2010年03月25日

参院選出馬断念 前田日明

夏の参議院選挙に向けて、民主党公認候補として出馬調整していた、前田日明(元格闘家)が立候補を辞退した。

個人的に細かい事は抜きに、議員バッチをつけた姿を見たかった。
彼特有の感情表現は山っ気こそあるが、真っ直ぐな思考と突出した言語感覚は魅力だ。
そして、リ−ダ−の条件として、“わかりやすい人間”だと感じていたからだ。
加えて、学歴コンプレックスがない、颯爽感がいい。
社会的に学歴の効力はあるが、頭の一部分がいいに過ぎないだけで、人と正面から向き合えるかどうかが、本当の頭の善し悪しだと考える。

時代は60〜70年代の学生運動でのこと。
世間は東京大学を始め、一流大学の学生達が抵抗している位だから、「これは何かあるぞ」と誰もが思うようになっていたと聞く。
だが、その実態は世間も学生も、肝心の日米安保の内容すら理解しておらず、ただ騒いでいた連中も多かったとも聞く。
つまり、“誰が言っているのか”が、彼らの判断基準になっていたのかも知れないのだ。
そんな空気がまかり通ったら、それこそ自身の価値判断を放棄したことと同じになると思う。

会社を例に挙げれば、通達の度に「社長がこう言っているから」「本社はこうだ」などと、肩書きを出して説くリ−ダ−はいないか?
事象によっては、そういう言い方は避けられない時もあるが、普段からそんな物言いをしているリ−ダ−の下で仕事をしていたら、部下として不幸としか言いようがない。
きっと、そのリ−ダ−は自分の身のふり方さえも、会社任せにしているんだからね。

会社の肩書きがある人が言うから、言葉は重んじられるが、しっかりしたことを言っているかどうかは、全く別な次元である。
ヘタでもいいから、自分の言葉で語れるリ−ダ−は、どこか魅力を感じるものだ。

前田日明は “誰が”ではなく、 “何が” を自分の言葉で説くのが、持ち味なだけに少し残念だった。
そして今朝ほどの報道で、橋下府知事が北朝鮮からの批判に対して、「拉致被害者を帰してくれたら話に応じる」と突き返したという。

二人に共通していることは、まずは凛とした姿勢だ。
posted by GIG at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする