2010年04月25日

愛犬ポン太の想い出

人はこう言う。
 「犬は裏切らないから好きだ」と…だが、人は平気で犬を裏切る。

土曜の陽気に誘われ、自転車で町中を走っていたら、珍しく放し飼いと思しき、毛並みの悪い茶色の雑種犬を見かけた。
首輪はしてあったので、飼主はいるだろうが、神経質な通報で保健所に捕まらなければいいが…。

今年は異例なほど、命の尊さが取り上げられている。
それは何も、人間の命だけに限ったことではない。
先進国ほどファッション感覚で犬を飼い、人間並みの衣食住で持て成すという。
だが、犬が動物の本能を見せたり、老犬になってくると、平気で処分を依頼する飼主も多いと聞く。
また、新築物件に越すと家が傷むからという、酷い理由もあるらしい。
最初は家族扱いしておきながら、平気で捨て去る身勝手さに憤りを感じる。
まるで、いつでも捨てることができるのを、前提に飼っているようにも思える。
飼うということは、最後を看取るまで一緒にいてやろうと思うのが、飼い主の愛情であろうに。

そう思う理由がある。
昭和50年頃、定期的な野犬狩りが行なわれており、捨て犬や捨て猫を拾ってきては、家では飼えないからと、また元の場所へ泣く泣く戻しに行くのは、決まって子供たちだった。
私も小学生の時、茶色の雑種犬を拾って、泣き落としで飼ったことがある。
メス犬に「ポン太」と名づけて可愛がっていたが、私の最悪な不注意で保健所に捕まってしまった。
それ以上は語りたくないが、どうしても引取りに行けない理由があり、何もできなかった。
思い出すと胸が痛み、罪悪感と楽しかった想い出に縛られ、少しトラウマ的に犬を飼えないのだ。
命を預かるとは、そういうもんではないだろうか。
辛さを伴わない飼育は、本当の情操教育にはならないと思う。

茶色の雑種犬を見ながら、「ポン太は許してくれているかな?」と、フッと思った。
posted by GIG at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする