2018年02月21日

読解と傾聴

20日 書店の棚を眺めていると 「語彙力」 (ごいりょく) と題する本をよく見かけた。

その場で、斜め読みすると、言葉の正しい使い方、よくある重複表現、誤りやすい表現や慣用句まで、語学力と文章力を学べる内容だった。

ボクは文章の勉強をしたことはないから、執筆を生業にしている専門家から指導を受ければ、容赦なく添削や校正、リライトされるであろう。

だが、語彙力は、正しく意味が伝わっていれば、そんなに語彙語彙と言うことのほどでもない。
それより、優先すべきは 「読解力」 と 「傾聴力」 だろう。

なぜなら、聞く力 (インプット) があるから、語る力 (アウトプット) があり、読む力があれば、書く力が身につくと思う。

それができないうちに、聞きかじりの語彙を多用したら 「ちょっと、何を言っているのかわからない?」 サンドイッチマンのギャグではないが、自分の感性ではない言葉が、ひとり歩きをしてしまう。

最近は老眼が進行し、前ほど本を読まなくなったが、ボクのような学歴や経歴の乏しい男からすれば、気軽でやさしい本を読んだり、気楽に人の話を聞くことで、得られるものの方が貴重だったりする。

つまり、語彙力より 「読む → 書く」 「聞く → 語る」 読解力と傾聴力の方が大事なのでは。
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2018年02月20日

現実と葛藤

女子スピードスケート 「小平奈緒」 は多くの辛酸を舐めた分、30歳で才能が覚醒し、31歳で念願の金メダルを獲得した。

競技にもよるが、多くのメダリストは、早ければ10代、圧倒的に20代でメダルを手にする。
30代に入ると、それまで肉体が学習した経験値もふまえて、ハンドリングは上手くなるが、身体能力は辛うじて維持しつつも、ゆるやかに下り坂となる。

下の世代には 「あなたの時代は終わった」 上の世代からは 「若返りをめざす」 を理由に居心地の悪さを感じ、少しずつ見えてくる引退に抵抗するかのように、社会人なら、ここからが苦悩となってくる。
この心理の移り変わり、40〜50代で経験した人も知るし、まさに今、その真っ只中の人もいる。

20〜30代のときは、事あるごとに 「君たちの時代になる」 とささやかれ、年齢が進むにつれて、それまでの貢献や実績とは別に、改革や刷新と称した 「首のすげ替え」 を目論まれてくる。
前言は、次の世代に同じ言葉で繰り返され、胸の奥に夢があっても、次第に孤独を感じるようになる。

年齢の高い選手を応援したくなるのは、下からの追い上げに、負けじと生きようとする姿に共感するし、何と言っても、自分自身へのエールもあるのだろう。
結果だけなら、ゲームでしかないし、プロセスを感じて学びとれるのが、スポーツの醍醐味なんだ。

会社は、スポーツのようにハッキリとわかりやすい世界ではない。

だからこそ、自信につながる拠り所を求めて、人はスポーツを見るのだと思う。
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2018年02月19日

沈黙の父性

男の父性が、動いたぐらいだから、女の母性なら、それ以上に動くのかもな。

休日の用事を終えて、閉店40分前のコーヒーショップの窓際で、ぼんやりと通行人の姿を見ていた。

すると、顔に幼さが残り、左手のビジネスバックとマフラーの巻き方が初々しい、スーツ姿の若い男子が少し疲れ気味に、右手で袋から半分ほど出したパンを、食べながら歩いている姿を目にした。

これまでなら、見ず知らずの青二才の男子を見ても、なんとも思わなかったが、ボクの年齢からすれば、それぐらいの息子がいてもおかしくないはず。

思わず 「彼は、キチンとメシを食ってるのかな」 とか 「家に着くまで、待ち切れなかったのか」 など、部活帰りの空腹に耐えられない感じと、仕事で叱られて、少ししょぼくれているような感じにも見えた。

最近、物言わぬ 「男親の眼差し」 になるときがある。

もしかしたら、昔の自分を見ているようで、あの頃の気持ちが投影されるのかもね。

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2018年02月18日

プリンス

日本にも 「王子さま」 がいたんだね。

17日 午後、男子フィギュアスケート 「羽生結弦」 のフリースタイルを自宅で見ていた。

前日のショートプログラムの1位通過を 「完璧演技」 だと新聞は見出しをつけていたが、今日のフリー演技では、持ち時間4分半の中で、2度バランスを崩しながらも、減点対象にはならず、芸術点の高さで他者を圧倒し、2度目の金メダルを獲得した。

完璧に越したことはないが、完璧ではない姿にも、人は感動する。

今大会、銀メダルに輝いた 「宇野昌磨」 も、フリー演技序盤で転倒こそしたが、そのあとの持ち直しにファンは熱い声援を贈った。

4年前の 「ソチ五輪」 で、メダルは逃したが 「浅田真央」 も、その 「あきらめない演技」 に世界が感動したことは、記憶に残っている。

ボクを含めてだが、多くは熱狂的なフィギュアスケートのファンではなかろうが、とりわけて羽生結弦の存在は鮮烈で 「王子さま」 と呼ばれるほど、色白で端正な顔立ち、均整のとれたスマートな肉体美が備わっているが、それだけではない。

「王子さま」 のゆえんは、強さとやさしさ、品格が土台となる、香り立つ男らしさなのである。

羽生結弦を見ていると、昭和の男は全滅だよ (笑)
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2018年02月17日

距離 45cm

16日 万代シティ発 12時35分のバスに、妻と乗車した。

夫婦だから、違和感なく、二人掛けのシートに座るが、ボクの体が大きいため、席がやや窮屈になる。

人間も動物のはしくれだから 「パーソナルスペース」 という、縄張りがある。
その距離 「45センチ」 以内に近づけたら、二人は密接距離だという。

この場合、体温や匂いも感じやすく、他人には入ってきてほしくない、プライベート距離。
もし、隣の席に、体臭のきついおやじに座られたら、ストレスを感じるかもしれない。

2年ほど前、バスの二人掛けシートに、ひとりで座っていたら、車内が混みあってきた。
他にも、ひとり分の空いている席があるのに、どういうわけか、OL風の20代の女性に軽く会釈をされ、隣の席に体をおとしてきた。

若い女性なので、体が触れ合わないように、足を内またにして、肩も内側に狭めて配慮はした。
それでも、太ももと腕は触れて離れるを繰り返し、どこか気持ちも急接近しそうな、45センチの心理で、勘違いのドキドキがおきそうでさ。

ああ、こんな、おじさんの隣に座ってくれた、選ばれたよろこびとでもいうのかな。
男性ホルモンも加齢とともに低下し、更年期を意識する年齢に舞い降りた、一瞬の奇跡である。
まあ、保身はさせてもらうが、公共の混雑を意図した接触はないからね。

密接距離  「45センチ」   恋人距離、夫婦距離、家族距離ともいう。
バス停に並ぶ、カップルの距離間隔を見れば、どういう関係かはそれとなくわかるものだし、バーでは、ほほを寄せ合う顔の位置で、それなりの親密度はわかるもの。

ボクの、45センチ以内に入れる微妙な関係はだれかなあ‥   男はカンベンだし。 
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2018年02月15日

羽生結弦

連日、冬季五輪の熱戦が伝わってくる。

人並みに、メダル獲得の期待と興味もあるが、選手の人間性にも焦点をあてて、その強さも知りたい。
その一人が、明日注目されている、フィギュアスケートの絶対王者の呼び声が高い 「羽生結弦」 だ。

彼は一頃 「王子さま」 の軽薄なネーミングでもてはやされたが、礼節を重んじ、世界を相手に教養も身につけ、フィギュア界をリードできる好青年にまで成長した。

それも 「東日本大震災」 という出来事に一心で向き合い 「ソチ五輪」 で金メダルを獲得したあとも、快進撃を見せた。
あるときは、練習中に中国の選手と衝突して、頭部を負傷したまま、棄権せずに出場した。
賛否はあったが 「滑りきる」 という強い気持ちは、最後まで持ち続けた。

そして、3か月前に、今度は右足首を負傷したにもかかわらず、それを乗り越えて、冬季五輪に照準を合わせ、先日の記者会見でのコメントに 「気持ちの強さ」 を感じた。
「この上ない練習をしたので、不安はない」 と全快宣言し、負傷を言い訳にできる退路を自ら断った。
すごい、コメントだよ。

一流選手は、やり続けることを信条として、メダルを獲得しても過信はしない。
理由は、子どもの頃から、自分の得意なことしかしていない、前向きな 「コンプレックス」 があるから、他の世界も尊重する、素直な感受性が育まれたと思う。

インタビューの答え方ひとつ、笑みを浮かべながら、穏やかに話し、一般人の生活とかけ離れたような態度をとらず、自分の考え方を示しながら、社会に溶け込んでいる。
これこそ、アスリートとしてのレベルの高さ、内面の充実と強靭さを兼ね備えた 「文武両道型」 である。

一頃は、スポーツが優秀であれば、神輿の上に乗せられて、人間教育をされない選手も多かった。
技能を養うための練習だけで、強さがすべての価値判断となり、そこに 「美しさ」 がなかった。
時代によって、求められるヒーロー像も変わったが 「強さ」 イコール 「人柄」 で応援したい。

彼、明日、金メダルを獲るよ。

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2018年02月14日

人間快楽

「そろそろ、会おうよ」  どちらからともなく、自然に歩み寄れるのが、気心知れた仲間である。

休日、友人カップルと二組で飲んだ。
会話は止まらず、気がつけば周りの席はすっかりと空いていたが、そのぶん飲み食いしたので、不粋な客ではなかったはず。

50代になると、視界の先に人生の終盤となる、入口が見えてくる。
老後の不安を感じたり、健康に不安を覚えたり、まだ起きてもないことなのに、得体の知れない不安に支配されることがあるともいう。

不安の理由は、先が見えない不安にあるようだが、これまで先が見えた人はいるのかな。
そんなに不安なら 「水晶玉」 を買って、毎日見ていればいいじゃんと思うし、不安と困っていることは、本質的に違うわけだから、それは分けて考えたいところ。

老後が不安な人の話を聞くと、健康のための健康を目的にしており、その先の快楽を求めていない。
生きる上で、健康であることは大前提だけど、健康を目的にすると 「人生はセコくなる」 と思う。
脳幹が感じる刺激とか、血液が全身をかけめぐる躍動など、全ては快感を得るための健康であろう。

ボクなら、美味しくお酒を飲んで、楽しく語り合えるためなど、自分へのご褒美が健康の目的となる。
目的がなければ見つけるし、それとも探すし、日常の健康は快楽を満喫できるためのことで、方程式を誤ると、何のための健康で、何を楽しみにしているのかさえわからなくなる。

そっちのほうが、よっぽど不安になるし、本来の不安なんて、土壇場に立たされたときにしかおきない。
それに、老後という言葉を直訳すれば、死を意味すること。
だから、何で 「老後不安」 なのかもわからん。

今、つきあいのある人に共通していることは 「今を楽しまないと後悔する」 そんなタイプが多い。
だからと言って、破滅型ではないし、考えるところは考えながら、出会いが作る運命に任せている。
酒の肴で、こんな話を交わす年齢になったが、人生なんて 「ケ・セラ・セラ」 なるようにしかならん。

冒頭の言葉 「そろそろ、会おうよ」 健康な人間が欲している、健康の先にある 「人間快楽」 である。
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2018年02月13日

大人乙女

街は、バレンタイン商戦に一丸となっている。

世の中の多くの仕組みは、カップルを中心に企画されている。
だが年々、恋愛ムードは薄まり、最近は女性同士でチョコレートを持ち寄り、気ままなパーティー気分を過ごすとかで、男性を主役にせずとも、世間が決めたルールに添うこともなかろう。

男の視点でいえば、バレンタインディーは 「遊びの日」 なの。
そうだなあ、エイプリルフールのような 「大人のユーモア」 だよ。

「私はしない主義」 を力説する女性もいるが、距離の近い人だけに 「チロルチョコだけど、食べてね」 ぐらいの、その場こっきりの 「今」 をプレゼントできるのが、余裕ある思いやりだったりする。

だけど、会社だと、女性同士の目線の方が面倒くさくて 「あの人、自分だけ男の人にすり寄っている」 とか言われるのがイヤだから、建前と本音を使い分けている、複雑な女心も知っておかないとね。

最近は、チョコレートも高級指向に誘導されているため、配る人数や懐事情もあるだろうが、ちょっとした気持ちがうれしいもので 「おままごと」 だと思えば、男は単純だから 「胸キュン」 になる (笑)

若さは永遠ではなく、どんなに素敵な女性でも 「おばさん」 になるときは、必ず来る。
いや、おばさんも女性だけど、外見からではわかりにくい、こういう 「乙女な心」 があれば、おじさんは色艶のある内面にときめくだろう。

それは、卒業式の当日、制服の 「第2ボタン」 をねだられているようで、女性があたえてくれる純情と輝きが健在だと、いくつになっても可愛いなと思ってしまう。

こういう女性は、大人としての自信もあるようで、ボクは 「大人乙女」 と命名している。
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2018年02月10日

ボンカレー

週末は営業時間が長いので、仕事前に小腹を満たそうと、何十年かぶりに 「ボンカレー」 を食べた。

どこの家庭でも一品はあろう、おふくろの味は違い、食べ盛りの少年期は夜中に腹が減って目覚めて、台所でボンカレーなどのレトルトをあさり、同時にコーラで腹を膨らませていた。

ひとり暮らしの頃、冷蔵庫は飲み物だけで、台所で料理を作ることはおろか、お湯を沸かすこともなく、生活感のないモデルルームのような部屋で、外食一辺倒が長かった。
そのライフスタイル、結婚により変わり、いや、変わったから、結婚したとも言えよう。

ソウルフードではないが、夜中に腹を空かせて台所をあさったときに食べた、ボンカレーは懐かしさと、大人に成長して食べるであろうおいしいものに、期待を膨らませた 「レトルトの原点」 となる。

昔は今ほど、食が豊富で便利でなかったので、お腹が空いていたから 「おいしい」 と感じられた。
空腹こそが 「最高のグルメ」 だった。

そういう意味で、とどまるところを知らない 「食いすぎ文化」 は、素食を忘れさせてしまうと思う。
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2018年02月09日

アルマーニ ? 

8日 自宅でサンドイッチとコーヒーを口にしながら、夕方のニュースを見ていた。

銀座の公立小学校で、一着トータル8万円のアルマーニの制服を着用させる否かで、物議を醸してる。

校長は 「ビジュアル・アイデンティティーを高め、グローバルなんちゃら、ホイホイ」 そんなことを言っているようだが 「馬子にも衣装」 も大概にしないとな。
そのうち、給食も 「ミシュラン」 みたいなことを言い出すぞ。

高学歴や富裕層に、共通している欠陥はここで、安易に子どもに買い与えすぎること。
ガキが寿司屋で特上を食べながら、生意気な講釈を垂れていたり、新社会人が新幹線のグリーン車でふんぞりかえっていたりするのは、こういう発想からおよんだ性格の子どもであろう。

その前に、親が鈍感になると思う。
例えば、高校生の娘が高級ブランドを持っていたら、普通は 「怪しいバイトをしてるんじゃないか」 とか 「年上の男が、娘に高価なプレゼントをして、好意をもたせたのか」 ぐらいは考えるはず。

だいたい 「自分の娘が、どれぐらいのお金を所持しているか」 ぐらいはわかるだろう。
少し不安に感じ 「それ、どうした」 と聞くと 「友達から借りた」 と答えると思う。
おいおい、そんな高価な宝物を、いくら友達であろうが、平気で貸すわけなかろうに。

そういうところからして、不自由なく育ったエリートは見抜けず、都合よく 「信じている」 で見過ごす。
昔、少しヤンチャをした親のほうが、このあたりの勘は鋭いから、かんたんにウソを見破るからね。
それに、小娘がシャネルを着ても、顔はかわいいが内面が幼いから、浮いて見えるだけ。

大人になって、自分でブランド品を得た喜びがないと、幼くして高級品に目がくらむようになってしまう。

年齢と分相応なものを身につけさせるのが教育だし、ガキに、何が 「アルマーニ」 だ。
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