2009年02月13日

日本の教育論について

世界に向けて、どこが「侍・日本」なのだ?
軽々しいキャッチコピ−は大概にしろと言いたい。
以下は、昨日の教育記事を読んで感じたことである。

過去から議論が続いている「順位をつけない運動会」に続き、今度は島根県の人権団体が差別に繋がるとして「学級委員長を決めない学校教育」を提案し、市の教育委員会が受理したらしい。
それにともなう意識調査では、反対意見が多くを占めながら、なぜいとも簡単に施行されるのか不思議である。

社会は比較と選択、順位の互換性で発展が成り立っているので、それとなく子供に仕組を理解させることは大切だ。
競争はなくならないし、チ−ムがあればリ−ダ−が必要だという、確たる原理原則が崩壊してしまう。
「子供が傷つくから順位をつけない、選出しない」という発想は、親の過保護な愛情であり、もしかしたら、「心の病」の急増かもしれない。
「競争」や「選ばれたり選ばれなかったり」を繰り返した経験こそ、子供の情操になるのではないか。
その経験がないと、過剰なまでに自分を大切にしすぎてくると思う。
ゴルフの石川遼、フィギュアスケ−トの浅田真央らを突き動かしている、モチベ−ションを想像すれば分かる事ではないだろうか。
あの若さで社会にも目を向けているので、同年代と比べても発言が大人びている。

成熟社会とは言え、大人が幼児化している傾向に歯止めがかからない。
そんなことを抗議する暇があったら、川辺のランニングコ−スで子供の伴走をしている親の姿の方がよほど健全である。
最近は子供が道端で転んでも、自力で立ち上がらせるような親の愛情はめっきり見なくなった。

日本の教育はブレているが、世論の意識調査を知る限り、少し溜飲は下がった。
posted by GIG at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする