2019年11月12日

長州読破

450ページにおよぶ、長編ノンフィクション 「真説・長州力」 を読み終えた。

特段、プロレスラー 「長州力」 に思い入れはないが、何を隠そう、僕は 「プロレスファン」 だった。
過去、長州は 「革命軍」 「維新軍」 「ジャパンプロレス」 と、軍団を結成し、革命戦士を名乗った。
しかし、自らがレスラー兼社長として旗揚げした、最後の団体 「WJ」 では、放漫営業で崩壊した。

これはだれもがいうことで、団体のはじまりは 「俺たちは一枚岩だ」 と結束の固さをアピールするが、数年後にはことごとく解散してしまう。
「前田日明」 が率いた 「UWF」 が、何派に枝分かれしたときも、同じように理想と現実がかい離し、捨て鉢な感情を吐いて物別れして、結束が固いほど亀裂が入ると意外なほどもろいもの。

「反主流派」 のような志を持つ男同志が共鳴し、カリスマにケンカを売っていたころが団結力を持つも、その次の目標を見失ってしまうと 「一枚岩」 を誇っていた、選手間にもすきま風が吹いた。
プロレス界においては、その構図を例外なく繰り返してきた。
本の後半は少し読み疲れて、はしょるページも多かったが、一抹の寂しさも残る行もあった。

解散せざる得ない外因もあるが、その前の人間関係が崩れていた内因こそ、最大の原因だった。
本の執筆にあたり、長州の盟友 「マサ斉藤」 は取材に一切応じず 「アントニオ猪木」 も口を濁す。
「谷津嘉章」 は否定的な語り口 「キラーカーン」 は毒舌でまくしたて、弟子の 「佐々木健介」 とは、絶縁状態で 「分裂後の真実」 は、誤解と闇に葬られている。

唯一、維新軍団の名参謀 「アニマル浜口」 だけは、だれの味方をすることなく、リングを降りた。
中には、事態を客観的に見ることのできる、知性を兼ねそなえたレスラーもいたのであろう。
最初は理想を同じくした一枚岩であれ、次第に考え方に溝ができ、修復できぬまま終わった。
最後は刀折れ、矢が尽きた印象だった。

理想を掲げて、船出をしたときが 「美しきピーク」 であろうか。
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2019年11月11日

無題雑記 209

「ターミネーター2」 の正統な続編として、27年ぶりに公開 「ターミネーター ニューフェイト」 を鑑賞。

熱狂的なファンをもつシリーズなだけに、前作に負けず劣らず、スケールアップした出来映え。
波乗りのような興奮を繰り返し 「強化型兵士」 という、新設定がストーリーに幅を持たせた。
胸のすくラストシーンではないが、終わるべくして終わった、言い知れない感傷で劇場を後にした。

いつもの三人で夜道を歩きながら 「ごはん、どこにする」 と素顔に戻る。
自身の生活、不規則に規則的な生活だが、年内はあと一本ぐらいは映画を見たいと思っている。

タイミングが合えば、次回はこれかな  「エンド・オブ・ステイツ」

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2019年11月09日

立冬到来

8日 冬のはじまりを告げた 「立冬」

暦の上、寒さは遅い気もするが、窓の景色を見ると庭木が紅葉している。

秋冬、夜長に物思う。
遠景の街の灯り、近景の木の枯葉など、寒さゆえに 「寂しさ」 を感じることがある。
だが、寒いからこそ、人との距離感が縮まるようで 「温かさ」 を感じることもある。

暮れが押し迫るにつれ、寒い夜を共にできる友こそ 「冬の友」 であったりするもの。
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2019年11月08日

家庭料理

来春 「ミシュランガイド新潟版」 が、出版されるという。
今も秘かに、覆面調査員が飲食店に潜入して、格付けチェック中なんだとか。

食の充実は 「人生の充実」 でもある。
だが、人は個性が違うように、それぞれの感受性も異なる。
何をどう味わおうが自由だし、それをどう解釈するかも、個人の判断によるもの。

僕は、おいしい店を探してまで列に並んだり、予約をしてまで食べたいとは思わない。
また 「食べに行かねば損」 「流行に乗り遅れる」 「一人でも多く人に食の楽しさを伝えねば」 など、不要な使命感に燃えないのは 「家庭料理」 が、一番美味しいと思っているから。

食事へ出かけて、店に文句を言ったこともない。
それは 「自分に合わなかった」 だけで、気に入らなければ、次から行かなきゃいいだけのこと。
文句を言うような店を選んだのは、自分の判断と直感であり、言うとしたら衛生面のことで、それ以外は黙って食べるのが、作ってくれた人への礼儀だと思っている。

食は個人の嗜好だから 「星の数」 も気にしない。
その前に、人様の経営に口出しをできる舌は持ち合わせていないし、僕にそんな資格もない。
卑屈ではなく、情報に群がって、すがりつくばかりの味覚や感性にいい加減、辟易したのも理由にある。
だから、自分の舌で判断した味覚と品質、接客や雰囲気、自身の経験こそ 「ミシュランガイド」 でさ。

グルメっぽいことを過剰に言い出すと、次第に 「普通の食卓」 でさえ、屈辱的に思えてくるもの。
見栄はキリがなく、結局あとから自分がツラくなるだけで 「虚勢の末路は見栄の上塗り」 となるから、堂々と気負わない自分を選択して、普通を宣言しても、いい年齢である。

その上で、たまには 「あの店に行ってみようか」 といえるのが、しなやかさで 「家庭料理」 に敬意を持てない舌が 「ミシュラン店」 で何を食べても、絶対に判断できないだろ (笑)

俺は古町の飲み屋で、これからの季節 「もつの煮込み」 をつまんでいるほうがいいや。
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2019年11月07日

日夜灯す

近所のコンビニが 「時短営業」 を試みて、2ヶ月は経とうか。

24時間営業を柱とする 「コンビニ業界の実情」 が、時代の浮き彫りとなっている。
経営は、人 モノ 金を資源にして、地域社会の役割と重要性を担うのが核心となる。

一方、それを担いながら、店では接客や作業、発注に納品、計数管理や人材教育まで行う。
オーナーは経営者であるが、実際は店長でシフトに加わり、率先垂範する主導的な立場となる。
ゆえに、人を効率的に使い、計画 実行 検討 行動 できねば、店長失格の烙印を押される。
報道にもあるように、店長の85%が週休1日以下、24時間態勢の連絡と非常勤を背負いながらも 「日夜灯りを消すことのない店」 で働いている。

FC経営は原則、年中無休、24時間営業、家族経営が契約条件となる。
そのため、一部の優良店を除けば、家庭に切実な事情を抱え込んだり、傍若無人な客によるトラブルが起きたり、これも24時間営業の実状で、人手不足が局面化されたら、一人に深刻な過重労働を招く。

東京在住時、住まいの近くに大手コンビニチェーン店があった。
ある日、夜勤で働くオーナーの奥様が涙ながらに 「こんなはずじゃなかった」 と嗚咽を洩らした。
最初、コンビニ経営に夢を抱いたが、現実的には24時間働き詰めとなり、どこにも行けない、だれとも会えない、家族ともすれ違いになり、盆も正月の団らんもない。
店を休めず、この生活がいつまで続くのか、疲労が不安を呼び、不安が神経を疲弊させる。
奥様は鏡に映した自身の顔に生気がなく、愕然としたとも語った。

なぜ 「見知らぬ客」 である僕に、こんな話を打ち明けたのかわからなかったが、こう解釈した。
26歳、そのコンビニ店を 「独身男の台所」 代わりに、ちょくちょく利用していた。
日々多忙なため、仕事を終えるのが深夜で、コンビニ弁当で食事を済ませることも多かった。
東京と云えど、深夜2時から4時までは客がまばらで、少し気を緩められたのであろう。
僕もいつしか 「深夜に来る一人客」 として認識をされ、接客用語が日常言葉でとり交わすまでとなり、小さな会話を通して、都会のうるおいを感じるようになった。
おたがい 「来るかな」 「居るかな」 そんな気持ちが氷解したものと思われる。

コンビニは一見決まりきった風景に見えても、舞台裏は喜怒哀楽があるもの。
24歳 「オレ、過労死するかも」 と思うほど、仕事をした経験があるので、その苦しみに共感できた。
90年代 CMのキャッチコピー 「24時間、戦えますか」 → 「バカ野郎、働けるわけねえだろう」
だけど一度ぐらい 「死ぬ気で働いてみなよ」 → 「死にゃしないから」 その言葉も実は大事なんだ。

資本主義である以上、利益追求はあたりまえ。
だが、その方法というのが、昔から 「理解に苦しむことばかり」 で、不都合なことほど報じられない。
あの時代、直談判に出向いても山は動かず、毎度、精神訓話される 「組織の習性」 が虚しかった。
30年後、ようやく時代に合った見直しを求める 「対話社会」 が前進しつつある。

今は僕も家族経営と変わらず、人に雇用されないだけで 「自分との契約書」 に基づいている。  
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2019年11月06日

無題雑記 208

6日 午後 3時30分

まだ、青く澄んだ東の空には、ちぎれ雲が静かに流れていた。
西に傾いた日の光が、街全体を金色に照らす。
東西、2つのコントラストの下で、自転車のペダルをこぐ。

午後 4時50分

街に灯りがともり、行き交う人が足早となり、交通量も多くなる。
バス停の列も長くなり、何やらの手荷物を抱える人も目立つ。
暮れきらない上空には、ねぐらに帰ろうとするカラスの群れが、用心深くあたりを見回している。

思えば、僕も 「夜行性のカラス」 のような存在である。
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2019年11月05日

無題雑記 207

前夜 「ラフロイグのソーダー割り」 で休日を仕上げ、深夜2時頃に帰宅。
ソファーで仮眠後、朝のニュースを見てから、ベッドで浅い眠りにおちていく。

起床、午後1時。
早速、シャワーを浴びて、予約した近所の美容室で散髪。
長年、行きつけなので、自分の好みや髪質をわかっており、安心して任せられる。
それこそ 「街と会話」 をするとはこのことで、他愛もない雑談を交わす。

コーヒーショップでくつろぎ、スーパーに買い出しへ。
火曜は特売日なので、普段よりも量が多く、毎回エコバックも4〜5袋になる。
自転車に荷物を積み、リヤカー代わりにして、日暮れの街を押し歩く。
もう、夕方5時前には、自転車のライトも自動点灯している。

キッチンに照明を灯すと、それぞれの支度がはじまる。
いよいよ、秋の深まりを感じる、今日この頃。
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2019年11月04日

眉村小説

3日 SF作家 「眉村 卓」 が、85歳で死去した。

晩年、末期がんを宣告された妻のため 「一日一話」 の短編を書き続け、1778話でペンをおいた。
妻への想いを記した小説 「妻に捧げた1778話」 は、後にベストセラーとなる。
また、本人もがんを患うも、最期までベットの上で、執筆に取り組んでいたという。

70年代の代表作 「なぞの転校生」 はドラマ化されて、80年代 「ねらわれた学園」 は主演 「薬師丸ひろ子」 で映画化された。
他にも 「まぼろしのペンフレンド」 「閉ざされた時間割」 「ねじれた町」 など、学園を舞台に描かれ、切れのある文章で一気に結末に持って行く 「眉村小説」 に夢中になったのは中学2年生の頃。

国語の教科書より、小説を読みふけっていたのは、思春期ならではの戸惑いながら、同級生の女子と気軽に会話した記憶がないんだ。
小説の中では、少年と少女がペアとなり、校内での怪事件を解決していく展開が主となる。
あの頃 「女子と話したい」 願望を持ちながら、心身の変化と性の意識が芽生え、逆に異性を遠ざけ、色気抜きの 「青春のカタルシス」 を小説で散らしていた。

知らず知らずに男子の 「子」 がとれて、「男」 に脱皮する前の年齢。
それこそ、母親離れして、心変わりしていく、思春期の動揺は著しかった。

そんな 「ハートウォーミング」 となった、中学時代の愛読書 「眉村小説」 は、夢中で読んだね。
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2019年11月03日

自由放任

渋谷のハロウィンで、また人に迷惑を及ぼす 「馬鹿頓珍漢」 な、珍獣たちが現れた。

あの街に群がる多くは、便宜上でいえば 「田舎者」 なの。
「都会人」 は、渋谷の路上では、遊ばないよ。

去年、群集心理が暴走し、クルマを転倒させたり、商店を破壊する蛮行が起きた。
あの時、地元の人たちが 「自分たちの街は、自分たちでも守る」 と官民一体で対策に立ち上がった。
だれでも 「何とかしろ」 までは言うが 「自分たちもできることはやる」 本気度を感じた。

荒療治はできないが、せこい騒ぎをおこす連中は、親に甘やかされて育った若者で 「タチの悪いガキ」 ではなく、騒ぎに便乗して 「悪ぶって目立ちたがるガキ」 が占める。
それも、都会の怖さを知らずして、新宿の歌舞伎町で 「わがもの顔」 はできないでしょ。
一昔なら、強面で肝っ玉の据わった 「街の番人」 を怒らせ 「てめえ、この野郎」 口調で、たじたじにされるのが末路であってさ。

暴力的な解決はダメだが、野蛮人の被害を受けるのは、常識を身につけている一般人。
ならば社会的な制裁で蛮行を封じ込め 「思い知らせる」 ことで、更生させる荒療治なら支持できる。

こういう連中が、楽しいはずのイベントをややこしくして 「自由放任は野蛮人」 をつくる見本市となる。
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2019年11月02日

Karel Boehlee (P)

「カレル・ボエリー・トリオ」 のアルバム 「 Last Tango in Pari 」 を手にした。

ご存知 「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」 初代ピアニストである。
リーダーアルバムは他にもあるが、インプロヴィゼーションは、幻想的なフレグランスをイメージさせる。

この手のアルバムは一歩間違えると、ただ甘いだけの 「ナルシズムな仕上がり」 も予想される。
そこをベースとドラムがピアノを盛り立てながら、リリカルで澄んだ旋律を太い骨格でメリハリをつけて、静寂な情感を醸し出している印象。
こよなく繊細でありながら、美意識丸出しにならないのは 「サイドメンの力量」 にもよると思われる。

「ピアノトリオは、最小限のオーケストラ」 ともいわれる。
どの編成より、トリオは自由空間が広いため、スキルとインスピレーションによる適応力を要する。
その分、ごまかしはきかないので力量不足だと、アルバムでもライブであれ、物足りなさを感じる。
それほど、トリオは組みやすい反面、求められる期待も高い分 「リスキーな編成」 ともいえるんだ。

最初は 「軟派なピアノ」 と否定されるも、聞き込めば判断を訂正しなきゃいけなくなるだろう。

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