2010年08月24日

脳死肝臓移植について

脳死肝臓移植をめぐって、本人の生前意思が確認されないまま、決断を迫られた家族が相次いだ。
いずれも家族の同意を得た上で、無事に移植手術は成功したという。
その新聞記事を読んで、あるお客の体験と言葉を思い出した。

現在45歳の彼は、20年前の25歳の時、胃がんで父親を若くして亡くした。
それまで手術が繰り返され、術後の傷跡も生々しかったと聞く。
医師からは、「親御さんのご遺体を医学のために解剖させて頂きたい」と、神妙な申入れもあった。
だが、長男である彼の決断は、「もうこれ以上、父親の身体を切り刻むことはやめてほしい」と断った。
私もその年齢であれば、きっと同じことを言ったであろう。

当時の彼に課せられた決断は衝撃的だったと思うし、その苦悩たる心情は痛いほどわかる。
男親は気質上、「煮るなり焼くなり、海にでも散骨してくれ」と言いがちである。
だが、それが自分の肉親であれば、五体満足な姿で見送って、喪に服したいと思うだろう。
脳死判定といえども、本人と家族の意向が相成ることは、情緒的に難しいことを改めて知らされた時事問題である。
それを自分の死に置き換えた場合、ドナ−として提供する意思があることは明示しておくが、その決断は愛する人に任せる。

最終的には家族の意思を尊重すべきだと思う。

昨晩、彼から同意を得た上で記させてもらった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする