどのように復権させたいのか、落としどころが見えてこない。
これもプロレスという、曖昧さが成せる技なのかも知れないが、考え方が入り混じり過ぎて複雑である。
そうなってくると、「黙殺」するしかなくなってくる訳だ。

そんな中で強いて上げれば、ミスタ−高橋のように、「全てのプロレスはショ−であり、今こそエンタ−ティメントとして、カミングアウトすべきだ」と、主張した2001年。
それ以上の答は後にも先にもないまま、10年という歳月が経過したと思える。
今更「プロレス=八百長」談義に否定も反論もしないし、未来を作る暴露であれば嫌味はないと思う。
我々世代にとって、ミスタ−高橋の言葉は、「プロレスという青春にピリオドを打たれた」、そんな一撃であったことは間違いなかった。

私自身プロレスを語ることが、少し痛々しくなってきたので、いったん【THE FINAL】としたい。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする