2010年12月08日

Jazz Talk Vol.4

バブル絶頂期の東京新宿。

レストラン形式の「ブル−ノ−ト・東京」が青山にオ−プンし、続いて今は無き「キ−ストン・コ−ナ−」も、原宿に華々しく店を構えた。
そのステ−タスは、一流プレイヤ−しかステ−ジに立てない、世界発信型のジャズクラブである。
どちらも職場から近いながら、バブル景気の恩恵にはあずかれず、夜は時間的に余裕が少なかった。
その分仕事は夕方からが多かったので、出勤前によく「新宿ピット・イン」(昼の部)に立ち寄っていた。
“詳しくは、(08.7.3/新宿PIT-INN)記事にて”

当時は朝昼夜の3部制で料金も良心的ながら、デ−ト音楽が全盛でジャズを聴く若者は少なかった。
そんな硬質なライブハウスには、客よりも出演者の人数の方が多い部もあったが、結果的には独占して聴ける空気が過ごしやすかった。
それは全国各地から、明日のトッププレイヤ−を目指して凄腕の若手が毎日朝昼晩、凌ぎを削っていた日本ジャズの聖地である。
地方で少し天狗になっているプレイヤ−は、ここではことごとく鼻をへし折られていた。
出演者は皆、何かに取り付かれたように一心不乱な演奏にも関わらず、聞くと意外な答も多かった。

「最初の頃、緊張のあまり頭が真っ白になり、何を演奏したのかも覚えていない…」
それは出演者も観客も好きが高じて、常に国内外のトッププレイヤ−の演奏を間近で聴いているので、到底手抜きなんかできない訳だ。
その緊張感が若手を育てたと思うし、少しでも厳しさがなければ、伸びる素材も伸びないであろう。
まして、演奏後の打上よりもまず先に、バンマスがメンバ−を楽屋に呼んで、「ビシッ!」と演奏の指摘をしている光景を見たことあるが、そういうケジメが、将来を予感させるジャズに仕上げていったと思う。
それこそが、観客の前で演奏するプライドであり、メンバ−同士がぶつかり合ったり、夜な夜な悩んだりしながら、ジャズとして形づけられていった。
そんなシビアな経験をせず、音楽としての楽しさやメンバーコミュニケ−ションだけを求めすぎるとしたら「趣味でステ−ジに立つな!」と、言われるのがオチであろう。
今は知らないが、そんな純粋な息吹が、新宿ピットイン(昼の部)にあったと記憶している。

そこで鍛えられた連中が、たまにリ−ダ−グル−プとして新潟ツア−に来ている時がある。
仕事柄、昔ほど聴きに行けないけど、彼らはきっとその頃の経験が今、花開いているんだろうね。
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする