2010年09月03日

銭湯へ行く理由…

新潟市の事業仕分けで、公共浴場補助制度が廃止と判定された。

その賛否は問わぬが、銭湯の番台で署名した者として、情緒的に一言。
昔から、銭湯・本屋・映画館は街の文化を象徴していた。
だが、新潟市民はいつもこうなんだ!

小手先の流行や利便性ばかりを求め、味わい深いものをいつもほったらかしにしている。
それがいざ、消え行くことになると、途端に「寂しい」などと言い出す始末だ。
今年の、[新潟大和デパ−ト]や[北光社書店]の閉店などは、最たる例である。
だいたい、近場に住む人ですら、郊外型のパワ−センタ−に出かけていた。
その言い分は、「欲しいと思うモノがない」「駐車場が不便」「一箇所で用事が済まない」とは聞くが、日常の生活範囲には頻度というものがあり、年がら年中同じ理由だとは到底考えられない。
ただ、近場の有効活用を知らないだけであろう。

つまり、新潟市民は新しいものにすがりつくだけで、文化に対して「冷たい」のだ。
それでいて、内面を悟られないよう、センチなことを言って対面を取り繕っている。
そういうことが、心にもないことだっていうの。
そう感じさせるのが、閉店ともなると今まで何年も行かなかった人達が押し寄せ、昔行った経験をまるで今でも行き続けているかのように、寂しさを語っている気がしてならない。
うそつけ! 閉店セ−ルで安いからだろう… そんなもんだって。
それを言うことが許される人は、たとえ頻度が低くても「利用している人の寂しい」であり、同じ寂しいでも、訳が違うのである。 (2009.10.15.参照)
そういうことが、キレイごとだっていうの。
なくなってからじゃ、遅いんだよ。

話を銭湯に戻すと、私は家風呂以外でも、古き昔ながらの銭湯へ行く。
この先、銭湯の補助金が廃止され、もしも銭湯の経営が立ち行かなくなったとしても、私の「寂しい」は、『利用者の寂しさ』であることは、自信を持って言える。
銭湯代金僅か¥390で味わえる文化を、次世代に残したいと思わないか!
若者も同世代だけでなく、たまには銭湯に出かけて50〜60歳代の年配の方々と、同じ湯けむりで過ごしてみなよ …そこには昭和の良き風物があるから。

私は街角文化が消えてほしくないから、銭湯へ行くのである。

自転車で小さな石鹸箱を“カタカタ”鳴らしながらね…
posted by GIG at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | Shower Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする